美幾

美幾（みき）：日本初の篤志解剖者

美幾（みき、1836年 - 1869年）は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて生きた遊女です。彼女は、梅毒の治療中に自らの遺体を医学研究のために提供することを決意し、日本における最初の篤志解剖者となりました。その生涯は、渡辺淳一の小説『白き旅立ち』や吉村昭の小説『梅の刺青』など、多くの作品で取り上げられています。

生涯

美幾は、1836年（天保7年）に駒込追分（現在の東京都文京区）で生まれました。幼少期から奉公に出ていましたが、父親の負傷により生活が困窮し、遊女となりました。遊廓での生活の中で梅毒に感染し、治療のため黴毒院（東京大学医学部の前身）に入院しました。病状が悪化する中、医師から解剖のための遺体提供を求められ、自らの死期を悟った美幾はこれを受け入れました。父母と兄の連署により、美幾の遺言が東京府に届け出られ、許可されました。ただし、許可書には「厚ク相弔ヒ遣ルベキコト（手厚く弔うこと）」との条件が付されていました。

1869年（明治2年）8月12日、美幾は34歳で亡くなりました。翌日、医学校の仮小屋にて日本初の病理解剖が実施されました。医学校は、美幾の霊を慰めるため、小石川植物園近くの念速寺で葬儀を執り行い、遺族には金10両が贈られました。

美幾の墓は、現在も念速寺に現存しており、墓石には「わが国病屍の始めその志を嘉賞する」という銘が刻まれています。この墓は、1974年（昭和49年）に文京区の指定史跡となりました。

美幾に続き、翌年にはさらに3人の篤志解剖者が現れました。彼らは、金次郎、竹蔵、ムツという名前で記録されていますが、いずれも姓は不明で、貧しい階級の出身と推測されています。彼らも手厚く葬られ、遺族には金3両が贈られました。

「篤志解剖」第一号を巡る議論

医学史家の小川鼎三は、著書『医学の歴史』の中で、篤志解剖の第一号は、洋学者で軍学者でもあった宇都宮三郎であると記述しています。宇都宮は、1868年（明治元年）に重病のため篤志解剖を願い出ましたが、病状が回復したため解剖は行われませんでした。そのため、実際に解剖が行われた人物としては、美幾が「篤志解剖」の第一号となります。

一方、末永恵子は、美幾が「医学校の附属病院に入院していた重症の患者で『貧病人』であった」という当時の記録を指摘し、彼女の意思が本当に自発的なものだったのか疑問を呈しています。

フィクションにおける美幾

美幾の生涯は、小説や映画など様々なフィクション作品の題材となっています。渡辺淳一の小説『白き旅立ち』では、美幾が宇都宮鉱之進と知り合い、解剖についての知識を得た後、自らの遺体を解剖に提供することを決意したという物語が描かれています。また、吉村昭の小説『梅の刺青』では、美幾の腕に刻まれていた梅の刺青に焦点を当て、初期の解剖の歴史を描いています。塚本晋也の映画『ヴィタール』では、主人公の医学生の幻想に登場するヒロインに、美幾のイメージが投影されています。

これらの作品を通して、美幾は単なる歴史上の人物としてだけでなく、人体の神秘や医学の発展に貢献した存在として、今もなお多くの人々に記憶されています。

参考文献

小川鼎三 『医学の歴史』 中央公論社、1964年
籠谷典子編著 『東京ウォーキング No.16 小石川後楽園・植物園コース』 牧野出版、2003年
末永恵子 『死体は見世物か 「人体の不思議展」をめぐって』 大月書店、2012年
横山吉男 『江戸・東京名墓碑ウォーク』 東京新聞出版局、2002年
吉村昭 『島抜け』 新潮社、2002年（『梅の刺青』を収録）
渡辺淳一 『渡辺淳一全集 第2巻 花埋み 白き旅立ち』 角川書店、1996年
『渡辺淳一の世界』 集英社、1998年
小野友道「梅のいれずみ : 篤志解剖第一号 遊女美幾 (いれずみ物語 ; 28)」『大塚薬報』第639号、大塚製薬工場、2008年

外部リンク

登録者文集「私と献体」 日本財団図書館（電子図書館）
東京の医跡 諸澄 邦彦（埼玉県立がんセンター放射線技術部） Web医療科学 医療科学社のホームページ
* 井上芳郎「解剖学と医学：今と昔」『総長室炉辺談話』2002年

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