湖北料理

湖北料理（こほくりょうり）

湖北料理（鄂菜、楚菜とも）は、中国湖北省に根ざした多様な郷土料理です。この省は、中国の内陸部、特に旧来の中央部に位置し、「九省通衢」（九つの省への通路）と呼ばれる交通の要衝として古くから栄えてきました。東西には長江や漢江が流れ、南北を結ぶ重要な鉄道路線や高速道路が集まるこの地は、様々な地域の人々が行き交い、文化交流が盛んに行われてきました。

歴史的にも、湖北省はかつて広大な領域を誇った南方系の楚国の地であり、その後、北から南下した秦に吸収されるなど、南北双方の強い影響を受けてきました。こうした地理的・歴史的背景から、湖北料理は華南・華北双方の食文化を取り込み、味付けにおいても「酸」（酸味）、「甜」（甘味）、「麻辣」（痺れるような辛味）、「清淡」（あっさりした塩味）といった幅広い風味が存在します。使用される食材も、周辺各地の特色を取り入れた多種多様なものが用いられます。

こうした多様性ゆえに、湖北料理は中華料理の主要な「四大菜系」や「八大菜系」といった分類枠には収まりきらない独特の地位を占めています。特定の菜系の要素を持ちつつも、それだけでは語れない奥深さがあると言えるでしょう。

地域による違い

湖北省内においても、地理的な位置や隣接する省の影響を受けるため、湖北料理には明確な地域差が見られます。主な系統としては、以下の四つに分けられます。

漢沔菜（かんべんさい）: 省都武漢を中心とする地域。最も多様性に富み、各地の特徴が混じり合っています。胡椒を利かせた塩味の料理や、豊富な種類の点心・小吃が特徴で、専門店が多く存在します。朝食文化も発達しており、朝から様々な軽食が楽しめます。
鄂州菜（がくしゅうさい）: 鄂州や黄石周辺。淮揚料理や安徽料理の系統に近く、甘さやあっさりした味わいが特徴です。煮魚や豚の角煮などの煮込み料理に定評があります。
荊南菜（けいなんさい）: 宜昌、荊州、洪湖など長江沿岸地域。魚やアヒルなど水辺の幸を豊富に利用し、素材の持ち味を生かした薄味の料理が多い傾向にあります。一方で、四川や湖南の影響を受けた唐辛子や花椒の辛い料理も見られます。
襄鄖菜（じょういんさい）: 襄陽、十堰など省の北西部。陝西や河南料理の影響を受け、豚肉や鶏肉を使った塩辛い煮込み料理や、四川の影響を受けた辛い料理など、比較的しっかりした味付けの料理が多いです。また、イスラム教徒の多い地域に隣接するため、牛肉を使った清真料理の影響も見られます。

多彩な食材

湖北省は「千湖之省」（千の湖を持つ省）と称されるほど、長江、漢江、そして無数の湖沼に恵まれています。このため、淡水魚は湖北料理にとって非常に重要な食材であり、様々な調理法で利用されます。蒸し料理、煮込み、唐揚げに加え、干し小魚の炒め物や、淡水魚を使った蒲鉾や魚そうめんなど独特の料理もあります。特に魚は、宴会や祝い事には欠かせない料理です。

宴席においては、魚料理に加え、風味豊かなスープと「圓子」（つみれや団子）が重要視され、「三無不成席」（この三つがなければ宴席が成立しない）と言われるほどです。圓子は魚のすり身だけでなく、豆類やもち米を使った植物性のものもあります。

また、省内には稲作に適した地域と小麦栽培に適した地域が混在しており、米と小麦の両方が容易に手に入る環境にあります。このため、粉蒸肉のように穀物と肉や野菜を組み合わせた料理も多く見られます。省西部には山岳地帯も広がり、キノコ、筍、山菜、薬草、さらには鹿や熊といったジビエも食材として利用されることがあります。

料理の歴史

湖北省の食文化は非常に古くから発展してきました。約2400年前の戦国時代の遺跡からは、煮るための鼎や鬲、蒸すための甑といった青銅器や陶器に加え、珍しい「煎盤」と呼ばれる炉付きの調理器具が出土しています。これは鉄板焼きや炒め物に適した形状をしており、この時代から既に多様な調理法が存在していたことを示唆しています。また、楚の王室では漆塗りの食器が多用され、生薬も料理に取り入れられていたことが分かっています。前漢時代の文献にも、素材によって調理法を変え、荊（楚）と呉（東の地域）で味の差があったことが記されています。

魏晋南北朝時代には、屈原の詩に言及される菓子や、彼の供養に由来するとされる饅頭や粽など、様々な菓子や点心が作られるようになりました。現在湖北省の名物として知られる食品の中には、この頃に起源を持つものもありますが、唐代以降、時代が進むにつれて各地で新たな食品が考案され、特に茶館などで提供されるようになります。

清代には、武漢、特に漢口は重要な交易港として発展し、飲食業が大きく賑わいました。19世紀末に漢口港が開港されると、上海に次ぐ内陸の主要港となり、国内外からの物資や人々が集まる中心地となりました。小麦粉の輸入が増え洋菓子も作られるようになる一方、中国各地から様々な料理人が集まり、北京料理、四川料理、浙江料理、潮州料理など、多種多様な地方料理の店が開業しました。西洋料理店も登場しました。

こうした背景により、武漢は中国各地の食文化が融合する地となり、湖北料理、特に武漢の料理は、各地の料理の良いところを取り入れながら、独自の発展を遂げていったのです。

主な料理例

湖北料理には多くの代表的な料理があります。以下にその一部を紹介します。

清蒸武昌魚: 梁子湖などで獲れる武昌魚（ダントウボウ）の蒸し料理。湖北料理を代表する一品。
排骨藕湯: 蓮根と豚スペアリブを長時間煮込んだスープ。湖北省の家庭料理の定番。
熱乾麺: 武漢名物の辛い混ぜそば。手軽で美味しく、広く親しまれています。
豆皮: もち米や具材を湯葉で包んで焼き上げたもの。武漢の有名な小吃。
紅焼鮰魚: レイオカッシスという淡水魚の醤油煮。鄂州料理の代表例。
長湖魚糕: 草魚のすり身を使った蒲鉾状の料理。荊南菜の特徴。
* 牛雑麺: 牛モツを使った麺料理。襄陽のものが特に有名。

省外での普及

中国全土や国外において、湖北料理専門の高級レストランは比較的少ないのが現状です。しかし、湖北省からの移住者が多い地域では、湖北料理店が見られることがあります。特に武漢の熱乾麺は、手軽さから広東省などの屋台でも提供されることがあります。また、アヒルの首や足などを辛く煮込んだ「鴨脖子」などの滷味（ルーウェイ、煮込み料理）は、武漢発祥の「精武人家」や上海発祥の「久久丫」といったチェーン店によって、中国各地で広く販売されており、中には熱乾麺を扱うチェーンもあります。これらの滷味は、湖北風の風味を手軽に楽しめるものとして普及しています。

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