諸人登山

葛飾北斎が描いた『冨嶽三十六景』は、46図からなる名所浮世絵揃物として知られています。その中で唯一、富士山頂そのものを描いた作品が「諸人登山」です。北斎の落款には「前北斎為一筆」と記されています。

『冨嶽三十六景』の刊行順序は明確な資料がなく不明瞭ですが、落款や他の作品との様式的な違いから、「諸人登山」がシリーズの最終作であったと考えられています。この作品は、富士信仰に基づく富士講の巡礼者たちの姿を捉えたものです。

絵画の中央には、富士山の山頂、特に剣ヶ峰へと続く駒ヶ嶽周辺の険しい地形が描かれています。馬の背に相当する急峻な坂道には梯子がかけられ、巡礼者たちはそれを伝って登っています。画面には、金剛杖を携え行衣を身につけた人々が多数描かれ、様々な様子が見て取れます。必死に登る者、岩室で身を寄せ合う者、疲れ果てて座り込む者など、彼らの努力と疲労がリアルに表現されています。

絵の左側はやや赤みを帯びて輝いており、岩室にも薄明かりが差し込んでいます。このことから、日の出直前の早朝であることが推測されます。巡礼者たちは、山頂の噴火口を一周するお鉢巡りをしていると考えられています。

北斎は『冨嶽三十六景』以外でも富士を題材にした作品を多く残しており、その強い関心がうかがえます。例えば、後年の絵本『富嶽百景』でも、「不二の山明キ」「辷リ」「不二の室」「八堺廻の不二」といった、富士講に関連する題材が取り上げられています。これは、北斎が富士講とその信仰、そして富士山登山に強い関心を持っていたことを示唆するものです。

「諸人登山」は、単なる風景画ではなく、富士信仰と人々の姿を融合させた、北斎の深い観察眼と表現力が凝縮された傑作と言えるでしょう。富士山頂という壮大な自然と、それを目指す人々の姿の対比が、見る者に強い印象を与えます。富士山登山の厳しさ、そして信仰の篤さ、それら全てが一枚の絵の中に凝縮されているのです。この作品は、単なる風景画を超えて、信仰と人間の営みのドラマを描き出した、北斎の芸術性の高さを示す重要な作品の一つです。

参考文献
日野原健司『富嶽三十六景』岩波書店、2019年。ISBN 978-4-00-335811-5。
磯崎康彦「北斎の風景・風俗版画」『福島大学人間発達文化学類論集』 34巻、福島大学人間発達文化学類、2021年、124-109頁。http://hdl.handle.net/10270/5478。

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