イル・トロヴァトーレ

『イル・トロヴァトーレ』（Il Trovatore）は、ジュゼッペ・ヴェルディが作曲した全4幕からなるオペラで、彼の作品の中でも特にドラマティックで情熱的な作品として知られています。1853年にローマで初演されて以来、世界中で繰り返し上演され、多くの観客を魅了し続けています。このオペラは、ヴェルディの中期における傑作の一つとされており、その音楽的な完成度の高さとともに、複雑な人間関係と劇的な展開が特徴です。

作曲の経緯

『イル・トロヴァトーレ』の作曲は、ヴェルディが『リゴレット』を成功させた後、しばらく作曲活動が停滞していた時期に行われました。1851年の母の死や、ジュゼッピーナ・ストレッポーニとの同棲に対する周囲の批判など、私生活での様々な出来事が影響していたと考えられます。しかし、ヴェルディは自身の農園経営にも積極的に関与するなど、作曲以外の活動にも精力を注いでいました。作曲家としての経済的な基盤を確立したヴェルディは、劇場からの委嘱に縛られることなく、自ら選んだ題材に時間をかけて取り組むことができるようになりました。その結果として生まれたのが、この『イル・トロヴァトーレ』です。

原作は、スペインの劇作家アントニオ・ガルシア・グティエレスが書いた戯曲『エル・トロバドール』です。この戯曲は、中世の騎士物語、男女の恋愛、ジプシーの呪いといった、様々な要素が複雑に絡み合った作品です。ヴェルディがこの戯曲をどのように知ったかは定かではありませんが、当時イタリア語訳がなかったため、マドリードのオペラ関係者を通じて入手し、ジュゼッピーナが仮訳したのではないかと考えられています。ヴェルディは遅くとも1851年の春にはこの訳に目を通し、台本作家のサルヴァトーレ・カンマラーノに台本化を依頼しました。

カンマラーノは、ドニゼッティのオペラ『ランメルモールのルチア』などの台本を手がけたことで知られていますが、彼がヴェルディと組んだ理由は明確ではありません。ヴェルディは劇場からの委嘱を受けていたわけではなかったため、座付き作家を使う必要はなかったのですが、カンマラーノの持つ劇的な展開と詩的な才能が、複雑な戯曲のオペラ化に適任だと考えたのかもしれません。ただし、カンマラーノは伝統的な「番号付き」オペラの形式に固執し、ヴェルディが前作『リゴレット』で試みた、切れ目のない重唱による緊張感の維持といった新しい手法は、ここでは一旦後退しています。

当初、初演はカンマラーノと縁の深いナポリのサン・カルロ劇場で予定されていましたが、ヴェルディが要求した金額が法外であったため、ローマのアポロ劇場での初演となりました。しかし、カンマラーノは1852年7月に急逝し、台本は未完のまま残されました。その後、ヴェルディは若い詩人レオーネ・エマヌエーレ・バルダーレと契約し、カンマラーノの草稿に基づいて台本を完成させました。ヴェルディは、1852年10月には1ヶ月で作曲したという逸話がありますが、実際には、カンマラーノとの交渉を開始した1851年からメロディーのほとんどは作り貯めていたと考えられています。

初演は大成功を収め、パリ、ロンドン、ニューヨークなど世界各地で再演されました。ヴェルディ自身も「西インド諸島でもアフリカの真ん中でも、私の『イル・トロヴァトーレ』を聴くことができる」と豪語したほどでした。

舞台構成

オペラは全4幕で構成されています。

第1幕「決闘」：ルーナ伯爵の居城
第2幕「ジプシーの女」：ビスカヤの山中
第3幕「ジプシーの息子」：野営地と城の礼拝堂
第4幕「処刑」：ルーナ伯爵の居城

主な登場人物は以下の通りです。

ルーナ伯爵（バリトン）：誇り高いアラゴンの貴族
レオノーラ（ソプラノ）：アラゴン王妃の美しい女官
アズチェーナ（メゾソプラノ）：ジプシーの老婆
マンリーコ（テノール）：放浪の騎士で吟遊詩人。アズチェーナの息子として育てられているが、実はルーナ伯爵の実弟
フェルランド（バス）：ルーナ伯爵の家臣

あらすじ

15世紀初頭のスペインを舞台に、愛、復讐、出生の秘密が複雑に絡み合った物語が展開されます。

第1幕では、ルーナ伯爵の家臣フェルランドが、先代の伯爵には2人の息子がいたが、弟がジプシーの老婆によって呪いをかけられ、行方不明になったという昔話をします。一方、レオノーラはマンリーコを待っていますが、彼女に想いを寄せるルーナ伯爵が現れます。レオノーラはルーナをマンリーコと間違えて抱きついてしまい、そこにマンリーコが登場。怒ったルーナ伯爵とマンリーコは決闘を始めますが、勝負はつきません。

第2幕では、ジプシーのアズチェーナが、息子マンリーコに過去の出来事を語ります。彼女は、火刑に処された母親の復讐のため、伯爵の子供を誘拐して火に投げ込みましたが、それは自分の息子だったと告白します。マンリーコは自分の出自に疑問を抱きますが、アズチェーナは彼に伯爵への復讐を促します。一方、マンリーコが死んだと誤解したレオノーラは修道院入りを決意しますが、ルーナ伯爵に誘拐されそうになったところをマンリーコに助けられます。

第3幕では、アズチェーナが伯爵に捕らえられ、マンリーコをおびき出す人質にされてしまいます。マンリーコとレオノーラは結婚式を挙げようとしますが、アズチェーナが捕まったことを知ったマンリーコは、怒りに燃え、伯爵への復讐を誓います。

第4幕では、戦いで敗れたマンリーコが牢獄に捕らえられます。レオノーラは、自分の体と引き換えにマンリーコの命を救うよう伯爵に提案します。レオノーラは密かに毒を飲み、牢獄でマンリーコに会いに行き、彼を解放しようとします。しかし、レオノーラが自らの貞操を犠牲にしたことを知ったマンリーコは、彼女を非難します。レオノーラは毒が効いて死に、自分が騙されたことを知ったルーナ伯爵は、マンリーコの処刑を命じます。処刑されたマンリーコを目の当たりにしたアズチェーナは、ルーナ伯爵にマンリーコが彼の弟であることを告げ、復讐を果たしたことを叫びます。

著名なアリア・重唱

このオペラには、数々の美しいアリアや重唱が含まれています。

第1幕：フェルランドの歌う物語、レオノーラのアリア「穏やかな夜」、マンリーコ、レオノーラ、ルーナ伯爵の三重唱
第2幕：「鍛冶屋の合唱」（通称「アンヴィル・コーラス」）、アズチェーナのアリア「炎は燃えて」、ルーナ伯爵のアリア「君の微笑み」
第3幕：マンリーコのアリア「ああ、美しい人」、マンリーコのカバレッタ「見よ、恐ろしい炎を」
第4幕：レオノーラのカヴァティーナ「恋は薔薇色の翼に乗って」、ミゼレーレ、アズチェーナとマンリーコの二重唱「我らの山へ」

特に有名なのは、第3幕でマンリーコが歌うカバレッタ「見よ、恐ろしい炎を」で、テノール歌手が楽譜にはない高音のハイCを挿入することが慣例になっています。このハイCは、テノールにとって大きな挑戦であり、時に歌手は失敗を恐れて半音下げて歌うこともあります。

派生

『イル・トロヴァトーレ』は、映画や宝塚歌劇団の題材としても取り上げられています。

映画『オペラは踊る』では、舞台上で展開する『イル・トロヴァトーレ』の公演が、マルクス兄弟によって混乱させられる様子が描かれています。
映画『夏の嵐』では、『イル・トロヴァトーレ』の有名なアリアが、イタリアの独立運動を象徴する場面で用いられています。
宝塚歌劇団では、オペラを題材にした『炎にくちづけを～イル・トロヴァトーレ～』が上演されました。

『イル・トロヴァトーレ』は、その劇的な展開と美しい音楽によって、今もなお多くの人々に愛され続けています。

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