簪 (映画)

映画『簪』：戦時下の温泉宿で描かれる人間模様

1941年（昭和16年）に公開された映画『簪』（かんざし）は、松竹が配給した作品で、モノクロ16mmフィルムで制作されました。井伏鱒二の小説『四つの湯槽』を原作とし、清水宏監督が自ら脚色を手がけました。この映画は、夏休みに山中の温泉宿に集まった人々が織りなす人間模様を、一本の簪を巡る騒動を通して描いています。

あらすじ

物語の舞台は、人里離れた山奥の温泉宿（下部温泉）。そこに、蓮華講（日蓮宗の題目講）の一団がやってきます。団体客で賑わう宿の1階に滞在する彼女たちは、村の按摩を多数呼び寄せます。その騒がしさとは対照的に、2階には東京から夏休みを利用してやってきた一癖も二癖もある客たちが滞在していました。

気難しい学者風の片田江先生、傷痍軍人らしい納村青年、若い広安と妻、そして老人と2人の孫。彼らはそれぞれの視点から団体客の騒ぎを眺めています。特に先生は、その騒がしさに不快感をあらわにする一方で、按摩を独占されたことに怒りを募らせます。

騒がしい団体客が去った翌朝、露天風呂で談笑していた客の一人、納村が風呂の底に落ちていた簪で足を怪我してしまいます。宿の亭主はひたすら謝りますが、先生はこれ幸いとばかりに騒ぎ立てます。そんな先生を納村は、「足に簪が刺さったのは、情緒的ですらある」とユーモラスに宥めようとします。

そんな中、簪の落とし主である太田恵美から手紙が届きます。納村が怪我をしたことを知った彼女は、見舞いに来ると電報を打ってきました。先生は、納村が抱いている幻想を壊さないためには、簪の落とし主が美人である必要があると言い出し、広安らを巻き込んで騒動を大きくしていきます。

そしてついに、恵美が宿を訪れます。彼女は納村に謝罪し、二人は芝生で談笑します。その様子を見た先生たちは、「美人で良かった」と安堵します。恵美は他の滞在客らと共に、納村のリハビリを見守りながら宿の2階で宿泊することになります。実は恵美は、東京で愛人生活を送っていましたが、それに嫌気がさして家出してきたのでした。意気投合した2階の客たちは、東京に戻ってからも集まろうと約束しますが、恵美は戻る家がないことを悲しみます。しかし、朝早く起きてラジオ体操や洗濯をする生活に馴染んだ彼女は、迎えに来た友人に「しばらく戻らない」と告げます。

再び蓮華講がやってきて騒音を立てたり、按摩を独占したりする騒ぎを起こし、怒った先生は東京へ帰ってしまいます。広安夫妻も東京へ帰りました。納村も足が治ったら帰ってしまうと不安になる恵美。納村はリハビリを続け、ついに渓流の細い小橋を渡り、石段も登りきれるようになります。そして、老人と孫たち、そして納村もついに宿を去ってしまいます。

一人残された恵美は、納村から届いた誘いの葉書を読み、感慨に耽りながら、納村たちとリハビリや散策をして回った川や野原を歩きます。

キャスト

田中絹代 - 太田恵美：蓮華講の女性
笠智衆 - 納村猛：傷痍軍人らしい青年
斎藤達雄 - 片田江先生：気難しい先生
日守新一 - 広安：若い気弱な男
三村秀子 - 奥さん：広安の妻
河原侃二 - 老人：碁の好きな老人
爆弾小僧 - 太郎：老人の孫
大塚正義 - 次郎：老人の孫
川崎弘子 - お菊：恵美の友人
坂本武 - 宿の亭主

『簪』は、戦時下という時代背景を感じさせながらも、温泉宿という閉鎖された空間で繰り広げられる人間模様を、ユーモラスかつ温かく描いた作品です。田中絹代と笠智衆という、後の日本映画界を代表する俳優たちの若き日の演技も見どころです。

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