聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ

レオナルド・ダ・ヴィンチのドローイング『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』は、ルネサンス期を代表する芸術家による貴重なドローイング作品です。この作品は、8枚の紙を貼り合わせたものに、木炭と白黒のチョークで描かれています。現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されており、その大きさから絵画作品の原寸大下絵として制作されたと考えられています。しかし、このドローイングを直接の下絵としたレオナルドの絵画作品は存在しません。

構図と主題

作品には、聖母マリアが母である聖アンナの膝に座り、その右にはキリストの従兄弟である幼児聖ヨハネが立っている様子が描かれています。この構図は、15世紀のフィレンツェ絵画によく見られる「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」と「聖母子と聖アンナ」という二つの主題を組み合わせたものです。人物像の複雑な配置は、レオナルドの初期作品『ブノアの聖母』を彷彿とさせます。

マリアとアンナの膝はそれぞれ反対方向を向いており、マリアの下半身は左へ、上半身は右へと流れるような動きが表現されています。この動きは、身体のねじれと幼児キリストの動きが呼応しています。キリストの身体はほぼ水平に伸ばされ、上半身は下向きにねじれており、この特異なポーズは未完の『東方三博士の礼拝』や、聖母子と猫を描いた習作にも見られます。マリアとアンナの顔は親しげに寄り添っていますが、上半身の描写が明確に分けられていないことから、同じ身体の習作から顔だけを変えて描き写された可能性も指摘されています。

人物の視線と象徴

この作品における人物たちの視線は密接に関連しており、重要な意味を持っています。アンナは娘マリアを愛情深く見つめ、マリアはキリストを見つめています。キリストは洗礼を施す運命にある従兄弟ヨハネの頭上に手をかざし、祝福を与えています。ヨハネはキリストからの祝福を敬虔に受け入れています。アンナの人差し指は天を指し示しており、祝福が天国に由来することを示唆しています。この指の仕草は、レオナルドの他の作品にも見られる特徴的な表現です。

下絵としての役割と作品の独自性

原寸大の下絵であれば、通常は板に張り付けられ、輪郭に沿ってピンで穴をあけたり、薄く切り込みを入れて支持体に写し取る作業が行われます。しかし、『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』には、そうした痕跡が見られないため、単なる下絵としてではなく、美術作品として保管されたと考えられています。レオナルドはこのドローイングを直接の下絵とした絵画作品は制作しませんでしたが、類似した構図の作品として、ルーヴル美術館所蔵の『聖アンナと聖母子』があります。また、弟子の作品にもこのドローイングの影響が見られます。

来歴

この作品の制作年と場所は明確にはわかっていません。最初に言及したのは、16世紀の美術史家ジョルジョ・ヴァザーリの著書『画家・彫刻家・建築家列伝』です。ヴァザーリによれば、この作品はレオナルドがフィレンツェの修道院に滞在中に制作が開始され、多くの人々が見物に訪れたとされています。

制作年については、1499年から1500年頃、あるいは1506年から1508年頃という説があり、多くの研究者が1506年から1508年説を支持していますが、ナショナル・ギャラリーは1499年から1500年説を採用しています。17世紀にはミラノの貴族アルコナティ伯爵家が所蔵していましたが、その後、個人所有を経て1791年以前にロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの所有となりました。そのため、『バーリントン・ハウスの下絵』とも呼ばれることがあります。

ナショナル・ギャラリーでの購入と事件

1962年、ナショナル・ギャラリーは80万ポンドでこの作品を購入しました。この購入には、多くの人々からの寄付とアートファンドの協力がありました。しかし、購入後には事件も起こりました。1962年にはインク壺が投げつけられ、1987年にはショットガンで銃撃される事件が発生しました。これらの事件で作品は損傷しましたが、修復によって現在は良好な状態を保っています。

まとめ

『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』は、レオナルド・ダ・ヴィンチの卓越した技術と深い精神性が込められた作品です。その複雑な構図と人物の表現、そして謎めいた来歴は、多くの人々を魅了し続けています。この作品は、ルネサンス美術の傑作として、これからも長く語り継がれていくことでしょう。

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