牧瀬菊枝

牧瀬菊枝（まきせ きくえ）は、1911年（明治44年）に生まれ、1997年に没した女性史研究家、生活記録運動家です。旧姓は島崎。彼女の生涯は、昭和という激動の時代と深く結びついており、その活動は戦後の女性史研究と社会運動に大きな影響を与えました。

生い立ちと岩波書店時代

1911年、静岡県富士市の禅寺に生まれた牧瀬菊枝は、実践女子専門学校（現在の実践女子大学）に進学しました。しかし、良妻賢母を養成する教育方針に馴染めず、文学への関心を深めていきます。1932年に同校を卒業後、岩波書店に入社し、編集者としてのキャリアをスタートさせました。在籍中には、『講座世界文学』、羽仁五郎『ミケルアンジェロ』、尾崎秀実『現代支那論』などの書籍の編集に携わりました。編集業務の傍ら、プロレタリア・エスペラントやロシア語を学び、文学サークルにも参加。1933年には処女短編を発表するなど、文学的な才能も開花させていました。

結婚と戦中の苦難

1936年、東京外国語学校でのロシア語講座で牧瀬恒二と出会います。恒二は当時、日本共産党員として非合法活動を行っていたため、逮捕歴がありました。1937年に二人は結婚しますが、それは恒二が再び投獄される直前のことでした。約2年間、別居生活を送った後、恒二が出獄すると、菊枝は妊娠し、岩波書店を退職しました。1940年に長男が誕生しますが、恒二は1941年から1943年にかけて予防拘禁で再び拘束され、菊枝は幼い息子と恒二の母と共に生活を送ります。恒二が解放された後は埼玉県に疎開し、そこで終戦を迎えました。

生活記録運動と女性史研究

戦後、牧瀬菊枝は鶴見和子の呼びかけで始まった生活をつづる会に参加します。1950年代に展開された主婦たちによる生活記録運動の中心的な役割を担い、その活動の場となった『思想の科学』には多くの記事を寄稿しました。この運動を通して、庶民の日常生活の中に埋もれた歴史を発掘する意義を見出しました。1960年代以降は、先駆的な女性史研究にも取り組み、同世代の女性たちの聞き書きに力を注ぎました。特に1930年代に社会運動に参加した女性たちの証言を記録することに尽力し、その活動は鶴見俊輔の後押しも受けました。山代巴との出会いを通じて、丹野セツ、田中ウタなど、歴史に埋もれた女性たちの生き様を世に問う著作を発表しました。

主な著作

『美しき実りのために : 一主婦党員の記録』(1949)
『ひき裂かれて : 母の戦争体験』（鶴見和子と共編）(1959)
『丹野セツ : 革命運動に生きる』(1969)
『土着するかあちゃんたち : 聞き書三里塚』(1973)
『九津見房子の暦 : 明治社会主義からゾルゲ事件へ』(1975)
『田中ウタ : ある無名戦士の墓標』(1975)
『聞書ひたむきの女たち : 無産運動のかげに』(1976)
『母たちの戦争体験 : ひき裂かれて』 (1979)
* 『一九三〇年代を生きる』(1983)

牧瀬菊枝の活動は、戦後日本の社会運動と女性史研究の発展に大きく貢献しました。彼女の聞き書きによる研究は、歴史の中に埋もれた人々の声に耳を傾け、多角的な視点から歴史を捉え直すことの重要性を示しています。

もう一度検索