聖ロクスの栄光

『聖ロクスの栄光』：ティントレットの革新的な天井画

『聖ロクスの栄光』（San Rocco in Gloria）は、ルネサンス期のヴェネツィア派を代表する画家ティントレットが、1564年に制作した油彩画です。この作品は、ペスト患者の守護聖人である聖ロクスを主題とし、ヴェネツィアのサン・ロッコ大同信会アルベルゴの間の天井画として描かれました。ティントレットが同信会の装飾事業を担う上で、重要な足掛かりとなった作品としても知られています。

聖ロクスとは

聖ロクスは、14世紀のペストの大流行を経て、15世紀にペスト患者の守護聖人として広く信仰されるようになりました。彼はモンペリエ出身で、両親を亡くした後、ローマ巡礼の旅に出ました。各地でペスト患者の看病に尽力し、ローマではペストを患った枢機卿を救ったと伝えられています。帰郷の途中、ペストに感染し、森に隠棲しましたが、貴族ゴッタルドに救われ、回復。その後、不審な人物として投獄され、獄中で亡くなりました。死後、彼の遺体の周りで奇跡が起こったとされ、教会に葬られました。

制作の背景

本作は、サン・ロッコ大同信会のアルベルゴの間（高位メンバーが集まる広間）の天井画として制作されました。アルベルゴの間は、重要文書や財産、聖遺物などが保管される重要な場所でしたが、長らく本格的な装飾は行われていませんでした。ティツィアーノ・ヴェチェッリオによる壁画の提案も実現しませんでした。しかし、1564年、同信会は天井画の発注を決定し、コンペティションを開催しました。参加者は、ティントレットの他、ジュゼッペ・ポルタ、フェデリコ・ツッカリ、パオロ・ヴェロネーゼ、アンドレア・スキャヴォーネら、錚々たる画家たちでした。

コンペティションでは、参加者が1ヶ月以内に素描を提出することになっていましたが、ティントレットは驚くべき行動に出ます。彼は、天井画の正確なサイズを調べ、完成した『聖ロクスの栄光』を密かに審査前日に持ち込み、天井に設置してしまいました。他の参加者が素描を提出する中、ティントレットは完成作を公開したのです。この行動に同信会は激怒しましたが、ティントレットは、これが自身の制作方法であり、素描やモデロもこの様に作成すべきだと主張しました。さらに、報酬を支払う意思がないのであれば、作品を寄贈すると申し出ました。

最終的に、同信会はティントレットの申し出を受け入れ、作品の撤去を拒否しました。その後、ティントレットは無報酬で天井画の装飾全体を制作し、翌年には同信会の正規会員となりました。1565年から1567年にかけては、壁面装飾として大作『磔刑』や『カルヴァリオへの道』などを制作し、その後も同信会の装飾に携わり、生涯で68点もの作品を手がけました。

作品の特徴

『聖ロクスの栄光』では、天使たちの間に立つ聖ロクスが描かれています。聖人の頭上には、父なる神が両手を広げて現れ、聖歌隊を構成する9人の天使も描かれています。サン・ロッコ教会のために制作した連作では、聖ロクスの旅の物語が描かれているのに対し、本作品では天国で神と対面する聖ロクスが描かれています。

父なる神の姿は、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂天井画に描いた創造主を彷彿とさせ、天国に到達した聖ロクスと神の邂逅は、ティツィアーノの祭壇画『聖母被昇天』を想起させます。聖ロクスや天使たちは、天井の開口部の縁に立っているように見え、極端な短縮法で描かれています。この非ヴェネツィア派的なイリュージョニスムは、アンドレア・マンテーニャの天井画に影響を受けていると考えられています。

絵画にはウルトラマリンなどの高品質な顔料が使用されており、色彩が鮮やかで、現在も当時の輝きを保っています。『聖ロクスの栄光』は、16点の寓意画に囲まれており、四隅には四季の寓意画、各辺には3点ずつの寓意画が配置されています。そのうち5点は、当時のヴェネツィアに存在した6つの大同信会の寓意となっています。

まとめ

『聖ロクスの栄光』は、ティントレットの革新的な才能を示すだけでなく、同信会との関係を深め、その後の装飾事業の展開を決定づけた重要な作品です。大胆な構図、鮮やかな色彩、そしてドラマチックな表現は、見る者を圧倒し、バロック絵画への道を開いたと言えるでしょう。

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