菱川善夫

菱川 善夫（ひしかわ よしお）

1929年6月3日に生まれ、2007年12月15日に永眠した菱川善夫は、日本の歌人、文芸評論家、そして国文学者として多岐にわたる活動を展開しました。特に戦後の短歌史において、前衛短歌と呼ばれる新しい潮流を批評という立場から積極的に擁護し、その理論的な支柱としての役割を担ったことで知られています。また、教育者としても長く教鞭を執り、北海学園大学名誉教授の称号を得ています。

北海道小樽市出身。旧制小樽中学（現在の北海道小樽潮陵高等学校）を卒業後、1953年に北海道大学文学部国文学科を卒業、1958年には同大学院文学研究科博士課程を単位取得満期退学しました。教育者としてのキャリアは、1957年の北海道苫小牧西高等学校教諭から始まり、その後、北海道札幌西高等学校教諭、旭川工業高等専門学校助教授を経て、1969年に北海道工業大学助教授に就任。1972年には教授に昇任しました。1977年からは北海学園大学に移り、教養部教授、人文学部教授として教壇に立ち続けました。大学では教養部長、学生部長、附属図書館長、さらには人文学部長や大学院文学研究科長といった要職を歴任し、教育機関の運営においても重要な役割を果たしました。2004年に北海学園大学を退職し、名誉教授の称号を授与されています。

学問的な基盤は、大学時代に風巻景次郎門下で「八代集」などの古典和歌研究を深めたことにあります。特に『古今和歌集』や『新古今和歌集』といった日本の古典文学における重要な歌集を積極的に再評価する姿勢を示しました。学生時代から短歌にも親しみ、「新墾」「潮音」といった短歌結社に所属し、小田観螢に師事しました。しかし、彼の主要な活動は自らの作歌以上に「批評」の分野にありました。

評論家としての評価は早くから確立され、1954年には処女評論集『敗北の抒情』によって第1回現代短歌評論賞を受賞しました。この受賞は、その後の批評活動における重要な契機となります。塚本邦雄、岡井隆、寺山修司、春日井建、葛原妙子など、当時の気鋭の前衛歌人たちが生み出す新しい表現を強く支持し、論理的な基盤を提供することで、前衛短歌運動の推進力となりました。その批評は、新しい時代の短歌が持つ可能性を問い続け、多くの歌人や読者に影響を与えました。

全国的な名声を得る一方で、菱川氏は生涯活動の拠点を故郷である北海道、特に札幌に置き続けました。北海道青年歌人会を主宰するなど、地元の短歌文化の振興と発展に多大な功績を残し、北海道短歌界の中心人物として活躍しました。こうした地域文化への貢献が認められ、1979年には第7回札幌市民文化奨励賞を受賞しています。また、北海道新聞短歌賞の選考委員を務めたほか、1992年からは15年間にわたって北海道新聞にコラムを連載するなど、活発な言論活動を展開しました。

評論家としての顔が強く印象付けられていますが、自身は昭和30年代以降は批評に専念し、歌作は止めていると公言していました。しかし、実際には断続的に密かに歌を作り続けており、彼の没後、初めての歌集が刊行されたことは、彼の内なる歌人としての側面を明らかにする出来事でした。その広範な研究と批評活動は、全10巻におよぶ『菱川善夫著作集』（沖積舎）にまとめられています。また、門下からは、同じく現代短歌評論賞を受賞した北海学園大学教授の田中綾氏が出ています。

菱川善夫は、批評家、研究者、教育者として、戦後日本の短歌史、文芸批評史に確固たる足跡を残した人物であり、特に前衛短歌の展開においては欠かせない存在です。その活動は、中央のみならず、北海道という地域における文化の発展にも深く貢献しました。

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