Atari ST

アタリST：80年代後半のホームコンピュータ革命

1. 概要

アタリSTは、1985年にアタリ社が発売した16/32ビットのホームコンピュータです。モトローラ68000プロセッサをベースに、512KB以上のメモリと3.5インチフロッピーディスクドライブを搭載。当時、MacintoshやAmigaと並び、ハイエンドなホームコンピュータとして高い人気を誇りました。特に革新的だったのは、ビットマップカラーのGUIを世界で初めて搭載したこと。Shiraz Shivji設計のグラフィックサブシステムは、CPUとメモリを効率的に共有する設計で、スムーズなグラフィック表示を実現しました。また、パソコンとしては初めてMIDIを標準搭載した点も大きな特徴です。

主な競合機種はアップルのMacintoshとコモドールのAmigaでしたが、それぞれに特徴がありました。Amigaはカスタムプロセッサによる高度なゲーム処理能力が強みでしたが、アタリSTは価格が安く、CPU速度が若干速く、高解像度モノクロディスプレイに対応していたため、ビジネス用途やCADにも適していました。加えて標準MIDIポートは、Tangerine Dreamや808 Stateなどのミュージシャンにも高く評価され、音楽制作ツールとしても広く普及しました。特にドイツでは、個人事業主向けのCAD/DTPマシンとして高いシェアを獲得しました。

アタリSTは、後のAtari TTやAtari Falconへと進化し、アタリ社がコンピュータ市場から撤退した後も、TOS互換機市場が生まれ、エミュレータによるサポートも盛んです。

2. 歴史：コモドールからの独立とアタリの買収

アタリST誕生の背景には、コモドール社の創設者Jack Tramielと会長Irving Gouldの対立があります。Tramielは1984年1月にコモドールを追われ、すぐにTramel Technology, Ltd.を設立。低コストで高性能なコンピュータ開発を目指し、Shiraz Shivjiをチーフエンジニアに迎えました。当初はNS32032プロセッサの採用を検討していましたが、供給上の問題から68000に変更。これが結果的にアタリSTの成功につながりました。

「RBP（Rock Bottom Price）」とコードネームされたプロジェクトは1984年4月から開始され、カスタムチップと市販パーツを組み合わせた、高集積度のシングルボードコンピュータが設計されました。

一方、アタリ社は、カスタムチップを用いた6502ベースのAtari 400/800シリーズで成功を収めていましたが、1984年には経営危機に陥っていました。Tramielはアタリ社の買収を計画し、1984年7月までに買収資金を確保。これにより、アタリ社の販売網と製造拠点を活用してアタリSTを販売する道が開かれました。

買収後、Tramielは既存プロジェクトの多くを中止し、コモドール社からエンジニアを引き抜きました。この過程で、コモドール社とAmiga社（当時ワーナーコミュニケーション傘下で、アタリ社から資金援助を受けていた）との間で訴訟が発生しました。Amiga社は、アタリ社にチップセットを提供する契約を破棄し、コモドール社に買収される寸前でした。しかし、Tramielの策略により、この契約は破棄され、アタリ社はAmiga社から資金を返還させることに成功。この訴訟は1987年3月に和解しました。Amiga社の開発遅延は、アタリSTがAmigaより先に市場投入できるという結果をもたらしました。

3. OS：TOSとGEM

ハードウェア設計が進むにつれ、OSの選定が課題となりました。マイクロソフトからのWindows移植提案は納期が遅すぎたため却下。デジタルリサーチのGEM（Graphical Environment Manager）を採用することになり、アタリとデジタルリサーチのエンジニアによる「Monterey Team」が結成されました。Jim Tittslerを中心としたチームは、GEMDOSファイルシステムをベースとしたTOS（The Operating System）を開発。階層型ファイルシステムとIBM PC DOSに似た関数コールを提供しました。

4. デビューと特徴

アタリSTは1985年6月にユーザーグループへ出荷され、9月に520STとして正式発売されました。コンセプト決定からわずか1年足らずのスピード開発でした。当初は128KBと256KBメモリ搭載モデルが計画されていましたが、OSロードに必要なメモリを考慮し、512KBメモリ搭載モデルがメインとなりました。

アタリSTは、競合機より安価で高速だったため、特に為替の影響を受けやすい海外市場で人気を博しました。「power without the price」というキャッチコピーが示す通り、コストパフォーマンスの高さが魅力でした。

5. 外観とポート

520STは、オールインワン型の筐体で、キーボードにカーソルキーとテンキーを搭載していましたが、その分、大型で扱いにくいと感じるユーザーもいました。多くのポートを背面に備えていましたが、ケーブル類の接続が煩雑になり、マウスやジョイスティックポートが狭くなるといった問題もありました。

6. ポート接続

アタリSTは、RS-232Cシリアルポート、セントロニクスプリンターポート、ジョイスティック/マウスポート、MIDIポートなどの標準ポートに加え、モニターポート、ACSIポート、フロッピーポート、カートリッジポートなど、多数の専用ポートを備えていました。セントロニクスプリンターポートは、ジョイスティック入力にも利用できるなど、柔軟な拡張性を提供していました。

フロッピーディスクドライブは、当初360KBの片面ドライブでしたが、後に720KBの両面ドライブが登場。しかし、ソフトウェアは両面ディスクではなく、片面ディスク2枚で配布されることが多くなっていました。このフォーマットの非互換性や容量不足の問題は、サードパーティ製フォーマットソフトやTOSのアップグレードによって解決されました。

7. STFモデルとSTFMモデル

1986年には、1040STF（STF）が発売されました。これは、520STのデザインを継承しつつ、電源とフロッピーディスクドライブを内蔵したモデルです。筐体が大型化しましたが、ケーブル接続が簡素化されました。1MB RAM搭載の1040STは、1MB RAMあたり1000ドルの壁を破ったことで注目を集めました。

8. Megaモデル

ヨーロッパ市場での成功を受け、アタリ社はMegaシリーズを開発。独立した高品質キーボード、堅牢な筐体、内部バス拡張コネクタなどを搭載していました。また、SLM804レーザープリンターとの連携も実現しました。2MBまたは4MB RAMを搭載したモデルも発売され、低価格のデスクトップパブリッシング環境を提供しました。

9. 後期モデル：STE、TT、Falcon

1989年には、マルチメディア機能を強化したSTE（ST Enhanced）シリーズが登場しました。4096色カラーパレット、Genlock、Blitterチップ、ステレオPCMサウンドなど、高度な機能が追加されました。しかし、ソフトウェアの互換性問題や、フロッピーディスクドライブの互換性問題などが発生しました。

1990年には、ハイエンドモデルとしてAtari TT（68030プロセッサ搭載）が発売されました。さらに、最後のSTシリーズとなるAtari Falconも登場しました。68030プロセッサとDSPチップを搭載し、高性能なマルチメディア処理能力を誇りましたが、普及には至りませんでした。

10. ソフトウェア

音楽制作

アタリSTは、低価格で高速なCPUと標準MIDIポートを備えていたため、音楽制作ツールとして高く評価されました。CubaseやLogic Proといった著名なシーケンサーは、元々はアタリST向けに開発されました。他にも、Dr. T's KCS、Notator、Pro 24などの高性能なシーケンサーや、TCB TrackerなどのMODトラッカーが人気を博しました。多くのシンセサイザーやサンプラーのエディターも利用可能でした。Falconでは、DigidesignのSoundTools/SoundDesignerなどのハードディスクレコーディングソフトも登場しましたが、ソフトウェアの対応遅れにより普及には至りませんでした。

アプリケーション

DTPソフト（PageStream、Calamus）、ワープロ（WordPerfect、WordWriter ST）、表計算ソフト、データベース、CAD/CAMソフトなど、多様なアプリケーションが利用可能でした。また、NEOchrome、Degas、Deluxe Paintなどのグラフィックソフトも人気でした。3DCGアプリケーションやビデオキャプチャソフトも登場し、マルチメディア環境の基盤を築きました。

開発環境

アタリSTは、アセンブラ、Pascal、Modula-2、Cコンパイラ、BASICインタプリタなど、豊富な開発ツールを提供していました。当初は高価な開発キットが提供されていましたが、後に低価格なキットも登場し、多くのソフトウェアが開発されました。

ゲーム

アタリSTは、低価格で高性能なグラフィックとサウンドを備えていたため、ゲーム市場でも成功を収めました。『ダンジョンマスター』のような3Dロールプレイングゲームや、Falconのようなフライトシミュレーターなども人気を博しました。

ユーティリティ

ビデオデジタイザなどのハードウェアアドオンを制御するユーティリティソフトや、オフィス製品、グラフィックソフト、電子メールクライアント、FTPクライアント、telnet、IRCクライアント、ウェブブラウザ（iCAB）なども利用可能でした。

11. OS：マルチタスクOS

シングルタスクだったTOSを補完するため、Magic、MultiTOSなどのマルチタスクOSも登場しました。FreeBSDやLinuxも移植され、ネットワーク環境も整備されていました。

12. 技術仕様

アタリSTは、カスタムチップと汎用チップを組み合わせた設計でした。カスタムチップには、ST Shifter、ST GLU、ST MMU、ST DMAなどがあります。汎用チップには、MC6850P ACIA、MC68901 MFP、WD-1772-PH、YM2149F、HD6301V1などがあります。

13. 機種一覧

アタリSTシリーズは、520ST、260ST、520STM、520STFM、1040STF、1040STFM、Mega ST、520STE、1040STE、Mega STE、Atari TT、Atari Falconなど、多くの機種が発売されました。ポータブルモデルであるSTacyやST Bookも登場しました。サードパーティ製互換機も存在しました。

14. 周辺機器

フロッピーディスクドライブ、モニタ、ハードディスクドライブ、レーザープリンター、MIDIインターフェースなど、様々な周辺機器が発売されました。音楽制作向けの拡張機器も豊富に提供されました。

15. トリビア

アタリSTの標準フォントには、Bob Dobbsの絵文字やヘブライ文字が含まれていたなど、興味深いエピソードも存在します。多くの著名なミュージシャンがアタリSTを使用していました。

16. 参考文献

(参考文献は省略)

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