計見一雄

計見一雄（けんみかずお、1939年 11月1日 - 2023年3月29日）は、日本の精神科医。長年にわたり精神科医療の現場で活躍し、特に精神科救急医療体制の構築と普及に尽力した。また、精神病理学や現代精神医学に対する批判的な視点から数多くの著作を発表し、精神医療のあり方について深く考察を重ねた。

経歴

計見一雄氏は1939年に東京に生まれた。教育は名門校で受け、麻布中学校、灘高等学校を経て千葉大学医学部に進学した。1969年には同大学の大学院医学研究科を修了し、「思春期心性と精神障害との関連に関する精神医学的研究」で医学博士の学位を取得している。この博士論文のテーマからは、この時期から精神病理学や発達期の精神問題に関心を寄せていたことがうかがえる。

臨床医としてのキャリアは、医療法人同和会千葉病院での副院長職から始まった。その後、千葉県精神科医療センターに移り、およそ20年間にわたりセンター長という重責を担った。この期間、日本の精神医療が抱える課題、特に緊急性の高い精神疾患への対応体制の構築に尽力したことは特筆される。精神科救急医療の専門家として、その草分け的な役割を果たし、日本精神科救急学会では理事長を務めるなど、学会活動を通じてもこの分野の発展に貢献した。臨床現場での豊富な経験に基づいた実践的な視点は、後進の育成や医療体制の改善に大きく寄与した。晩年は社会医療法人公徳会佐藤病院の顧問を務めた。

思想と著作

計見氏の精神医学に対する姿勢は、単なる病気の診断・治療に留まらず、人間全体を捉えようとする広範な視点に特徴がある。初期の著作『インスティテューショナリズムを超えて精神科医からのメッセージ』（1979年）からは、当時の精神科病院のあり方に対する問題提起や、より人間的な医療を目指す思想が読み取れる。

特に精神科救急医療の実践と哲学を融合させた著作が多く、『精神救急ハンドブック』（1992年）は、その具体的なノウハウを提供する一方で、『急場のリアリティ救急精神科の精神病理と精神療法』（2010年）では、緊急状態にある患者の内的な世界や、そこでの治療的な関わりについて深く掘り下げている。

また、精神医学自体の歴史や理論に対する批判的な考察も重要である。『統合失調症あるいは精神分裂病精神医学の虚実』（2004年）や『現代精神医学批判からだに触ってください』（2012年）では、現代精神医学の診断体系や薬物療法に偏りがちな現状に対し、警鐘を鳴らしている。特に、精神現象を脳の機能異常のみに還元する傾向に対して、「からだに触ってください」という言葉に象徴されるように、身体性や人間全体の経験に根差した精神医学の重要性を訴えた。

脳科学や哲学にも深い関心を寄せ、『脳と人間大人のための精神病理学』（1999年）、木田元氏との共著『精神の哲学・肉体の哲学』（2010年）、G.レイコフらの翻訳『肉中の哲学』（2004年）などは、彼の学際的な視点を示している。晩年の著作『こころは内臓であるスキゾフレニアを腑分けする』（2018年）は、精神疾患を身体全体との関連で捉え直そうとする、彼の到達点とも言える一冊である。

計見一雄氏の業績は、実践的な精神科救急医療の推進から、精神病理学、脳科学、哲学に及ぶ幅広い分野での探求、そして現代精神医学への鋭い批判まで、多岐にわたる。その著作は、精神医療に関わる専門家だけでなく、広く一般の人々に対しても、人間の心と身体、そして精神疾患について深く考える機会を与えている。

主な著作

『インスティテューショナリズムを超えて精神科医からのメッセージ』星和書店 1979年
『精神救急ハンドブック精神科救急病棟の作り方と使い方』新興医学出版社 1992年
『こころのくすり正しくのんで、早く治そう』保健同人社 1994年
『脳と人間大人のための精神病理学』三五館 1999年（のち講談社学術文庫）
『統合失調症あるいは精神分裂病精神医学の虚実』講談社選書メチエ 2004年（のち講談社学術文庫）
『戦争する脳破局への病理』平凡社新書 2007年
『急場のリアリティ救急精神科の精神病理と精神療法』医療文化社 2010年
『現代精神医学批判からだに触ってください』平凡社 2012年
『こころは内臓であるスキゾフレニアを腑分けする』講談社選書メチエ 2018年

主な共編著

『スタンダード精神科救急医療』編著メヂカルフレンド社 1998年
『精神の哲学・肉体の哲学形而上学的思考から自然的思考へ』木田元共著講談社 2010年

主な翻訳

G.レイコフ、M.ジョンソン著『肉中の哲学肉体を具有したマインドが西洋の思考に挑戦する』哲学書房 2004年
* エルスペス・キャメロン・リチー, パトリシア・J・ワトソン, マシュー・J.フリードマン編『巨大惨禍への精神医学的介入自然災害・事故・戦争・テロ等への専門的備え』鈴木満共監訳弘文堂 2013年

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