エリュマントスの猪

エリュマントスの猪は、古代ギリシア神話に語られる恐ろしい存在です。アルカディア地方の高地にそびえるエリュマントス山を根城とし、その巨大な体と凶暴さで周囲の土地、特にプソーピス一帯の田畑や集落を蹂躙しました。この怪物の活動により、地域住民は常に脅威に晒され、深い畏怖を抱いていました。

神話的背景

エリュマントス山は、月の女神であり狩りの女神でもあるアルテミスがしばしば訪れ、狩猟を楽しんだとされる場所です。神話学者の中には、この怪物猪そのものがアルテミスの意思によって放たれた可能性を示唆する説もあります。これは、アルテミスが人間に対する怒りを示す際に、かつてカリュドーンで起きた出来事のように、獰猛な猪を送り込むという性質を持っていたことに基づいています。

ミュケーナイの王エウリュステウスは、当時奴隷として仕えさせていた英雄ヘーラクレースに対し、この手強いエリュマントスの猪を生け捕りにするよう命じました。この任務は、ヘーラクレースが達成したとされる「12の功業」の一つに数えられていますが、その順序については文献によって異なり、アポロドーロスは4番目としていますが、シケリアのディオドロスやヒュギーヌスは3番目としています。

猪捕獲の物語

エリュマントスの猪を捕らえるという困難な使命に赴く途中、ヘーラクレースは予期せぬ出来事に遭遇します。彼はポロエーという地で、善良なケンタウロスであるポロスから手厚いもてなしを受けました。しかし、ヘーラクレースがケンタウロス族全体が共有していた特別な酒を所望し、ポロスの制止にもかかわらず酒甕を開けてしまったことから事態は急変します。酒の強い香りに引き寄せられた他のケンタウロスたちが武装して集まり、ヘーラクレースとの間に激しい争いが発生しました。

ヘーラクレースは彼らと戦いながらペロポネーソス半島の南東端にあるマレアー岬まで追撃しました。この地は、賢明なケイローンが移り住んでいた場所であり、ケンタウロスたちはケイローンを頼って逃げ込みました。ヘーラクレースがケンタウロス族を追い詰めて矢を放った際、一本の矢がエラトスの腕を貫通した後、偶然にもケイローンに当たってしまいました。この矢にはレルネーのヒュドラーの猛毒が塗られており、不死の存在であったケイローンは死ぬことはできませんでしたが、激しい苦痛に永遠に苛まれることになります。ヘーラクレースは師でもあるケイローンを救う術を知らず、ただ苦悶を見守るしかありませんでした。一方、ヘーラクレースを歓待したポロスは、屈強な同族が英雄の矢によってたやすく倒される光景に驚き、落ちていた矢を拾い上げました。しかし、その際に手が滑り、鏃が彼の脚に刺さってしまい、同じヒュドラーの毒によって命を落としてしまいました。

この戦いを生き延びたケンタウロスたちは各地へと散り散りになりました。一部はマレアー山に、エウリュティオーンはポロエーに、ネッソスはエウエーノス河へと逃れました。また、ホマドスというケンタウロスはアルカディア地方でエウリュステウスの姉妹であるアルキュオネーを襲撃しましたが、これもヘーラクレースによって討たれました。

ポロスを手厚く葬った後、ヘーラクレースは本来の任務であるエリュマントスの猪の狩りに向かいました。彼は雪に覆われた山中に罠を仕掛け、猪を見つけ出すと大声をあげて追い回し、怪物に疲労を与えました。そして、見事に罠へと追い込み、生け捕りに成功しました。ただし、シケリアのディオドロスの記述では、ヘーラクレースは猪と格闘して捕獲したとされています。

捕らえた猪を担ぎ上げ、ヘーラクレースはミュケーナイの王宮へと帰還しました。怪物と対面したエウリュステウス王はあまりの恐ろしさに大いに怯え、身を守るかのように大きな青銅製の甕の中に隠れてしまったといわれています。

古代の伝承では、イタリアのクマエーにあるアポローン神殿に、エリュマントスの猪のものとされる巨大な牙が保管されていたと伝えられています。

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