責任ある漁業

責任ある漁業

「責任ある漁業」とは、1995年10月31日に開催された第28回国連食糧農業機関（FAO）総会において採択された「責任ある漁業のための行動規範（Code of Conduct for Responsible Fisheries）」を基盤とする漁業政策上の概念です。この理念の核心は、単に魚を獲るだけでなく、環境を保護し、将来にわたって水産資源を利用し続けられるよう配慮することにあります。それは、他からの強制ではなく、漁業に関わる全ての国や人々が自らの責任において主体的に取り組むことを期待されています。

行動規範にみる理念

「責任ある漁業」の具体的な内容を理解するためには、その根拠となる「行動規範」を紐解く必要があります。この規範は、条約や協定のように条文形式で記述されていますが、法的な拘束力を持たない自主的な国際規範と位置づけられています。全部で12条から構成されており、その内容は以下の通りです。

第1条：規範の性質と範囲
第2条：規範の目的
第3条：他の国際的な枠組みとの関係
第4条：実施・モニタリング・更新
第5条：発展途上国の特別な要求事項
第6条：一般原則
第7条：漁業管理
第8条：漁業操業
第9条：養殖開発
第10条：沿岸域管理への漁業の統合
第11条：漁獲後の漁獲物の処理と貿易
第12条：水産研究

特に、この規範の中核を成すのが第6条の「一般原則」です。この一般原則は19の項目からなり、漁業の権利と資源保存の義務の両立、持続的開発の実現、過剰漁獲の抑制、科学的知見の重視、予防的アプローチの適用、漁具選択性の向上、混獲削減、生息地の保護、生態系への配慮、沿岸域との調和、監視・取締、国際協力、意思決定への関係者参加など、責任ある漁業を実践するための基本的な考え方を具体的に示しています。

理想的にはこれらの原則を満たす漁業が「責任ある漁業」とされますが、実際の漁業の形態や状況は多様であり、漁業者や管理者が現場の実情に合わせて理念の実現方法を模索していくことが求められています。

理念成立の背景

「責任ある漁業」の理念は、1990年代初頭にかけての世界的な漁業を取り巻く危機感の中で生まれました。主要な水産資源の過剰な漁獲による枯渇、漁業が生態系に与える悪影響、それに伴う経済的な損失や国際的な貿易摩擦などが深刻化し、漁業全体の持続可能性が危ぶまれる状況に直面していました。

こうした背景から、1991年のFAO水産委員会では、持続可能な漁業のための新しい理念と行動規範の策定がFAOに勧告されました。これを受け、1992年にはメキシコで開催された「責任ある漁業に関する国際会議（カンクン会議）」において、「カンクン宣言」が採択され、「責任ある漁業」が環境との調和、資源利用、加工、流通を含めた包括的な概念として提示されました。この会議は、FAOに対して国際行動規範の策定を正式に要請しました。同年開催された「環境と開発に関する国連会議（UNCED）」やFAOの技術会合でも、責任ある漁業への取り組みとFAOの役割が確認され、規範策定への機運が高まりました。これらの国際的な合意と勧告に基づき、FAOは「一般原則」を皮切りに規範の策定を進め、1995年10月の総会で正式に採択に至ったのです。また、違法漁業対策としての「公海上の漁船による国際的な保存・管理措置の遵守を促進するための協定（フラッギング協定）」も並行して策定され、行動規範と密接に関連するものと位置づけられました。

世界各地での普及と実践

「責任ある漁業」の重要性は、その後も国際会議（1995年京都会議、1996年世界食料サミットなど）で繰り返し確認され、その普及と実践に向けた様々な取り組みが展開されています。

FAO自身は、規範の理念を具体化するため、過剰漁獲能力の管理、海鳥やサメ類の混獲削減、IUU（違法・無報告・無規制）漁業対策などに関する複数の国際行動計画を策定し、関連国にその実施を促しています。さらに、漁業関係者が規範を実践する上で役立つ「責任ある漁業のための技術指針」を多岐にわたる分野（漁業操業、養殖、管理、貿易など）で多数（現在29種類以上）作成・提供しています。

各国・地域レベルでも、規範の実施に向けた取り組みが進んでいます。米国やカナダのように独自の国内行動規範や実施計画を策定する国もあれば、多くの国々がFAOの国際行動計画に対応する形で国内計画を策定し、具体的な対策に取り組んでいます。地域漁業管理機関（RFMOs）も、それぞれの管轄海域や魚種に対し、科学的根拠に基づく資源管理措置や違法漁業対策、混獲防止策などを実施し、地域の責任ある漁業を推進しています。

貢献者の顕彰：マルガリータ・リザラガ・メダル

FAOは、「責任ある漁業のための行動規範」の適用と普及に顕著な貢献をした個人や組織の功績を称えるため、「マルガリータ・リザラガ・メダル」を創設しました。このメダルは、規範の策定や途上国での漁業振興に尽力した故マルガリータ・サウセード・リザラガ博士にちなんで名付けられ、1999年以降、2年ごとに授与されています。受賞者には、規範の普及啓発に取り組んだNGO（NAFSO, ICSF）、国内規範を策定した団体（カナダ）、特定の混獲削減に成功した国際プログラム（AIDCP）、地域ガイドラインを作成した国際機関（SEAFDEC, NACA, OSPESCA）、IUU漁業対策に取り組んだ組織（SIF WG）、生態系保全に配慮した管理を行うRFMO（CCAMLR）、漁業調査・管理能力向上に貢献した調査船（Dr Fridtjof Nansen号）など、多岐にわたる主体が含まれており、「責任ある漁業」が多様な形で世界中で実践・推進されていることを示しています。

課題と展望

「責任ある漁業」の理念は国際的に広く受け入れられていますが、その完全な実践には依然として課題が存在します。例えば、一部では環境保護を求める声に対して、漁業活動への不当な制約と捉え、国際的な議論や規制強化への関与に消極的な姿勢が見られるケースもあります（日本の事例として、国際的なマグロ管理や海洋保護区設定に関する会議への対応などが指摘されています）。しかし、水産資源の持続的な利用と漁業の将来的な安定のためには、国際的な枠組みの中で積極的に責任を果たし、科学的知見に基づいた管理、生態系への配慮、関係者の協調といった規範の原則を着実に実行していくことが不可欠です。「責任ある漁業」は、単なる資源管理に留まらず、漁業の社会経済的な側面や、世界的な食料安全保障にも深く関わる包括的な概念として、今後もその重要性が増していくと考えられます。

参考文献など

もう一度検索