香取環

香取環：ピンク映画黎明期を彩った伝説の女優

香取環（かとりたまき、1938年10月21日 - 2015年 10月12日）は、日本の映画女優。本名・久木登紀子、また佐久間しのぶの別名でも活動した彼女は、特に1960年代から1970年代初頭にかけて、黎明期のピンク映画界で傑出した存在として知られています。日本で初めて本格的なエロティック映画と位置づけられる『肉体の市場』（1962年）に主演したことから、「ピンク女優・第一号」と称され、その後のピンク映画ブームの立役者となりました。卓越した容姿と演技力で、当時のピンク映画界のトップ女優として揺るぎない地位を築いた人物です。元夫には俳優の船戸順、ピンク映画監督の奥脇敏夫がいます。

揺籃期から女優への道

香取環は1938年、熊本県で中流家庭に生まれました。父親は地元で製薬会社を経営していました。若くしてその美貌は光り、ミスユニバースの熊本代表に選出された後、全国大会では準ミスの栄誉に輝きます。この経歴を経て、彼女は日活の第四期ニューフェイスとして映画界への扉を開きました。同期には、後にスターとなる赤木圭一郎がいました。

日活入社後、彼女は本名の久木登紀子名義でいくつかの作品に出演しますが、与えられる役はほとんどが端役であり、なかなか脚光を浴びる機会に恵まれませんでした。主流の映画界では自身の個性を活かしきれない日々が続きました。

『肉体の市場』での鮮烈なデビュー

1961年に日活を退社した香取環にとって、転機となったのは1962年のことでした。当時24歳だった彼女は、小林悟監督の新作『肉体の市場』で主演に抜擢されます。当初、この種の映画への出演には躊躇いがあったものの、脚本を読み、単なる扇情的な内容ではなく、人間ドラマがしっかりと描かれている点に惹かれ、出演を決意したといいます。この作品での役名が「香取環」であり、以降、彼女はこの名前を名乗ることになります。

『肉体の市場』は、その露骨な描写から公開後に警察の取り締まりを受け、検閲による大幅なシーンカットを経てようやく再上映が叶いました。しかし、この映画は日本におけるピンク映画の嚆矢として歴史に名を刻み、独立プロダクションによる限られた配給ながら、製作費800万円に対して1億円を超える興行収入を上げるという驚異的な大ヒットを記録します。この成功は、その後の日本映画界にピンク映画という新たなジャンルを確立する決定的な出来事となりました。

ピンク映画界の頂点へ

『肉体の市場』の記録的なヒットを受け、多くの独立プロダクションがピンク映画の製作に参入します。主演を務めた香取環は、この新しいジャンルのスターとして一躍脚光を浴びることになります。身長165cm、スリーサイズB98-W62-H98というグラマーな体型に、童顔というアンバランスさが、当時のピンク映画が求める女優像と見事に合致しました。彼女自身、「 mainstream の映画では考えられないような高額のギャラを提示された」と述懐しており、その個性的な容姿がピンク映画界での成功の大きな要因となったことを示唆しています。

1966年頃からは葵映画の専属となり、西原儀一監督とのコンビで数々の話題作を生み出しました。彼女は西原監督の演出に深く傾倒しており、その関係性は「乙羽信子と新藤兼人のコンビのよう」とまで評されたほどです。Allmovieの批評家ロバート・ファーシングは、この時期の彼女の演技について、「西原監督の要求に応え、葵映画での4作品で5度もの激しい描写に挑んだ香取の勇気は特筆に値する」と評しています。

1969年にフリーとなってからも、彼女は精力的に活動を続けました。若松孝二監督のデビュー作である『甘い罠』（1963年）や『性家族』（1971年）、渡辺護監督の『おんな地獄唄尺八弁天』（1969年）など、ピンク映画史に残る傑作・佳作に多数主演しました。

1971年には、古巣である日活が新たに立ち上げるロマンポルノ路線の第一作となる『団地妻昼下がりの情事』の主演オファーを受けますが、かつて一般作品を手掛けていた日活がポルノ映画に進出することへの複雑な思いからこれを辞退しています。ちなみに、実際に主演を務めブレイクした白川和子は、かつて香取環の付き人を務めていた時期があり、メイクや衣装について薫陶を受けていたといいます。

銀幕を離れて

1972年、ピンク映画の世界で、物語の必然性よりもただ裸を見せることに主眼が置かれる風潮が強まったことに嫌気が差し、香取環は映画業界からの引退を決意します。わずか10年ほどの活動期間でしたが、その間に彼女が出演した映画は実に600本を超えると言われています。

引退後、彼女は三人目の夫と共に故郷である熊本へと戻り、父親が経営していた会社で働きました。この結婚で子供も授かりますが、再び離婚を経験します。三度の結婚生活の破綻を経て、彼女は自らの力で生計を立てることを決意。

最初はガソリンスタンドの経営に乗り出します。
その後、2006年からは社員食堂の経営を手掛けました。

ピンク映画界での自身のキャリアについて、香取環は後に「演技は楽しかったが、ピンク映画という特殊な業界の雰囲気には最後まで慣れることはなかった」と語っています。しかし同時に、「あの頃の経験について後悔はない。もし、かつての私のような女優のための役があるのなら、再び銀幕に戻って演じたいと思っている」と、女優業への未練と肯定的な視点を明かしています。

引退後も、彼女の功績は忘れられることはありませんでした。元夫である奥脇敏夫監督の三本の映画が、2003年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、再び注目を集めました。また、2009年9月には、神戸プラネット映画資料館で1960年代の香取環と西原儀一監督の協業作品を中心に据えた大規模な回顧展が開催されるなど、ピンク映画史における彼女の重要な位置づけが再評価されています。

香取環は、ピンク映画という新しいジャンルが誕生し、大きな社会現象となった時代において、その中心に立ち続けた伝説的な女優でした。彼女の存在なくして、日本のピンク映画史は語れません。

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