エンリケ航海王子
エンリケ航海王子（Infante Dom Henrique）は、1394年3月4日にポルトガル王国のポルトで生を受けました。アヴィス王朝の創始者であるジョアン1世と、イングランド王家のランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘フィリパの間に生まれた三男です。彼は自ら船に乗って大海原へ乗り出すことはありませんでしたが、その後の世界史を大きく変えることになる大航海時代の初期において、極めて重要な役割を果たしました。
彼の名前は単にエンリケ王子ですが、歴史的には早くから「航海王子」（O Navegador）の敬称で広く知られていました。英語圏ではPrince Henry the Navigatorと呼ばれ、日本でも「ヘンリー航海王子」と表記されることもあります。また、「エンリケ親王」と呼ばれることもあります。
青年期、21歳になったエンリケ王子は、父ジョアン1世と共に、1415年のセウタ攻略戦に参加しました。ジブラルタル海峡に面する北アフリカの要衝セウタを攻略したことは、ポルトガルにとってアフリカ大陸への足がかりを築く重要な一歩となりました。この遠征での武功により、エンリケは騎士に叙せられ、父王によって新たに設けられたヴィゼウ公の位に就きました。
セウタでの経験は、エンリケのその後の人生に大きな影響を与えたと言われています。イスラム世界の商取引、特にサハラ砂漠を越えるキャラバンによる金や香辛料の交易を目にしたことで、彼はイスラム商人を通さずにこれらの富を得るための独自の活路、すなわちアフリカ西岸を通る新航路の開拓に強い野心を抱くようになったとされています。
エンリケは、1420年5月25日にテンプル騎士団の後継組織であるキリスト騎士団の総長に就任しました。この地位は彼の死まで続き、騎士団が有する莫大な資産は、彼の推進する探検事業にとって強力な資金源となりました。特に1440年代にかけて、エンリケは探検活動に情熱を傾け、同時に騎士団の重責も果たし、熱心なキリスト教徒としての信仰を深めていきました。
探検事業の拠点として、ポルトガル最南西端のサグレス一帯に「王子の村」（Vila do Infante）を建設したという伝承があります。この村には、造船所や観測所、航海術や地図製作を学ぶための施設が置かれ、航海技術の発展に貢献したとされています。当時屈指の地図製作者であるジェフダ・クレスケスを招き、既存の地図を統合・改訂させたとも伝えられています。この活動により、近隣の港町ラゴスは造船業で栄えることになりました。しかし、「王子の村」や特に航海学校の存在については、その詳細や実態には不明な点が多く、後世の創作ではないかという見方も存在します。1587年にイギリスのフランシス・ドレーク艦隊にサグレスが襲撃された際、ゆかりの品々が破壊されたため、真相は分からなくなっています。
エンリケの探検事業は、まず大西洋上の島々の「発見」から始まりました。1419年には、エンリケが派遣した探検隊によってマデイラ諸島が到達され、翌年から植民地化が始まりました。これは彼の事業にとって最初の成果でした。1427年にはディオゴ・デ・シルベスがアゾレス諸島を発見し、その後ゴンサロ・ヴェーリョ・カブラルらが探検・植民を進めました。
当時のヨーロッパ人にとって、既知のアフリカ沿岸の最南端はカナリア諸島よりわずか南にあるボハドル岬でした。この岬の先には世界の果てがあり、煮え立つ恐ろしい海が広がっているという迷信が広く信じられており、船乗りたちはこの岬を越えることを極度に恐れていました。エンリケは1422年頃からこの難関に挑み、幾度も探検隊を送りましたが、成功しませんでした。しかし、1434年、エンリケの命を受けたジル・エアネスが遂にボハドル岬を越えることに成功しました。この偉業は長年の迷信を打ち破り、その後の未知の海域への探検に道を開く画期的な出来事となりました。
1433年に父王ジョアン1世が崩御し、兄ドゥアルテ1世が即位すると、エンリケはボハドル岬以遠の新規到達地における商業利益の5分の1を受け取る特権を認められました。しかし、1437年には自らの指揮による北アフリカのタンジール攻撃が失敗し、軍事的な評価を大きく落としました。この時捕虜となった弟フェルナンド王子は、捕囚のまま命を落とす悲運に見舞われました。この失敗以降、エンリケは国内政治と探検事業に専念することになります。
ドゥアルテ1世の短い治世の後、甥にあたる幼王アフォンソ5世が即位すると、エンリケは自身の特権確保を条件に、摂政となった兄ペドロを支持しました。この時期、ポルトガルで新たに開発された高性能な帆船、キャラベル船が探検に用いられるようになり、アフリカ西岸探検は飛躍的に加速しました。
1441年にはヌーノ・トリスタンとアントン・ゴンサウヴェスがブランコ岬（現在のモーリタニア沖）に到達し、1443年にはアルギン湾に達して、1448年にはそこにポルトガルの要塞を建設しました。1444年には、後の喜望峰到達者バルトロメウ・ディアスの父であるディニス・ディアスがセネガル川とヴェルデ岬に到達し、ギニアを訪れると共にサハラ砂漠の南端に達しました。これにより、エンリケはサハラ越えキャラバンに頼らずにアフリカ南部の富、特に金を手に入れる航路を確立するという、当初の目的を達成しました。アフリカからの金の流入はポルトガル経済に大きな恩恵をもたらし、1452年にはポルトガル初の金貨が鋳造されました。
探検事業が進む一方で、エンリケは国政にも関与し、コインブラ大学に天文学講座を設けるなどの文化振興にも力を尽くしました。1444年から1446年にかけて、ラゴス港からは多くの探検船が出港し、1450年代にはカーボベルデ諸島が「発見」され、エンリケが亡くなる1460年には探検は現在のシエラレオネ沿岸にまで到達していました。
1460年11月13日、エンリケ航海王子は「王子の村」で66年の生涯を閉じました。彼の指揮のもと、ポルトガル船団はシエラレオネに至るまで、アフリカ沿岸約2400キロメートルを踏破していました。彼の功績は、その後のポルトガルの海外進出、特にジョアン2世時代の飛躍の基礎となり、彼の死から28年後にはバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰に到達する快挙を成し遂げます。エンリケ航海王子の名は、大航海時代を切り拓いたパイオニアとして、後世に語り継がれています。
彼の人物像や探検の動機には多くの謎が残されています。特に肖像画については議論があり、一般的に知られる黒いシャペロンを被った口髭の人物像は、『ギネー発見征服誌』や『サン・ヴィセンテの祭壇画』に基づいたものですが、近年の研究では、これは兄のドゥアルテ1世であり、エンリケの真の肖像は別の人物であるという説も提唱されています。
彼の没後500周年にあたる1960年には、リスボンのテージョ川岸に偉業を称える「発見のモニュメント」が建立されました。また、1994年にはアメリカ合衆国マサチューセッツ州に「ヘンリー航海王子公園」がポルトガル政府などから寄贈されるなど、今日でも世界各地でその功績が記念されています。
彼の名前は単にエンリケ王子ですが、歴史的には早くから「航海王子」（O Navegador）の敬称で広く知られていました。英語圏ではPrince Henry the Navigatorと呼ばれ、日本でも「ヘンリー航海王子」と表記されることもあります。また、「エンリケ親王」と呼ばれることもあります。
青年期、21歳になったエンリケ王子は、父ジョアン1世と共に、1415年のセウタ攻略戦に参加しました。ジブラルタル海峡に面する北アフリカの要衝セウタを攻略したことは、ポルトガルにとってアフリカ大陸への足がかりを築く重要な一歩となりました。この遠征での武功により、エンリケは騎士に叙せられ、父王によって新たに設けられたヴィゼウ公の位に就きました。
セウタでの経験は、エンリケのその後の人生に大きな影響を与えたと言われています。イスラム世界の商取引、特にサハラ砂漠を越えるキャラバンによる金や香辛料の交易を目にしたことで、彼はイスラム商人を通さずにこれらの富を得るための独自の活路、すなわちアフリカ西岸を通る新航路の開拓に強い野心を抱くようになったとされています。
エンリケは、1420年5月25日にテンプル騎士団の後継組織であるキリスト騎士団の総長に就任しました。この地位は彼の死まで続き、騎士団が有する莫大な資産は、彼の推進する探検事業にとって強力な資金源となりました。特に1440年代にかけて、エンリケは探検活動に情熱を傾け、同時に騎士団の重責も果たし、熱心なキリスト教徒としての信仰を深めていきました。
探検事業の拠点として、ポルトガル最南西端のサグレス一帯に「王子の村」（Vila do Infante）を建設したという伝承があります。この村には、造船所や観測所、航海術や地図製作を学ぶための施設が置かれ、航海技術の発展に貢献したとされています。当時屈指の地図製作者であるジェフダ・クレスケスを招き、既存の地図を統合・改訂させたとも伝えられています。この活動により、近隣の港町ラゴスは造船業で栄えることになりました。しかし、「王子の村」や特に航海学校の存在については、その詳細や実態には不明な点が多く、後世の創作ではないかという見方も存在します。1587年にイギリスのフランシス・ドレーク艦隊にサグレスが襲撃された際、ゆかりの品々が破壊されたため、真相は分からなくなっています。
エンリケの探検事業は、まず大西洋上の島々の「発見」から始まりました。1419年には、エンリケが派遣した探検隊によってマデイラ諸島が到達され、翌年から植民地化が始まりました。これは彼の事業にとって最初の成果でした。1427年にはディオゴ・デ・シルベスがアゾレス諸島を発見し、その後ゴンサロ・ヴェーリョ・カブラルらが探検・植民を進めました。
当時のヨーロッパ人にとって、既知のアフリカ沿岸の最南端はカナリア諸島よりわずか南にあるボハドル岬でした。この岬の先には世界の果てがあり、煮え立つ恐ろしい海が広がっているという迷信が広く信じられており、船乗りたちはこの岬を越えることを極度に恐れていました。エンリケは1422年頃からこの難関に挑み、幾度も探検隊を送りましたが、成功しませんでした。しかし、1434年、エンリケの命を受けたジル・エアネスが遂にボハドル岬を越えることに成功しました。この偉業は長年の迷信を打ち破り、その後の未知の海域への探検に道を開く画期的な出来事となりました。
1433年に父王ジョアン1世が崩御し、兄ドゥアルテ1世が即位すると、エンリケはボハドル岬以遠の新規到達地における商業利益の5分の1を受け取る特権を認められました。しかし、1437年には自らの指揮による北アフリカのタンジール攻撃が失敗し、軍事的な評価を大きく落としました。この時捕虜となった弟フェルナンド王子は、捕囚のまま命を落とす悲運に見舞われました。この失敗以降、エンリケは国内政治と探検事業に専念することになります。
ドゥアルテ1世の短い治世の後、甥にあたる幼王アフォンソ5世が即位すると、エンリケは自身の特権確保を条件に、摂政となった兄ペドロを支持しました。この時期、ポルトガルで新たに開発された高性能な帆船、キャラベル船が探検に用いられるようになり、アフリカ西岸探検は飛躍的に加速しました。
1441年にはヌーノ・トリスタンとアントン・ゴンサウヴェスがブランコ岬（現在のモーリタニア沖）に到達し、1443年にはアルギン湾に達して、1448年にはそこにポルトガルの要塞を建設しました。1444年には、後の喜望峰到達者バルトロメウ・ディアスの父であるディニス・ディアスがセネガル川とヴェルデ岬に到達し、ギニアを訪れると共にサハラ砂漠の南端に達しました。これにより、エンリケはサハラ越えキャラバンに頼らずにアフリカ南部の富、特に金を手に入れる航路を確立するという、当初の目的を達成しました。アフリカからの金の流入はポルトガル経済に大きな恩恵をもたらし、1452年にはポルトガル初の金貨が鋳造されました。
探検事業が進む一方で、エンリケは国政にも関与し、コインブラ大学に天文学講座を設けるなどの文化振興にも力を尽くしました。1444年から1446年にかけて、ラゴス港からは多くの探検船が出港し、1450年代にはカーボベルデ諸島が「発見」され、エンリケが亡くなる1460年には探検は現在のシエラレオネ沿岸にまで到達していました。
1460年11月13日、エンリケ航海王子は「王子の村」で66年の生涯を閉じました。彼の指揮のもと、ポルトガル船団はシエラレオネに至るまで、アフリカ沿岸約2400キロメートルを踏破していました。彼の功績は、その後のポルトガルの海外進出、特にジョアン2世時代の飛躍の基礎となり、彼の死から28年後にはバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰に到達する快挙を成し遂げます。エンリケ航海王子の名は、大航海時代を切り拓いたパイオニアとして、後世に語り継がれています。
彼の人物像や探検の動機には多くの謎が残されています。特に肖像画については議論があり、一般的に知られる黒いシャペロンを被った口髭の人物像は、『ギネー発見征服誌』や『サン・ヴィセンテの祭壇画』に基づいたものですが、近年の研究では、これは兄のドゥアルテ1世であり、エンリケの真の肖像は別の人物であるという説も提唱されています。
彼の没後500周年にあたる1960年には、リスボンのテージョ川岸に偉業を称える「発見のモニュメント」が建立されました。また、1994年にはアメリカ合衆国マサチューセッツ州に「ヘンリー航海王子公園」がポルトガル政府などから寄贈されるなど、今日でも世界各地でその功績が記念されています。
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