コバンムシ

はじめに
コバンムシ（学名：Ilyocoris cimicoides）は、カメムシ目（半翅目）に属する水生昆虫の一種で、コバンムシ科に分類されています。水中の生活に適応しており、その名の通り光沢のある扁平な小判型の体を持つのが特徴です。そのユニークな形態と生態から水辺環境における興味深い存在ですが、現在日本ではその存続が危ぶまれています。

形態
成虫の体長は11ミリメートルから12.5ミリメートル程度です。体全体に強い光沢があり、非常に平たい小判のような形をしています。名前の由来もこの体形にあります。前脚は他の水生カメムシ類と同様に鎌状に発達しており、水中で接近した小動物などを捕らえるための捕獲脚として機能しますが、同じ水生カメムシ類のタガメやコオイムシの捕獲脚に比べると、その発達は控えめで、あまり目立たない点が特徴です。生きた状態では、頭部や前胸背は淡い緑色をしていますが、硬い前翅（上翅）は褐色を呈しています。複眼も褐色です。

生態
コバンムシは、ヒルムシロやヒシといった水面に葉を浮かせる浮葉植物が豊富に生育している沼や池、あるいは流れの緩やかな水域といった環境を好んで生息します。これらの水生植物帯は、獲物となる小動物が集まりやすく、また捕食者からの隠れ場所ともなるため、コバンムシにとって理想的な生息環境となります。越冬した成虫は、春になると繁殖活動に入ります。卵は、ミツガシワのような水生植物の根の組織内に、その組織を傷つける形で産み付けられていると考えられています。この春の繁殖期を経て、幼虫は成長し、夏から秋にかけて新たな成虫となって出現します。

分布
本種は、東アジアを中心に分布しており、日本では本州と九州に生息が確認されています。国外では、朝鮮半島や中国大陸にも広く分布しています。

外来種の懸念
近年、日本国内において国外から持ち込まれたコバンムシの個体群が定着している可能性が指摘されています。2006年に山口県で採集されたコバンムシの個体が、日本の在来個体群と考えられている亜種（Ilyocoris cimicoides exclamationis）よりも、イギリスやデンマークなどヨーロッパに分布する亜種（Ilyocoris cimicoides cimicoides）と外見が類似していることが確認されました。さらに、生物の種同定に用いられるミトコンドリアDNAのCOI領域を用いたDNAバーコーディング解析を行った結果、この個体が遺伝的にヨーロッパ系の亜種に極めて近縁であることが明らかになりました。この分析結果は、本来の分布域外であるヨーロッパから持ち込まれた個体群が日本国内にすでに定着している可能性があることを強く示唆しており、今後の生態系への影響が懸念されています。

保全状況と人間との関わり
日本では、コバンムシはその生息数の減少により、絶滅が危惧されている重要な生物です。環境省のレッドリストにおいては、かつては絶滅の危険が増大している種とされる絶滅危惧II類（VU）に分類されていましたが、2012年8月に公表された第4次レッドリストでは、さらに状況が悪化し、絶滅の危機に瀕している種とされる絶滅危惧IB類（EN）へとカテゴリーが引き上げられました。これは、本種の生息環境である水辺環境の減少や質の劣化などが深刻に進行していることを反映しています。
この厳しい状況を受け、コバンムシの法的な保護が強化されました。2023年1月には、同じく大型の水生カメムシであるタガメと共に、種の保存法に基づく「特定第二種国内希少野生動植物種」に指定されました。この指定により、学術研究や教育目的などを除く商業目的での採集や捕獲、あるいは譲渡などが原則として厳しく禁止され、法的な保護措置が講じられています。これは、希少性の高い野生動植物を無秩序な捕獲などから守り、その保全を図るための重要なステップです。コバンムシの将来的な保全には、残された生息環境である良好な水辺環境を維持・回復させること、そして国外からの移入個体群問題に適切に対処していくことが不可欠となっています。

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