田辺又右衛門

田辺 又右衛門（たなべ またえもん、1869年1月15日 - 1946年1月20日）は、幕末から昭和にかけて活躍した日本の武道家です。古流柔術である不遷流の四代目宗家として、また大日本武徳会の範士として知られ、柔道整復師としても多大な功績を残しました。

時代の流れが新興の講道館柔道へと傾く中、多くの柔術流派が講道館に吸収されていく中で、田辺は不遷流の独自性を保ちつつ講道館に対抗し続けた数少ない武道家の一人でした。特に1886年、1887年の警視庁における武術大会での活躍を契機に勢いを増した講道館に対し、田辺はその急先鋒として挑み続けた存在として歴史に名を残しています。

寝技の達人、講道館を震撼させる

田辺又右衛門の最大の強みは、その卓越した寝技にありました。立ち技よりも寝技、とりわけ絞め技や関節技を得意とした背景には、試合の判定における主観性を排除し、相手の明確な降参によって決着をつけたいという意向があったとされます。この寝技を武器に、彼は講道館の強豪たちと渡り合いました。講道館四天王の一人である山下義韶や、「大豪」と称された戸張滝三郎といった実力者を寝技で破り、また富田常次郎、横山作次郎、西郷四郎といった講道館の重鎮たちが田辺との対戦を避けたという史実も伝えられています。これらの戦績から、田辺は「講道館が最も恐れた男」として伝説的な存在となりました。

寝技の秘訣と経歴

田辺の寝技技術が確立されたきっかけとして、17歳で経験した力士・神田川との敗北が挙げられます。体格で圧倒的に劣る田辺は、相手の大きさに翻弄されて敗れました。この経験から、「ウナギの抑え方」や「ヘビがカエルを捕食する要領」といった独自の戦略を編み出したと語っています。相手の動きに合わせて静かに仕掛け、ここぞという時に確実に極める、あるいは時間をかけて徐々に追い詰めるといった動物の動きからヒントを得た戦法は、彼の寝技の深みを示しています。

父である不遷流三世・田辺虎次郎と共に各地で柔術を指導した後、1890年には岡山県出身の金谷仙十郎の推挙で警視庁の柔術世話係に着任。ここで講道館の戸張滝三郎を破ったことで、その名は一躍知れ渡ります。以後、約10年間警視庁に在籍しつつ、学校等でも柔道教師を務め、講道館の猛者たちとの対戦を重ねました。横山作次郎の再三の挑戦拒否、西郷四郎の稽古回避、山下義韶の再戦なし、富田常次郎の試合敬遠といったエピソードは、当時の講道館がいかに田辺の存在を警戒していたかを物語っています。

磯貝一との歴史的対戦

田辺の戦績の中でも特に語り草となっているのが、講道館の磯貝一との対戦です。両者は複数回対戦し、特に1899年秋に岡山市で行われた三度目の勝負は、講道館柔道と古流柔術の力関係を示す象徴的な一戦とされています。この試合を前に、磯貝は寝技の猛特訓を積んで田辺に挑みました。試合は寝技の攻防となり、一時は磯貝が田辺を追い詰める場面も見られました。この試合の評判は広く伝わり、この後、講道館柔道の隆盛と古流柔術の衰退がより鮮明になったと言われています。ただし、田辺自身の口述では、この試合は二度目の対戦であり、痔を患っていたのは別の試合であること、また審判の判断で引き分けにされたという異なる見解も示されており、この歴史的対戦には複数の視点が存在します。

後世への貢献と伝説

試合から遠ざかった後も、田辺は柔道界に貢献しました。1906年には大日本武徳会における柔術形制定委員の一人としてその任に当たり、柔道教士号を受けました。1922年には神戸市で遷武館道場を開設し、整復術を営む傍ら、大日本武徳会兵庫県支部で指導し、1927年に範士号を許されました。柔道整復師としても、社団法人兵庫県柔道整復師会の初代会長を務めるなど、その技術と指導力は多方面にわたって活かされました。

柔道評論家のくろだたけしは田辺を「柔術家最後の優れた勝負師」と評しています。また、彼の活躍は、富田常雄の小説『姿三四郎』に登場する桧垣源之助のモデルになったとも伝えられています。田辺又右衛門は、講道館柔道の波に抗いながら、古流柔術の意地と技術を示し、「講道館が最も恐れた男」という異名と共に、日本の武道史に確固たる伝説を残した人物です。

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