鍵 (谷崎潤一郎)

鍵：嫉妬と欲望の螺旋

谷崎潤一郎の長編小説『鍵』は、老いた大学教授とその妻、そして周囲の人物たちの複雑な愛憎関係を、日記という形式を通して描いた作品です。読者の視線も日記を盗み読む行為に加担させられる巧みな構成が、物語全体に独特の緊張感と魅力を与えています。

物語の中心となるのは、老学者とその妻、郁子です。学者は嫉妬心から性的な興奮を覚え、その欲求を満たすため、妻を若い教師、木村に近づけようと画策します。彼のこの企みは、酔った妻を木村に浴室から運ばせたり、裸体の撮影を依頼するなど、大胆かつ歪んだ行動に表れます。学者は自身の行動を日記に克明に記録していく一方、妻もまた、夫には内緒で自身の思いを日記に綴ります。

学者は、郁子に自分の日記を読ませたいという願望を日記に記し、わざと鍵を落として彼女の盗み読みを誘います。しかし、郁子は夫の日記には興味を示さず、逆に学者の性的な興奮を煽るため、木村との距離を近づける行動をとります。この行動は、学者の嫉妬心をさらに煽る結果となり、彼の不健全な生活はエスカレートしていきます。

一方、敏子（学者の娘）は、父による不倫強要への反発を抱いている様子が郁子の日記から伺えます。しかし、物語の終盤で明かされる真実によって、敏子の行動もまた、複雑な思惑が絡み合っていることが示唆されます。

学者は性欲を満たすために不摂生を続け、健康を害していきます。医者の忠告も無視し、欲望に突き動かされて自滅への道を辿ります。そして、遂に病に倒れ、死を迎えます。

夫の死後、郁子は自身の真実を明らかにします。彼女は以前から夫の日記を盗み読んでおり、夫も自身のものを盗み読んでいることを知っていたのです。さらに、夫を性的に興奮させ、不摂生に走らせて死に至らしめるため、日記に嘘を書いていたことも告白します。そして、敏子もまた、この計画に協力していたことが明らかになります。実は敏子は積極的に木村と肉体関係を持ち、その関係は、世間体を気にする木村と郁子の思惑によって、形式的な結婚へと繋がっていく計画が進行中であったのです。

この物語は、単なる不倫劇ではなく、嫉妬、欲望、そして人間の歪んだ心理が複雑に絡み合った人間ドラマです。日記という形式を通して、読者は登場人物たちの隠された感情や思惑に深く入り込み、彼らの行為の背後にある動機を考察させられます。

『鍵』は、1956年に『中央公論』に連載され、その後単行本として出版されました。棟方志功による装丁も話題となり、その後も何度も映像化されているなど、多くの読者や批評家を魅了し続けている谷崎潤一郎の代表作の一つです。市川崑、神代辰巳、池田敏春など、多くの著名な監督によって映画化され、テレビドラマや漫画にも作品が展開されています。その度に新たな解釈が加えられ、作品は時代を超えて人々の心に訴えかけ続けています。


参考文献

谷崎潤一郎『鍵・瘋癲老人日記』（改）新潮文庫、2001年6月。ISBN 978-4-10-100515-7。  初版1968年10月
笠原伸夫 編『新潮日本文学アルバム7 谷崎潤一郎』新潮社、1985年1月。ISBN 978-4-10-620607-8。 
* 『文藝別冊 谷崎潤一郎――没後五十年、文学の奇蹟』河出書房新社〈KAWADE夢ムック〉、2015年2月。ISBN 978-4309978550。 

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