スペンサー・ウェルズ

スペンサー・ウェルズ（Spencer Wells, 1969年4月6日 - ）は、アメリカ合衆国を代表する人類学者であり、遺伝学者です。彼は、現生人類がどのように地球上に拡散していったのか、その壮大な旅路を遺伝子の視点から解き明かす研究で世界的に知られています。特に、ナショナルジオグラフィック協会が推進する大規模な遺伝子調査プロジェクト「ジェノグラフィック・プロジェクト」のプロジェクト・ディレクターを務めていることで有名です。

経歴

ウェルズは1969年にジョージア州マリエッタで生まれ、テキサス州ラボックで育ちました。学業においては、1988年にテキサス大学オースティン校で生物学（進化論・遺伝学）を専攻。その後、ハーバード大学に進み、1994年に生物学の博士号を取得しました。博士課程修了後は、1994年から1998年にかけてスタンフォード大学で博士研究員として活動し、中央アジアの集団における遺伝的特徴に関する研究などを手がけました。さらに、1999年から2000年には英国のオックスフォード大学で集団遺伝学の研究を深めています。これらの研究機関以外にも、ハーバード公衆衛生大学院の客員教授として教育・研究活動に携わっています。

研究とその成果

ウェルズの最も影響力のある研究の一つは、2002年に発表された著書『The Journey of Man: A Genetic Odyssey』にまとめられています。この中で彼は、遺伝子データを駆使して、約5万年前に最初に出アフリカを果たした現生人類がたどった移動経路の詳細なシナリオを描き出しました。彼の説によれば、初期のホモ・サピエンス集団のうち一つは、アラビア半島の南東部を経てインド南部を通る「南方ルート」で東南アジアからオーストラリアへと進出しました。一方、アフリカ以外の地域に現在暮らす人々の約9割を占める別の集団は、「北方ルート」を選択し、ユーラシア大陸全域、さらには一度アフリカを出た後に再び北アフリカへ戻った集団、そしてベーリング海峡を越えて南北アメリカ大陸へと拡散していったと提唱しています。この移動経路のモデルは、現在「アフリカ単一起源説」を論じる上で、最も基本的かつ広く受け入れられている定説の一つとなっています。

また、ウェルズは世界中の様々な集団からDNAサンプルを収集・分析することで、興味深い結論に達しました。それは、現在地球上に存在するすべての人類が、約6万年から9万年前に東アフリカに暮らしていた、たった一人の男性の子孫にあたる可能性が高いというものです。この遺伝学的な概念は、後に「Y染色体アダム」として広く知られるようになりました。彼の研究は、私たち人類がいかに緊密に繋がっているかを示唆しています。

主要な活動と受賞

2005年以降、ウェルズはナショナルジオグラフィック協会とIBMが共同で推進する画期的な研究プロジェクト「ジェノグラフィック・プロジェクト」のプロジェクト・ディレクターを務めています。このプロジェクトは、世界中の多様な人類集団からDNA情報を収集し、人類の歴史的な移動パターンや遺伝的多様性を詳細に明らかにするという壮大な試みです。

彼の研究活動は高く評価されており、2007年には人間社会と人類遺伝学の関係を探求した人物に贈られるキスラー賞を受賞しました。また、2009年8月には来日し、東京の日本科学未来館で「私たちは、どこから来たのか？」と題した講演を行い、日本の聴衆に彼の研究成果を初めて直接公開しました。

著書

彼の主要な著書には、前述の『The Journey of Man: A Genetic Odyssey』（2002年）のほか、日本語訳も出版された『深い家系』（原題はDeep Ancestry、2006年、ナショナル・ジオグラフィック協会）、そして『アダムの旅 -Y染色体がたどった大いなる旅路-』（原題はJourney of Manの日本語訳、和泉裕子訳、2007年）があります。

私生活

私生活では、妻と2人の娘がおり、現在はイギリスのイースト・アングリア地方に居住しています。興味深いことに、彼自身のY染色体ハプログループはR1b（R-M343）であることが確認されています。

スペンサー・ウェルズの研究は、遺伝学という最新科学の視点から、私たち人類の深遠な歴史、共通の祖先、そして地球規模での拡散の物語を解き明かす上で、計り知れない貢献をしています。彼の業績は、科学の世界だけでなく、人類全体の自己認識にも大きな影響を与えています。

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