1990年ミャンマー総選挙

1990年5月27日、ミャンマー（当時のビルマ）において、歴史的な総選挙が実施されました。これは1962年のクーデターによって軍事政権が成立して以降、実に28年ぶりとなる複数政党制の下での選挙であり、一区一人の小選挙区制が採用されました。

選挙実施の背景

この選挙は、1988年に発生した大規模な民主化要求運動「8888民主化運動」の鎮圧後に実施されました。運動の中で、当時のビルマ社会主義計画党（BSPP）議長であったマウン・マウンは、国民投票を経ずに複数政党制による総選挙を早期に実施することを表明しました。運動を武力で制圧し、政権を掌握した国家秩序回復評議会（SLORC）は、「3ヶ月以内」という期限部分を除き、この約束を実行に移しました。その背景には、民主的な選挙を実施することで、運動の最中に停止した日本を含む西側諸国からの経済援助を早期に再開したいという軍事政権の思惑がありました。

政党乱立と主要勢力

1988年9月26日、クーデター直後から政党登録が開始されました。軍政下での選挙の公平性を疑問視する声もありましたが、アウンサンスーチー氏が率いる最大野党の国民民主連盟（NLD）が9月28日に登録を済ませると、わずか500チャット（当時の約1万円）という低額な登録料も手伝って、雪崩を打つように新たな政党が誕生しました。最終的には233もの政党が登録し、実際に候補者を擁立したのは93党に上りました。これほどの数の政党が生まれた背景には、合法的な政党であれば軍事政権の干渉を受けにくいという側面や、長年の政治不信から特定の政党を信用できず自ら政党を作る人が多かったこと、さらには政党登録によるガソリン配給や電話の無料設置といった物質的な特典なども影響したとされます。

極端な政党の多さには、国民の間から呆れや自嘲の念も聞かれました。SLORCが「複数」政党制を強調したことに対し、軍政側はかつての単一政党時代を国民が懐かしむことや、ビルマが民主主義を扱いきれないほど未成熟であるという印象を国外に植え付けたい意図があったのかもしれません。

主要な政治勢力としては、名称を国民統一党（NUP）と変えた旧BSPP、民主平和連盟を結成したウー・ヌ元首相、学生運動指導者のモーティーズン氏による新社会民主党（DPNS）などがありました。しかし、最も注目を集めたのは、8888運動のリーダーたちが結集したNLDでした。初期のNLD幹部には、議長のアウンジー、副議長のティンウー、書記長のスーチー氏が名を連ねていました。NLDの支持基盤は、学生や知識人を中心とする左派系グループ、ウー・ヌ氏に合流しなかった旧民政時代の政治家、そしてネウィン議長によって追放された退役軍人のグループでした。特に退役軍人の存在が、国軍からは裏切り者集団と見なされ、その後のNLDへの執拗な弾圧につながったとの見方もあります。

選挙前の弾圧と準備

NLDは順風満帆ではありませんでした。1988年12月、NLD議長だったアウンジー氏は、「NLDは共産主義者の指導を受けている」と批判して離党し、連邦国民民主党（UNDP）を結成しました。実際、NLDの支持基盤には元ビルマ共産党員やそのシンパが多く含まれており、元共産党幹部がスーチー氏の顧問を務めていたことも事実でした。これに対し、スーチー氏は自らの寄稿文で、助言を受ける政治家たちは民主主義のために活動しており、自身は個人の信条よりも国民の福祉を優先すると反論しました。

1989年に入ると、スーチー氏は地方遊説を開始し、各地で熱狂的な歓迎を受け、圧倒的な人気を確立しました。しかし、彼女が軍事政権への批判を強めるにつれて、NLD内の穏健派からは慎重論が出始めました。さらに、1989年7月19日のアウンサン将軍命日の追悼集会開催が軍の妨害で断念された後、翌7月20日にはスーチー氏とティンウー氏は自宅軟禁下に置かれ、被選挙権を剥奪されました。ウー・ヌ氏も同様に被選挙権を失いました。軍事政権は、スーチー氏に対してはビルマ共産党との関係、ウー・ヌ氏に対してはインド政府との癒着を非難する激しいネガティブキャンペーンを展開しました。

1990年1月5日に立候補が締め切られ、選挙日は軍のラッキーナンバーとされる「9」（2+7）に関係する5月27日に決定しました。全国492議席のうち7区は延期され、485選挙区に合計2308名が立候補しました。過半数の候補者を擁立できたのは、NUP（485名）、NLD（451名）、DPL（324名）、UNDP（256名）の4党のみでした。

選挙直前、SLORC第一書記長であるキンニュンは、新憲法とそれに基づく強力な政府の樹立が政権移譲の条件であり、それまで軍政が国政を担うと明確に述べました。これにより、選挙結果にかかわらず即時の政権移譲の意思がないことが明らかになりました。一方で、選挙の公正さを演出するため、外国人記者を受け入れたり、各地の戒厳令を解除したりといった柔軟な姿勢も見せました。

選挙結果とその後の展開

1990年5月27日、予定通り総選挙は実施されました。国内外からは概ね公正で自由な選挙であったとの評価を得ましたが、この結果が軍事政権にとって予想外の事態を招きました。国民民主連盟は485議席中392議席を獲得し、圧倒的な勝利を収めました。これに対し、与党系のNUPは10議席、UNDPは1議席（アウンジー氏は落選）、DPLは議席を獲得できませんでした。特に注目すべきは、少数民族政党であるシャン諸民族民主連盟（SNLD）が、全体の得票率は低かったものの、シャン州で強さを見せ23議席を獲得したことです。全投票率は72.6%でした。

この結果に対し、SLORCはキンニュンの以前の発言を改めて表明し、選挙結果を事実上無効化して政権移譲の引き延ばしを図りました。これに反発したNLDの当選議員、活動家、僧侶らは次々と逮捕されました。逮捕を免れた一部のNLD議員は、カレン民族同盟（KNU）の拠点があるマナプロウに逃れ、スーチー氏の従兄弟であるセインウィン氏を暫定首相とするビルマ連邦国民政府（NCGUB）の樹立を宣言しましたが、国内外からの支持は限定的で、実効的な活動は困難でした（後に閣僚のうち2名が暗殺されるという事件も発生しています）。

結局、軍事政権は選挙結果を認めず、2011年まで長期にわたり政権を維持することになります。この1990年の総選挙は、ミャンマーにおける民主化への期待が高まった一方で、軍による権力維持の意思が明確に示された、その後の政治状況を決定づける重要な出来事となりました。

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