シリウス・パセット動物群

概要

シリウス・パセット動物群（Sirius Passet fauna）は、約5億1800万年前にあたる古生代カンブリア紀の第三期に栄えた生物群です。この動物群の化石は、現在のグリーンランド北部に位置するビュエン層（Buen Formation）の一部である「シリウス・パセット」と呼ばれる場所から発見されます。この時代は、多様な動物が突如として姿を現した「カンブリア爆発」の時期にあたり、シリウス・パセット動物群は当時の生命の多様性や進化の様子を伝える貴重な情報源の一つとされています。

発見と研究の歴史

シリウス・パセットの化石産地は、中グリーンランド北部のピアリーランド、具体的には北緯82度47.59分、西経42度13.54分の地点に位置するビュエン層の堆積累層内にあります。この重要な発見のきっかけは、1984年にグリーンランド地質調査所のA. ヒギンズらが現地調査を行っていた際に、偶然海綿の化石を見つけたことでした。その後、カンブリア紀研究の第一人者であるサイモン・コンウェイ・モリスらが1989年から本格的な調査を開始し、これまでに1,000点を超える化石を収集しています。

しかし、カンブリア紀の他の著名な化石産地、例えばカナダのバージェス頁岩や中国の澄江動物群などと比較すると、シリウス・パセット動物群はまだ研究が進んでおらず、知られている生物種数も少ないのが現状です。2019年時点での大規模な調査遠征は約9回に留まっており、今後のさらなる調査によって、未知の生物や新たな知見がもたらされることが期待されています。

カンブリア紀の環境

現在のシリウス・パセットは北極圏に位置する極寒の地ですが、約5億1800万年前のカンブリア紀当時は、地球のプレートテクトニクスによってこの地域は赤道付近に位置していたと考えられています。当時の環境は、温暖な熱帯域の気候であり、化石が堆積した海底は酸素濃度が比較的低い状態であったと推測されています。このような特定の環境条件が、生物の多様な形態を保存するのに適していた可能性が指摘されています。

化石群の特徴

シリウス・パセットで発見される化石群の最も興味深い点の一つは、同時期の他の有名な「ラーゲルシュテッテン」（化石の保存状態が例外的に良い産地）であるバージェス動物群や澄江動物群と、共通あるいは非常によく似た生物が含まれていることです。これは、カンブリア紀中期の生物相が広範囲に分布していたことを示唆しています。

一方で、シリウス・パセット動物群には独自の顕著な特徴もいくつか見られます。特筆すべきは、甲殻類の一種である鱗甲類（ブラキオポーダとは異なるグループ）の完全な姿を示す化石や、初期の節足動物の原始的な形態を示す化石が含まれている点です。これらの化石は、節足動物を含む様々な動物グループがどのように進化し、多様化していったのかを理解する上で極めて重要です。さらに、この動物群の特徴として、眼を持つ生物に比べて眼を欠く、あるいは未発達な生物の化石が多く見つかる傾向があることも挙げられます。これは、当時の特定の環境下での適応や、感覚器官の進化の多様性を示す可能性があり、研究者たちの関心を集めています。

含まれる主な動物

シリウス・パセット動物群からは、当時の多様な生態系を構成していた様々なグループの動物の化石が発見されています。以下に代表的なグループと、その中に含まれる属の例を挙げます（一部は他の動物群にも共通種や類似種が見られます）。

葉足動物: ケリグマケラ（Kerygmachela）、パンブデルリオン（Pambdelurion）、ハドラナックス（Hadranax）など。現生の有爪動物や緩歩動物に繋がる可能性がある初期的な動物群です。
ラディオドンタ類: タミシオカリス（Tamisiocaris）など。有名なアノマロカリスに近縁な、初期の大型捕食者あるいは濾過摂食者です。
真節足動物: アーヴェカスピス（Aaveqaspis）、ブエネルス（Buenellus）、イソキシス（Isoxys）、モラリア（Molaria）など。多様な形態を持つ初期の節足動物が含まれ、特にイソキシスはバージェスや澄江でも見つかる普遍的な属です。
鰓曳動物・Palaeoscolecida類: チャラゾスコレックス（Chalazoscolex）など。細長い蠕虫状の動物たちです。
環形動物: フラグモカエタ（Phragmochaeta）など。現在のゴカイなどに繋がる系統の初期メンバーです。
軟体動物: ハルキエリア（Halkieria）、ヒオリテス類（Hyolithus）など。ハルキエリアは硬い鱗や棘、そして二枚の殻を持つ独特な動物で、軟体動物との関連が議論されています。
毛顎動物: ティモレベスティア（Timorebestia）など。現在のヤムシ類に繋がる捕食性の動物で、バージェス動物群のアミスクウィアに類似した形態を持つものが含まれます。
胴甲動物: シリロリカ（Sirilorica）など。硬い鎧のような構造を持つ微小な動物門です。
古虫動物: オーエディゲラ（Ooedigera）など。尾索動物など現生の被嚢類に近縁ではないかと考えられているグループで、澄江動物群のウェツリコラに類似しています。
海綿動物: チョイア（Choia）、コンステラティスポンギア（Constellatispongia）など。動物界の中で最も初期に分岐したグループの一つであり、チョイアは他のカンブリア紀動物群にも普遍的に見られる皿状の海綿です。

これらの生物群は、カンブリア紀の初期的な生態系が既に複雑であり、多様な形態や生活様式を持つ生物が共存していたことを明確に示しています。特に、初期の動物群の系統関係や形態進化の道筋を解明する上で、シリウス・パセット動物群の化石は非常に重要な手掛かりを提供しています。

まとめ

シリウス・パセット動物群は、カンブリア紀中期という生命進化史における重要な時代を映し出す貴重な窓であり、「ラーゲルシュテッテン」としての価値を高く評価されています。カナダのバージェス動物群や中国の澄江動物群といった他の著名なカンブリア紀動物群との共通性と、鱗甲類の完全化石や眼を欠く動物が多いといった固有の特徴を併せ持っている点が特徴です。この動物群の研究はまだ途上にあり、今後のさらなる調査と分析によって、カンブリア爆発期の生物多様性や初期動物の進化に関する新たな発見がもたらされることが期待されています。

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