蛤岳
蛤岳と蛤水道
佐賀県北部に位置する蛤岳は、標高862.8mの山で、脊振山系に属しています。山頂には、蛤が殻を開いたように見える巨石「蛤岩」があり、その特異な形状が山の名前の由来となっています。
蛤水道
蛤岳の山腹には、江戸時代初期に佐賀藩の家臣、成富茂安によって築かれた蛤水道が現存しています。この水道は、筑後川水系の田手川へと水を供給する重要な役割を果たしています。1626年に建設されたこの人工水路は、蛤岳の北東斜面にある水源から、約1.5kmの導水路を経て田手川へと水を導く仕組みです。特に、「野越し」というオーバーフロー設備が特徴で、大雨の際に水路が崩壊するのを防ぐ工夫が凝らされています。
2010年には、その歴史的・技術的価値が認められ、土木学会選奨土木遺産に認定されました。蛤水道は現在も機能しており、その一部は九州自然歩道の一部として、多くのハイカーに利用されています。
蛤水道にまつわる悲しい伝承
蛤水道には、悲しい伝承が残されています。水路建設の結果、筑前側の大野集落で水不足が発生し、集落の住民は水道を破壊しようとしました。その際、警備を欺くために選ばれた「お万」という女性が、連れていた乳飲み子を滝壺に捨て、自らも池に身を投げたという悲しい物語です。この伝承から、子を捨てた滝を「稚児落としの滝」、お万が身を投げた池を「お万ヶ池」と呼ぶようになり、現在もその名が残っています。
また、別の伝承によると、水不足に陥ったのは大野集落ではなく、大野川下流の那珂川流域の平野部だったとも言われています。この伝承では、「お万」は水路の変更を謀りに来た女性とされています。
これらの伝承によれば、蛤水道の工事は、周辺地域の住民にとって、大きな影響があったことが伺えます。水路の完成後も、水路のメンテナンスを行う際には、「お万」の霊が現れ、雨を降らせたり曇らせたりして作業を妨げると言われています。
水路の改修と現在の状況
蛤水道は、江戸時代から現在に至るまで、藩や市町村によって維持・改修が行われてきました。昭和27年には、水路全体がコンクリート造に改修されました。この改修前は、素掘りの水路であり、現在より数メートルずれた場所にあったと考えられています。平成元年には、当時の東脊振村によって水路整備工事が行われ、上流端に枡形コンクリート取水導水路が設置されました。これにより、蛤岳山頂から流れてくる小川から取水し、小さな井堰を形成する構造に変わっています。この改修により、大野川にも常に一定量の水が流れるようになりました。
以前は、大野川本流を堰き止めて大きなため池があったとも考えられていますが、正確な構造は不明です。また、渇水時には、水路側から大野川側へ水を流すこともあったとされています。
現在、大野川下流には五ヶ山ダムが建設され、那珂川本流と支流の大野川が直接ダムに流入しています。
国境争論
蛤水道の建設後、脊振山頂付近で国境をめぐる争いが発生し、元禄6年（1693年）に幕府の裁定が下されました。この争論では、蛤岳付近の国境についても議論されましたが、裁定に影響はありませんでした。なお、天正11年（1583年）には、領地争いが起こり、現在の国境（筑前・肥前界）が決着しています。
まとめ
蛤岳とその山腹を流れる蛤水道は、地域の歴史と文化を伝える貴重な遺産です。蛤水道は、その技術的価値だけでなく、悲しい伝承や地域住民の生活を支えてきた歴史など、多くの側面から私たちに多くのことを語りかけてくれます。この美しい自然と歴史が共存する場所を、ぜひ訪れてみてください。
参考文献
- - 角田清美「山を越えて流れる蛤水道」『駒澤地理』第39巻、駒澤大学文学部地理学教室、2003年3月
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