アルディ (アルディピテクス)

アルディ

アルディ（Ardi）は、約440万年前にアフリカ大陸に生息していたとされる化石人類、アルディピテクス・ラミドゥス（Ardipithecus ramidus）の女性と見られる個体、標本番号ARA-VP-6/500に付けられた愛称です。この名前は、発見地であるエチオピアのアファール語で「大地」を意味します。アルディの化石は、約318万年前のアウストラロピテクス・アファレンシス「ルーシー」や、約332万年前の同種「セラム」といった有名な全身骨格化石よりも100万年以上も古く、2010年代初頭の時点で、発見された化石人類の中で最も古い全身骨格を伴う個体でした。頭蓋骨、歯、骨盤、手足など、初期ホミニンの化石としては類を見ないほど多くの部位が良好な状態で残されており、特に重要な部位の残存状況においては、ルーシーの化石を凌ぐ貴重さを持っています。その詳細な分析結果は、人類とチンパンジーなどの類人猿が分岐した直後の共通祖先像に関するそれまでの推定を根底から覆すものであり、古人類学界に大きな波紋を投げかけました。アルディに関する一連の研究は、初めて成果が公表された2009年、米国の科学誌『サイエンス』によって、その年の最も画期的な科学的業績（ブレークスルー・オブ・ザ・イヤー）として選ばれています。

発見から公表まで

奇跡的な発見の連鎖

アルディそのものが発見されたのは1994年のことですが、その端緒はさらに遡ること1992年にありました。同年12月17日、ティム・ホワイト氏の調査チームに参加していた東京大学の諏訪元氏が、石ころに混じっていた他のホミニンとは異なる特徴を持つ歯の化石を発見したのです。この歯は進化の特徴を読み取りにくい第三大臼歯（いわゆる親知らず）であり、発見者の諏訪氏自身には当初落胆もあったと言いますが、石ころの中から化石人骨を見分ける訓練を積んだ彼でなければ見落としていた可能性が高いとも言われます。この最初の歯の発見が呼び水となり、周辺地域から新たなホミニンの化石が続々と発見されることにつながりました。これらが後に「アルディピテクス・ラミドゥス」と命名される化石群となります。

そして1994年11月、この化石群のさらなる調査の中で、調査隊の一員であったヨハネス・ハイレ＝セラシエ氏が、一部は潰れていたものの、かなりの部分が残存した化石人骨を見つけ出しました。これが「アルディ」と名付けられる個体です。骨格が発見されたのは、エチオピアのアワッシュ渓谷中流域にあるアラミスと呼ばれる場所でした。アルディの骨格の損傷は、死後カバのような大型動物に踏まれた結果と推測されていますが、この出来事がかえって幸いし、ハイエナなどに食い散らかされる前に骨が泥の中に埋没することで、比較的良好な保存状態が保たれたと考えられています。アルディが生息していたのは、類人猿の生息環境に類似した森林が多くを占める地域だったと推測されています。このような森林環境では、肉食獣の餌食にならなかったとしても、死後、樹下で体が腐敗し、骨も風化してしまうため、同時代の類人猿の全身骨格はおろか、わずかな骨片すら発見されることは極めて稀です。このような貴重な骨が地表に露出し、風化する前に発見されたことについて、ルーシーをはじめとする数々の化石発見に立ち会ってきたティム・ホワイト氏は「奇跡としか言いようがない」と語っています。後に研究グループに加わった比較解剖学者のオーウェン・ラヴジョイ氏も、初めてアルディの骨格を目にした際の感動を「重要な部分がすべて残っていると気づくのに、10分ほどかかりました。すごい、まさに奇跡だと驚きました」と回想しています。

発掘と復元の困難

アルディの残存状況は良好であったものの、その化石化の度合いは不十分でした。そのため、そのまま掘り出そうとすると、化石そのものが崩壊してしまう危険性がありました。この難題に対処するため、発見された化石は周辺の土砂ごと凝固剤で固められ、エチオピア国立博物館の研究室へと運ばれ、極めて慎重な復元作業が行われました（ラヴジョイ氏が骨格を実見したのもこの博物館です）。発掘された断片は全部で125点にも及びましたが、アルディの実物に直接触れることができた研究者は、諏訪氏、ホワイト氏のほか、ごく少数に限られました。ルーシーの発見者の一人であるドナルド・ジョハンソン氏でさえ、公表直後に博物館から許可を得ることはできたものの、調査チームの共同責任者であったベルハネ・アスフォー氏の許可が得られず、実見は叶わなかったといいます。

特に、アルディの頭蓋骨はひどく砕けていました。しかし、前述の化石の脆弱さから実物を用いた復元作業は不可能でした。そこで、諏訪氏によって、CTスキャン技術を用いてコンピュータ画像上で頭蓋骨を復元するという画期的な手法が採用されました。このCTを用いた復元の手法は、現生人類最古の化石人骨であるサヘラントロプス・チャデンシス「トゥーマイ」の発見者、ミシェル・ブリュネ氏の影響を受けています。諏訪氏は2001年12月、トゥーマイの研究成果が発表される約半年前、ブリュネ氏のもとを訪れ、トゥーマイの頭蓋骨の実物を見ながら詳細な専門的議論を交わしており、その縁でブリュネ氏からCT復元の経過に関する情報提供を受けました。この経験が、後にアルディの公表論文の一つにおいて、アルディとトゥーマイの復元頭蓋骨を比較する研究につながったとされています。

公表と大きな反響

アルディの化石が発見されてから、その復元と科学的な評価には長い年月が費やされました。そのため、「すごい化石があるらしい」という噂だけが広まりましたが、正式な研究成果の公表は発見から15年後の2009年になってからでした。その成果は、2009年10月2日発行の科学誌『サイエンス』に掲載された全11本の論文という形で結実しました。これらの論文では、アルディの身体構造に関する多角的な分析や、当時の生息環境についての詳細な考察が展開され、約100ページに及ぶ特集は、その号の半分近くを占める大規模なものでした。前述のように、『サイエンス』誌がこの一連の研究をその年の「ブレークスルー・オブ・ザ・イヤー」に選出したことは、アルディが科学界に与えたインパクトの大きさを物語っています。

この公表を受けて、世界中のマスメディアはアルディについて競って報道しました。ディスカバリー・チャンネルでは、公表からわずか2週間足らずで、アルディに関する2時間番組を放送するなど、大きな注目を集めました。日本国内でも、10月2日の朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞といった主要各紙の朝刊がこの発見を報じ、朝日新聞は11月3日付の朝刊科学面で、ほぼ一面を割いた解説記事を掲載するなど、大きな反響を呼びました。

アルディの化石が発見された1994年時点では、全身骨格として最古級の人類化石でしたが、公表に時間がかかった間に、アルディピテクス・カダバ（1997年発見、2001年公表）、オロリン・トゥゲネンシス（2000年発見・公表）、サヘラントロプス・チャデンシス（2001年発見、2002年公表）といった、500万年前から700万年前の時代に遡る重要な化石が相次いで発見・公表されました。これにより、アルディは公表時点では「最古の人類」ではなくなっていました。しかし、アルディよりも古い時代の化石は、いずれも断片的なものに過ぎません。特に、現生人類最古の可能性があるサヘラントロプス「トゥーマイ」に至っては頭蓋骨しか見つかっておらず、わずかに大後頭孔の位置から直立二足歩行の可能性が示唆されているに留まっています。これに対し、アルディは全身の骨格が比較的まとまって残されていることから、人類が類人猿との共通祖先から分岐した直後の原初の姿に、現在発見されている化石の中で最も近い特徴を備えていると考えられています。このため、ルーシーの発見者の一人であるジョハンソン氏は、アルディを初期人類の進化の謎を解き明かす「ロゼッタ・ストーン」に喩え、その重要性を強調しています。

アルディの身体的特色と古人類学への貢献

アルディの分析結果は、それまで広く信じられていた人類と類人猿の共通祖先に関するイメージを大きく覆すものでした。かつて、共通祖先はチンパンジーに近く、彼らが現在行うような「ナックル歩行」（手の甲を地面につけて歩くこと）をし、雄と雌の犬歯には大きな性差があり、オスは立派な犬歯を持っていたと考えられていました。また、そこから人類が分岐し、直立二足歩行を獲得した際には、たとえ原始的であっても、現代人と同じように足の親指と他の指が同じ方向に向かって並ぶようになっただろう、とも想定されていました。しかし、アルディはこれらの従来の想定とは異なる、特異な身体構造を備えていたのです。

身長と体重

アルディの身長は約120cm、推定体重は約50kgとされています。身長に比べて体重がかなり重いという特徴は、アルディピテクス・ラミドゥスにおいて、雄と雌の体格差（性的二形）が比較的少なかった可能性を示唆しています。参考までに、性的二形が大きいとされるアウストラロピテクス・アファレンシスの場合、成体のオスは身長約151cm、体重約42kg、メスは身長約105cm、体重約29kgという数値が報告されています。

頭蓋骨

コンピュータによって復元されたアルディの頭蓋骨から、脳の大きさは300ccから370ccと推定されました。この数値は、約700万年前のサヘラントロプス「トゥーマイ」の脳容量（320ccから380cc）とほぼ同じであり、現代のチンパンジーの脳容量（約300cc前後）とも大きな差はありません。頭蓋骨の底にある脊髄が通る穴、大後頭孔の位置が、頭蓋骨の前寄りにあることは、後述する直立二足歩行という特徴を支持する証拠の一つとなります。現生人類最古とされるトゥーマイの頭蓋骨には厚い眼窩上隆起が見られますが、アルディのそれは薄く、この点でもトゥーマイとの違いが見られます。

歯

アルディの歯はそれほど磨り減っていないことから、正確な年齢は不明ながら、比較的若い個体であった可能性が推測されています。歯の磨耗の度合いなどの分析からは、磨耗を促進する砂などが混じった食物をあまり摂取していなかったと推測されており、これはサバンナに生息していたアウストラロピテクス属とは異なり、アルディがまだ森林に近い環境で主に暮らしていたことを示唆しています。

アルディピテクス・ラミドゥスの全身骨格はアルディ一体しか発見されていませんが、歯の化石については、少なくとも35個体分が出土しており、犬歯についても20個体分の統計的な分析が可能でした。諏訪氏は単に大きさを比較するだけでなく、エナメル質の厚さや象牙質のみの分析といった精密な研究を重ねました。その結果、アルディピテクス・ラミドゥスの犬歯は性差がかなり小さく、アルディの犬歯はその中でも小さい部類に属することから、アルディの性別はメスであると判断されました。

現代のチンパンジーのオスは、発達した犬歯を持ち、集団内でのメスの獲得を巡る競争や他の群れのオスとの争いにこれを用います。かつては、ヒトもチンパンジーのように大きな犬歯を持っていた状態から、進化の過程で犬歯が小型化していったと考えられていました。しかし、アルディ（および他のアルディピテクス・ラミドゥスの個体）の犬歯が、チンパンジーのように雌雄で大きな性差があるものではなかったという事実は、ヒトが進化の過程で犬歯を小型化させたのと同様に、チンパンジーもまた進化の過程で犬歯を大型化させていった可能性を示唆しています。アルディの時代に犬歯があまり大きくなく、性差も小さかったことから、ラヴジョイ氏は、アルディピテクス・ラミドゥスには、特定のオスが特定のメスに食糧を運んで分け与える、現代のヒトに近い一夫一婦型の社会関係が築かれていたのではないかと推測しています。これは、チンパンジーに見られる多雄多雌型や、ゴリラの一雄多雌型とは異なる社会形態であり、特定の家族に多くの餌を持ち帰るために両手を自由に使おうとしたことが、地上での直立二足歩行を促す要因となったのではないか、という仮説につながっています。

その他の歯の分析からは、ゴリラやチンパンジーがそれぞれの食性に特化して歯の形態を進化させたのに対し、アルディにはそのような特殊化の要素が見られないことが分かりました。このことは、アルディピテクス・ラミドゥスの食生活が、特定の食物への強い選好を持つゴリラやチンパンジーとは異なり、多様な食物を摂取する雑食型であったことを示しています。

手と腕

アルディの化石には、通常残りにくい細かい手の骨がかなり良好な状態で保存されていました。かつて、人類と類人猿の共通祖先が類人猿に近かったという考えが主流だった頃には、共通祖先も類人猿が行うような「ナックル歩行」（手の甲を地面につけて歩くこと）をしていた可能性が推測されていましたが、アルディの手の構造は、ナックル歩行に適したそれとは明らかに異なっていました。

体に比して手は比較的大きく、現代人女性の手と大差ありません。手の指が長い点は類人猿と共通していますが、類人猿とは異なり、手のひらが短いという特徴があります。ナックル歩行をしていたことを示す痕跡は見当たらず、手で体重を支える際には手のひら全体を地面につくようにしていたと考えられています。このことから、樹上ではこのような四足歩行を用いていたと見られています。

樹上生活もしていたとはいえ、アルディの腕の長さは類人猿のそれとは明らかに異なります。腕の長さを脚の長さで割り100をかけた数値（腕脚比）を見ると、ゴリラもチンパンジーも100を超えますが、アルディの場合は約90でした。これは現代人（約70）ほどではないものの、類人猿との違いが明確に見られる数値です。

下半身

アルディの場合、足の骨も良好な状態で残されており、足の構造から重要な特色が読み取れます。現代人の足の指は、親指と他の指がほぼ同じ方向を向いていますが、これは比較的後の時代のアウストラロピテクス・アファレンシスであるルーシーにおいてさえ同様でした。しかし、アルディの場合、足の親指は他の指と対向的についており、物をつかむことが可能な構造になっていました。ただし、現代のチンパンジーの足が木の枝をつかむことに特化しているのに対し、アルディの足は地上での歩行にも適した構造を兼ね備えていました。足根中足部（足首と足指の付け根の間）は、直立二足歩行に耐えうる頑丈さを備えており、チンパンジーやゴリラには見られない種子骨の一種が、足裏を補強し体重を支えるのに役立っていたと見られます。また、親指以外の4本の指をそらせることが可能でした。これらの事実から、アルディは地上での移動には二足歩行を、樹上での移動には四足歩行を使い分けていたと考えられています。その歩行能力は、後の時代のホミニンに比べるとまだ原始的であり、長距離の歩行や走行は難しかっただろうと推測されています。足の構造が持つ二面性からは、食物を探すために地上に降りたものの、夜間の休息や捕食者からの回避のために、まだ樹上で生活していたのではないか、という指摘もされています。

骨盤の構造も、歩行様式や進化段階を示す重要な要素です。現生人類の骨盤は、上下に短く左右に広い構造をしており、直立姿勢で上半身を支えるのに適しています。アルディの骨盤は、アウストラロピテクス・アファレンシスのルーシーと比べても上下に長く、より原始的な特徴を残しています。このことから、ルーシーに比べて直立二足歩行の能力では劣っていた可能性が指摘されていますが、骨盤の上部には直立歩行に適応したと考えられる要素も認められます。同時に、木登りに適した特徴も混在していると指摘されています。腰の骨と仙骨の近接具合が、その後のヒトの骨格構造に共通すると指摘する研究者もいれば、腸骨にアウストラロピテクス属に見られる特徴が観察されると指摘する研究者もおり、アルディの骨盤には進化上の過渡期の特徴が表れていると言えます。

生息年代と環境

アルディが生息していた年代である約440万年前という数値は、アルディの化石が発見された地層を挟み込むように存在する火山灰層の年代を、アルゴン-アルゴン法という放射年代測定法によって測定した結果から特定されました。この年代測定から、アルディのいた地層は、上の火山灰層と下の火山灰層の間の、約100年から1万年という比較的短い期間に堆積したと推測されています。

また、アルディの化石と一緒に出土した化石には、森林に生息するレイヨウや特定のサルの一種などの動物化石、そして種子や木片といった植物化石が含まれていました。これらの発見は、アルディが生息していた環境が森林に囲まれていたことを強く示唆しています。前述した、歯の分析から推測される砂まじりの食物をあまり摂取していなかったという特徴も、サバンナで暮らしていたアウストラロピテクス属とは異なり、アルディピテクス・ラミドゥスがまだサバンナへの本格的な進出をしていなかったことを示唆するものです。これらの証拠から、アルディが暮らしていた環境は、現在知られているような広大なサバンナではなく、森林とサバンナが入り混じるようなモザイク状の環境だったろうと推測されています。この推測は、かつて広く受け入れられていた、人類の進化がアフリカ大地溝帯を境にした東西で異なり、東側で乾燥化が進みサバンナが広がったことが直立二足歩行を促したとするイヴ・コパン氏の仮説「イーストサイドストーリー」が、そのままでは成り立たない可能性を示唆するものでした。

アルディの発見とその後の詳細な分析は、人類がどのようにして類人猿から分岐し、独自の進化を遂げてきたのかという、最も根源的な問いに対して、全く新しい視点をもたらしました。全身骨格という稀有な標本が示す独特な身体構造は、初期ホミニンの多様性を示し、私たちの祖先の姿が、これまで想像していたよりもはるかに複雑であったことを教えてくれています。

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