英国病

英国病：衰退神話と現実の狭間

1960年代以降のイギリスは、経済停滞や社会問題の多発から「英国病」と揶揄されました。充実した社会保障制度や国有化政策が、意欲の低下や国際競争力の減退につながったという見方です。しかし、その実態は複雑で、単純な「病」として片付けるには無理があります。この記事では、英国病の背景、症状、治療、そして近年の見直しまで、多角的に解説します。

社会保障制度と国有化：ゆりかごから墓場まで？

第二次世界大戦後、イギリスは「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる包括的な社会保障制度を構築しました。国民保健サービス（NHS）による無料医療、老齢年金、失業保険などが整備され、国民の生活基盤は向上しました。同時に、アトリー内閣は石炭、電力、鉄鋼など基幹産業の国有化を進めました。これらの政策は、社会福祉の充実と雇用の安定をもたらす一方で、社会保障負担の増大や官僚主義の蔓延、非効率性といった問題も引き起こしました。保守党政権下では一部産業の民営化が行われましたが、労働党政権下で再び国有化されるケースもみられ、政策の揺らぎが見られました。

国際競争力の低下と労使紛争：ヨーロッパの病人

国有化政策や産業保護政策は、イギリス企業の国際競争力を弱体化させました。海外への資本流出、技術開発の遅れ、国有企業の経営悪化などが進み、製品の品質低下や輸出減少、輸入増加、そして慢性的な国際収支赤字という悪循環に陥りました。特に自動車産業は、ストライキの多発と日本車の台頭により深刻な打撃を受けました。これらのことから、1960～70年代のイギリスは「ヨーロッパの病人」とまで呼ばれ、経済停滞は深刻な問題となりました。

オイルショックとスタグフレーション：財政悪化のスパイラル

1970年代のオイルショックは、イギリス経済に追い打ちをかけました。スタグフレーション（経済停滞と物価上昇の同時発生）に陥り、失業率は増加、生産性は低下、ポンド安が進行しました。財政赤字は拡大し、国債残高も増加。ついにIMF（国際通貨基金）からの融資を要請する事態に陥り、財政支出削減や公務員給与抑制を迫られました。

病の症状：意欲低下と労働争議

極めて高い累進課税制度や手厚い失業保険は、勤労意欲の低下につながったとの指摘があります。労働組合の勢力も強く、大規模なストライキが頻発。1978年末から1979年にかけての「不満の冬」では、医療、教育、ゴミ収集など公共サービスが麻痺し、社会不安はピークに達しました。

サッチャー改革：鉄の女の処方箋

1979年、保守党のサッチャー首相が誕生します。「鉄の女」と呼ばれた彼女は、国有企業民営化、金融引き締め、財政支出削減、税制改革、規制緩和、労働組合の弱体化などを断行しました。これらの政策は「英国病」の克服に一定の成果を上げましたが、失業率増加や社会的不平等拡大といった副作用も伴い、現在でも評価は分かれています。

北海油田と「英国病克服宣言」

1980年代以降、北海油田からの原油輸出が拡大。イギリスは欧州最大の原油輸出国となり、財政赤字は解消、経済成長も回復しました。ブレア政権下では「英国病克服宣言」が出され、「クール・ブリタニア」構想も推進されました。しかし、北海油田の産出量減少により、イギリスは再び原油純輸入国となっています。

英国病：幻影か現実か？

近年の研究では、「英国病」そのものが幻影であったとする見解も出ています。製造業の衰退は、サッチャー改革後も継続しており、経済を支えるのは金融・サービス業である「シティ」のみ。産業構造の変化を、単なる「病」として捉えるべきではないという議論です。

結論

「英国病」は、社会保障制度、国有化、オイルショック、労働争議など、様々な要因が複雑に絡み合った結果として発生した現象です。単純な病名では片付けられない複雑な歴史的経緯があり、その評価も時代や立場によって大きく異なることを理解する必要があります。北海油田の存在も、イギリス経済に大きな影響を与えたことは事実ですが、単なる「万能薬」ではなかったこともまた事実です。現在も続く経済・社会問題の解決に向けて、イギリスは新たな課題に直面しています。

もう一度検索