田屋川原の戦い

田屋川原の戦い（たやがわらのたたかい）は、戦国時代の幕開けともいえる文明13年2月18日（1481年 3月18日）に、越中国砺波郡の田屋川原（現在の富山県南砺市周辺）で発生した合戦です。この戦いは、長年この地を治めてきた福光石黒家とその同盟勢力である医王山惣海寺（いおうぜんそうかいじ）と、急速に勢力を拡大していた浄土真宗本願寺派の門徒を中心とする一向一揆勢との間で繰り広げられました。合戦の結果、石黒家と惣海寺は壊滅的な打撃を受け、その支配力を失ったと伝えられています。一方、勝利した一向一揆勢は、井波瑞泉寺（いなみずいせんじ）や土山御坊（どやまごぼう。後の勝興寺）を拠点として、砺波郡における影響力を大きく伸長させたとされます。

越中国における最初の一向一揆として知られるこの戦いは、その歴史的な意義が注目されています。しかし、この戦いの詳細を伝える同時代の確実な史料は現在まで確認されていません。唯一、その経過を詳しく記しているのは、戦いからかなりの年月が経った後、瑞泉寺で編纂されたとされる『闘諍記（とうじょうき）』という記録のみです。この『闘諍記』には近世以降に使われるような言葉が見られるなど、後世に加筆された可能性が指摘されており、そのため『闘諍記』の記述通りの「田屋川原の戦い」が本当に存在したのか、あるいはその内容が史実を正確に反映しているのかについては、研究者の間で長らく議論が続いています。現在では、『闘諍記』の記述には疑問符が付くものの、この時期に越中で一向一揆に関連する動きがあり、その結果として福光石黒家と医王山惣海寺が没落し、本願寺教団が越中で勢力を広げたという大筋の出来事は史実であろう、という見方が主流となっています。

背景

越中国砺波郡では、古くから福光（現在の南砺市）を拠点とする石黒家が有力な武士団として存在感を放っていました。室町時代に入り畠山家が越中守護となっても、石黒家は在地勢力としてその地位を保っていました。しかし、15世紀末から16世紀初頭にかけて、浄土真宗教団、特に本願寺派が北陸地方で急速に発展し始めると、砺波郡の状況は一変します。『闘諍記』によれば、砺波平野における真宗門徒の爆発的な増加と、それによって引き起こされた新興教団と、石黒家や医王山惣海寺といった旧来の権力や真言宗系寺院との対立こそが、田屋川原の戦いの根本的な原因であったとされています。

越中への真宗の伝播は古くからありましたが、門徒が飛躍的に増加したのは、文明3年（1471年）に本願寺第八世蓮如が加賀国吉崎（現在の福井県あわら市）に滞在し、その教えを広めてからのことです。砺波郡内にも、もともと真言宗であった寺院が、蓮如の影響を受けて浄土真宗に改宗する例が多数現れました。このような本願寺教団の組織化と拡大は、石黒家や惣海寺といった既存勢力の権益を脅かすものであり、両者の緊張は高まっていきました。

浄土真宗教団の勢力拡大は越中にとどまらず、北陸全体で進行していました。文明6年（1474年）に加賀国で守護富樫家内部に内紛が起こると、加賀一向宗は富樫政親を支援してその勝利に貢献し、北陸における一向一揆の存在を知らしめました。しかし、翌年には富樫政親と加賀一向宗の間で対立が深まり、戦乱となります。この時、加賀から越中へ逃れる一向宗徒がいたことが記録されており、既に越中にも真宗教団が存在し、加賀と連携していたことがうかがえます。

富樫政親は加賀の一向宗徒との戦いに苦慮し、彼らと連携する砺波郡の一向宗徒を討伐するため、福光城主である石黒光義（みつよし）に協力を要請しました。かねてより砺波郡内の真宗教徒が一揆を起こすことを警戒していた石黒光義は、この要請を受け入れ、砺波郡における真宗教団の中心地であった井波瑞泉寺への出兵を決断します。こうして、福光石黒家と井波瑞泉寺の中間地点にあたる田屋川原の地で、両勢力間の衝突が避けられなくなりました。

参戦勢力

一向一揆方

瑞泉寺: 越中における本願寺門流最古の寺院とされますが、開基後長らく正式な住職が不在で、現地の有力者（杉谷家、竹部家など）が寺の運営に関わっていた時期が長かったと推測されています。特に、竹部豊前（たけべぶぜん）という人物が瑞泉寺勢を主導したことが『闘諍記』に記されています。本願寺本流は、守護勢力との協調を重視する蓮如の意向もあり、この一揆には必ずしも積極的ではなかったと考えられています。
土山御坊（勝興寺）: 蓮如の四男蓮誓（れんせい）が入寺していた御坊で、現在の高岡市伏木にある勝興寺の前身にあたります。『闘諍記』では、この土山に身を寄せていた坊坂四郎（ぼうざかしろう）という人物が、一向一揆側の勝利に重要な役割を果たしたとされています。ただし、土山御坊自体がこの戦いに主体的に関わったかについては、研究者の間で意見が分かれています。
坊坂四郎左衛門: 『闘諍記』によると、元は石黒家に仕え桑山城を預かっていましたが、何らかの事情で城を退去し、土山御坊に寄宿していた人物です。一向一揆軍の勝利に決定的な役割を果たしたとされ、砂子坂道場（後の城端別院善徳寺・光徳寺）を開いた高坂治部卿尉（こうさかじぶきょうのじょう）と同族の高坂四郎左衛門と同一人物と推定されています。
近在百姓: 『闘諍記』には、瑞泉寺の呼びかけに応じて約2000名の百姓が集まったと記されています。これは主に小矢部川上流、現在の南砺市平野部に相当する地域の住民と考えられています。
五箇山勢: 砺波郡南部の山間地帯（現在の南砺市五箇山地域）からも、約300名が参戦したと伝えられています。五箇山では、蓮如に師事した赤尾道宗（あかおどうしゅう）らの活動により、本願寺教団の教えが広まっていました。

福光石黒家・惣海寺方

福光石黒氏: 平安時代末期から砺波郡を拠点としてきた旧族で、砺波郡で最も有力な武士団でした。この時期の当主は石黒光義と伝えられています。田屋川原の戦いでの敗北により、福光における宗家は断絶したとされています。
医王山惣海寺: 泰澄大師が開いたと伝えられる寺院で、「四十八坊」と呼ばれる多数の堂舎を持つ白山系修験道の拠点でした。中世には地元の武家勢力との結びつきが強かったことが知られており、石黒家と同盟して一向一揆に対抗しました。一向宗の拡大により、多くの僧侶や檀家が一向宗に改宗していたことが、惣海寺が戦いに参加した一因とされています。

間接関与

加賀富樫氏: 文明6年の内紛で一向宗の支援を受けた守護富樫政親が、この戦いの発端となる一向宗討伐を石黒家に依頼しました。直接戦闘には加わりませんでしたが、瑞泉寺と関係の深かった本泉寺（石川県金沢市）に対して、瑞泉寺への協力を控えるよう働きかけたとされています。

合戦の経過

『闘諍記』によると、合戦の直接のきっかけは、文明7年（1475年）に蓮如が加賀吉崎を追放されたことにあるとされます。吉崎退去に反発した加賀の一向宗徒が富樫政親に対し度々一揆を起こしたものの鎮圧され、多くの宗徒が越中砺波郡の瑞泉寺へと逃れ集まりました。加賀での戦いが収まらないことに業を煮やした富樫政親は、砺波郡の石黒光義に対し、瑞泉寺に集まった一向宗徒を討伐するよう要請します。

石黒光義は一族を集め協議を行いますが、意見がまとまりませんでした。最終的に光義は、近年勢いを増す一向宗が国主に対して反抗的な態度を取り、加賀から逃れてきた宗徒が瑞泉寺に集まっている状況を憂慮し、「もし一揆を起こし加賀のような騒動になれば国の乱となる。まだその企てがないうちに瑞泉寺を焼き滅ぼし、院主や坊主を捕らえるべきだ」と主張し、文明13年2月18日の出陣を決定しました。また、光義は医王山惣海寺にも協力を求めます。惣海寺も一向宗の広まりによって真言宗徒が一向宗に改宗する状況に危機感を抱いており、瑞泉寺討伐への協力に応じました。

石黒方による討伐計画は密かに進められましたが、やがて瑞泉寺方にも伝わります。知らせを受けた瑞泉寺の蓮誓（蓮乗）は、竹部豊前ら瑞泉寺の有力者に相談しました。寺には防御施設がなく、武具もない状況をどうすべきか問いかけたところ、一座の者たちは坊主や百姓に知らせて戦うこと、もし不利になれば五箇山へ退却して態勢を立て直すことを提案したといいます。こうして、近隣の坊主や百姓に戦いの知らせが伝えられると、瑞泉寺には多数の門徒が集結しました。一方、富樫政親は瑞泉寺と密接な関係を持つ本泉寺に対し、瑞泉寺への加勢を行わないよう働きかけました。本泉寺の蓮乗は、富樫の要請と蓮如の意向を踏まえ、瑞泉寺への直接的な支援を行いませんでした。

予定通り2月18日、福光城から出陣した石黒・惣海寺連合軍は、総勢で5000名を超える大軍であったと伝えられています。対する瑞泉寺方には、五箇山勢や近在百姓、周辺地域からの門徒・百姓が集結し、鍬や熊手、棒、鎌といった農具や簡単な武具を手に、総勢約5000名と石黒方を上回る兵力となりました。瑞泉寺軍は井波から西へ約1里の山田川沿いにある田屋川原に布陣し、石黒軍を待ち受けました。

田屋川原に到着した石黒軍は、瑞泉寺方が予想以上の大軍であることに気付きますが、坊主や百姓なら蹴散らせると判断し、先陣部隊と惣海寺宗徒の一部が攻撃を開始しました。

その頃、土山御坊に寄宿していた坊坂四郎左衛門は、本泉寺を経由して伝えられた石黒家の瑞泉寺討伐計画を知ると、土山に集まっていた加賀の宗徒約2000名と土山勢を率いて行動を起こします。坊坂四郎らは軍を二手に分け、一方は医王山惣海寺へ、もう一方は石黒家の本拠地である福光城へ向かわせました。惣海寺も福光城も主力部隊は田屋川原方面に出払っており、防御は手薄でした。まず惣海寺が陥落し、多くの堂舎が炎上しました。福光城も同様に守る者が少なく、城下町が焼き払われました。

田屋川原で瑞泉寺方と激戦を繰り広げていた石黒・惣海寺軍は、物見からの報告で医王山方面から煙が上がっていることに気付きます。さらに福光城からも火の手が上がっているのを見ると、総崩れとなり戦意を喪失しました。挟み撃ちを恐れた石黒勢は競うように逃げ出し、瑞泉寺方はこれを追撃して多くの首を取り、野尻方面まで進出しました。石黒光義は由緒ある安居寺（やすいじ）に逃れましたが、瑞泉寺方が迫ると、光義とその主従16名は寺で自刃したと伝えられています。この戦いの後、砺波郡の武士や地頭はこぞって井波の瑞泉寺に降伏し、砺波郡は瑞泉寺の支配下に入った、と『闘諍記』は記しています。

史料的課題と歴史的評価

越中国における最初の一向一揆として重要視される田屋川原の戦いですが、前述の通りその詳細を伝える『闘諍記』の史料としての信頼性には大きな問題があります。『闘諍記』の現存する写本は全て比較的新しい時代のものとされ、内容には近世的な用語が散見されることから、後世に編纂あるいは加筆された「偽書」である可能性が高いと考えられています。しかし、『闘諍記』に記された内容が全くの創作ではなく、何らかの史実を反映しているのではないか、という視点から研究が進められてきました。

かつては史実性が疑わしい存在と見られていた田屋川原の戦いを、歴史学の研究対象として位置付けるきっかけとなったのは、新行紀一氏が東大寺に残された文書の中から発見した、文明後半から長享年間にかけて砺波郡高瀬荘で「土一揆」が発生し、これが「地下人一向宗」によるものであることに触れた記録でした。新行氏は、瑞泉寺に近い高瀬荘で起こったこの「土一揆」こそが、田屋川原の戦いそのものか、あるいはそれに連なる一向一揆である可能性を指摘し、「文明13年の越中一向一揆」という呼称が広まることになりました。

しかし、この説に対しては、新田二郎氏らが東大寺文書の記述だけでは田屋川原の戦いと断定できないこと、また『闘諍記』が記すような、この一戦で砺波郡全体が一向宗の支配下に入ったとする記述も、同時代の史料に照らすと疑問があることを指摘しました。文明13年以降も砺波郡内で国人勢力が活動していたことを示す史料が存在するため、『闘諍記』の記述をそのまま受け入れることはできない、としたのです。

その後の研究では、金龍静氏や久保尚文氏らが、東大寺文書と『闘諍記』の関係、そして田屋川原の戦いの史実性についてさらに議論を進めました。傍証として挙げられるのは、以下の点です。

1. 長年砺波郡で勢力を持っていた福光石黒家と医王山惣海寺が、戦国時代のある時期から史料上にほとんど現れなくなること。これは、彼らが大きな打撃を受け、没落した出来事があったことを示唆しています。
2. この時期から、これまで加賀との国境近くに位置していた土山御坊や砂子坂善徳寺といった真宗系寺院が、砺波平野へと進出し始めること。特に善徳寺が一時福光石黒家の本拠地近くに進出したことは、石黒家の力が衰えたことを背景としていると考えられます。また、文明13年に現在の高岡市南部に勝興寺の前身となる坊舎が建設されたことも、この時期の一向一揆側の活動の成果と見なされています。
3. この時期、加越真宗教団の中心的存在であった本泉寺の動向が、『闘諍記』が描く本泉寺が戦いに直接関わらなかったという記述と合致すること。

これらの傍証は、『闘諍記』が語るような田屋川原の戦いそのものの存在を直接証明するものではありませんが、「それに類する、福光石黒家・惣海寺と越中一向一揆の間の戦いがあった」という可能性を強く支持するものです。

特に、戦後の砺波郡支配に関する『闘諍記』の「利波郡は瑞泉寺領となった」という記述は、最も議論が分かれる点です。かつては、これをそのまま受け止め、加賀一向一揆のような門徒による領域支配（門徒領国制）が越中にも確立した初期の事例と見なす研究者もいました。しかし、新田二郎氏らの実証的な研究により、文明13年以降も砺波郡内には荘園領主や国人勢力が存続し、一向宗が郡全体を一元的に支配したわけではないことが明らかになりました。

現在の研究では、久保尚文氏の見解が広く受け入れられています。それは、『闘諍記』の一部（特に戦後の支配に関する記述など）は後世の加筆によるものと考え、それ以外の部分には史実を反映した記述がある可能性を認めつつも、田屋川原の戦いによって砺波郡が即座に一向宗の支配下に入ったわけではない、というものです。実際には、この後も砺波郡内では武士や国人勢力と一向宗の間で長い抗争が続き、加賀のような一円支配ではなく、両勢力が複雑に影響し合いながら共存していく状況が続いたと見られています。

歴史的な意義としては、田屋川原の戦いは、加賀国内の混乱が越中砺波郡に波及した結果であり、長享2年（1488年）に加賀一向一揆が守護富樫政親を討伐して「百姓の持ちたる国」を築くことへの、越中からの助走となった側面が指摘されています。しかし、越中全体が本格的な戦乱に巻き込まれるのは、永正3年（1506年）の一向一揆まで待つことになります。

田屋川原の戦いで福光石黒家の宗家は没落しましたが、石黒一族全体が滅亡したわけではなく、特に木舟城（現在の富山県小矢部市）を拠点とする分家は戦国時代を通じて勢力を保ち続けました。医王山惣海寺も、戦いで焼失したと伝えられますが、その伝承や地名は今も残されており、この時期が医王山における旧来の修験道勢力が衰退し、真宗などが勢力を伸ばしていった転換期であったことは間違いないと考えられています。

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