築地ホテル館

築地ホテル館

築地ホテル館（つきじホテルかん）は、幕末の慶応4年（1868年）に開業した、日本で最初の本格的な洋式ホテルです。日本の開国が進む中で、外国からの訪問者を迎えるために計画されました。

建設の背景

江戸幕府は、開国政策の一環として、ロンドン覚書により慶応3年12月7日（1868年1月1日）をもって江戸を外国人に開市することを約束していました。江戸開市が実現すれば、多くの外国人が滞在することが予想され、彼らが安心して宿泊できる施設が必要不可欠となりました。この状況に対し、当時のイギリス公使であったハリー・パークスは、幕府にホテル建設の必要性を強く求めました。

これに応じた幕府は、築地船板町にあった軍艦操練所の跡地を建設用地として提供することを決定します。この場所は、現在の築地市場の立体駐車場付近に位置していました。ホテルの設計は、横浜の外国人居留地で土木建築事務所を経営していたアメリカ人のリチャード・ブリジェンスに依頼されました。

ホテル建設にあたり、勘定奉行を務めていた小栗忠順は、画期的な方針を提案しました。彼は、事業を民間に委ねるべきだとし、幕府は土地を無償で提供し、運営によって生じた利益は全て経営者のものとする取り決めを提唱しました。また、建設資金は民間からの出資を募り、その利益は出資額に応じて分配するという、今日の株式会社に近い概念を導入しようとしました。

この幕府の方針に応じ、建設から経営までを一手に引き受けたのが、後の清水建設の礎を築いた二代目の清水喜助でした。

建設と開業

ホテルの建設工事は慶応3年8月9日（1867年9月6日）に着手されました。およそ1年の歳月を経て、慶応4年8月10日（1868年9月25日）に建物は完成します。しかし、この頃の日本は激動の時代を迎えていました。建物が完成する前月には、江戸は東京と改称され（7月17日）、完成翌月には明治と改元される（9月8日）など、幕府は既に瓦解し、新たな時代へと移行していました。

築地ホテル館の正式な開業日は、当初予定されていた江戸開市が遅れたこともあり、明治元年11月19日（1869年1月1日）とされました。これは、予定より1年遅れて実現した東京開市に合わせたものでした。ただし、正式開業に先立ち、仮営業という形で既に宿泊客を受け入れていたと伝えられています。

建物の特徴と開業後の賑わい

完成した築地ホテル館は、地上2階建ての本館（一部3階建てで塔屋付き）と平屋棟で構成され、その規模は延べ床面積1619.7坪（約5354.4平方メートル）に及びました。建物は間口約73.6メートル、奥行き約61.8メートルという壮大なスケールで、客室数は102室を数えました。当時の日本としては極めて先進的な設備を備えており、水洗トイレ、ビリヤード室、シャワー室、そしてバーなどが設けられていました。これは、外国人宿泊客のニーズに応えるため、最新の洋式設備を積極的に導入した結果と言えるでしょう。

その珍しさと壮麗さから、築地ホテル館は開業直後から大きな話題となりました。連日多くの見物人が訪れ、その様子は100種類以上もの錦絵に描かれるほどでした。当時の江戸、そして新たな都となった東京の新しい名所として、多くの人々の注目を集めました。

短い生涯

しかし、築地ホテル館の輝きは長くは続きませんでした。ホテルの建設地となった築地居留地は、期待されたほどには発展せず、外国人訪問者の数も伸び悩み、次第にホテルの経営は厳しさを増していきます。経営を担っていた清水喜助は、明治3年（1870年）にはホテルの経営から手を引かざるを得なくなりました。

その後、明治5年1月14日（1872年2月22日）には、ホテルの建物は海軍へと引き渡されます。しかし、それから間もない明治5年2月26日（1872年4月3日）、銀座方面から発生した大規模な火災、いわゆる銀座大火が築地にまで延焼し、築地ホテル館もその火に巻き込まれて全焼、灰燼に帰してしまいました。開業からわずか4年足らずという、あまりにも短い生涯でした。

築地ホテル館は短命に終わりましたが、日本で初めて本格的な洋式ホテルとして開業し、最新の設備を導入したその存在は、日本のホテル産業の黎明期を飾る重要な出来事として、歴史に名を刻んでいます。

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