耳成山口神社

奈良県橿原市に位置する耳成山口神社は、大和三山の一つである耳成山に鎮座する古社です。日本の古代において重要な役割を担った大和国の「山口社六社」の一つに数えられ、特に皇室の宮殿造営などに使われる用材を切り出す際に、その山の安全と恵みを司る神として崇められてきました。

この神社が特異なのは、その鎮座地が山の麓ではなく、耳成山の八合目という比較的高い位置にあることです。一般的な「山口神社」が山麓に祀られることが多いのに対し、耳成山口神社は文字通り山の奥深くに鎮まる神として信仰されてきた歴史がうかがえます。境内には、主祭神のほか、金刀比羅神社、稲荷神社、白龍大神といった様々な神々も共に祀られています。古くから安産の御利益があるとされ、子授けや安産を願う人々からの篤い信仰を集めています。

耳成山口神社の創建時期は詳らかではありませんが、その歴史の深さは様々な古文書から見て取れます。奈良時代の『正倉院文書』に含まれる正税帳には、天平2年（730年）に朝廷から稲が下賜された記録があり、すでにこの頃には国家的な重要性を持つ神社であったことがわかります。また、平安時代に編纂された『延喜式神名帳』では大社として記載され、朝廷から月次祭や新嘗祭の斎行を命じられていたことも記されています。さらに、大同元年（806年）や貞観元年（859年）には、干ばつに際して天皇の遣いが派遣され、雨乞いの神事が行われた記録も残されており、古くから水をも司る神としても信仰されていたことがうかがえます。

近世に入ると、山の管理や所有権を巡る争いが起こります。慶安4年（1651年）頃、耳成山の麓にある山之坊の住民が神木を伐採したことが発端となり、神社を中心とした山の利用権を巡る論争が激化しました。この争いは長期にわたり、元禄15年（1702年）になってようやく、耳成山に鎮座する神は『延喜式神名帳』に記載された「耳無山口神社」である、という形で決着を見ました。この間に、山之坊の住民は神社の神霊を自分たちの村にある山之坊山口神社へ遷座させたとも伝えられています。度重なる争いや、建物の焼失などもあったことから、神社は一時期荒廃していましたが、寛延元年（1748年）8月、耳成村の氏子たちの尽力によって、現在見られる本殿や拝殿が再建されました。以来、耳成山口神社は、石原田、木原、葛本、新賀、常磐、山之坊といった周辺地区の氏神として、地元の人々によって大切に祀られています。

主祭神としては、古事記や日本書紀にも登場する創世神であり、高天原を主宰する最高神の一柱とされる高皇産霊神（高御産巣日神）と、日本神話に登場する山の神であり、国土の生成にも関わる大山祗神が祀られています。これらの祭神からも、耳成山口神社が持つ天地創造や山の守護といった古い信仰との繋がりがうかがえます。

その他、耳成山口神社にはいくつかの特筆すべき点があります。かつて耳成山が「耳無山」とも表記されていた名残として、参道入口の鳥居には「耳無山」と墨書されています。また、江戸時代末期にあたる安政元年（1854年）に奉納された算額が現存しています。これは、当時の庶民の間で盛んだった和算、すなわち日本独自の数学の問題と解法が記されたもので、学術的な関心からも注目されています。これらの遺物からも、耳成山口神社が地域の歴史や文化、信仰と深く結びついてきた軌跡を知ることができます。

現在の耳成山口神社は、耳成山の豊かな緑に囲まれ、静寂の中に鎮まっています。古の時代から山の神として崇められ、幾多の変遷を経て、今もなお安産祈願の社として、また地域の氏神として人々の信仰を集めています。耳成山の自然と歴史の中に息づく古社として、その存在は今日も続いています。

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