スターティング・ハンドル

スターティング・ハンドル：人力でエンジンを始動させる装置

スターティング・ハンドルは、内燃機関のクランクシャフトを手動で回転させ、エンジンを始動させるための装置です。主に自動車で使用されてきましたが、小型船舶、戦前の航空機や戦車などにも広く用いられていました。英語圏ではハンドクランクやクランキングハンドルとも呼ばれ、日本では「クランク棒」や旧日本軍では「始動転把」という名称が使われていました。現在では、小型エンジンのリコイルスターターの部品を指す場合が多い「スターターハンドル」と区別する必要があります。

スターティング・ハンドルの仕組み

スターティング・ハンドルは、クランクシャフトの先端に装着し、ハンドルを回転させることでクランクシャフトを直接回転させます。オートバイのキックスターターと同様、人力でエンジンを始動させる装置ですが、キックスターターが足で操作するのに対し、スターティング・ハンドルは腕で操作します。

クランクシャフトとスターティング・ハンドルの連結部には、噛み合いクラッチ機構が用いられています。一般的には、スターティング・ハンドルの軸先端に横棒を差し込んでT字型にし、クランクシャフトの末端のコの字型の切り込みに噛み合わせることで駆動力を伝達します。この噛み合いは、スターティング・ハンドルが回転できる方向を1方向に制限し、クランクシャフトの逆回転を防ぐとともに、エンジンが始動してクランクシャフトの回転速度がスターティング・ハンドルの回転速度を上回ると自動的に噛み合いが外れるワンウェイクラッチとしての機能も持ちます。多くの場合、クランクシャフトの先端にはクランクプーリーが取り付けられているため、このプーリーのボルトをスターティング・ハンドル用のボルトに交換することで、スターティング・ハンドルでの始動が可能になります。このエンジンの受け口は、スタータードッグやスタータージョーなどと呼ばれます。

スターティング・ハンドルの歴史と普及

1920年代前半は、スターティング・ハンドルは車体やエンジンに固定されていました。しかし、1930年代頃からは着脱式となり、他の車載工具と共に予備装備として搭載されるようになりました。日本車では、1960年代半ば頃までは多くの車種に搭載されていましたが、1970年代には姿を消していきました。農業用トラクターなどでは、短いスターティング・ハンドルが用いられることもありました。ポーランドのウルススファクトリー製のトラクターは、ステアリングホイールをスターティング・ハンドルとして利用するという珍しい形態もありました。

1911年にセルモーターが実用化されると、スターティング・ハンドルは急速に廃れていきました。1912年式のキャデラック・モデル30にセルモーターが初めて採用されたのを皮切りに、1920年代には多くの自動車にセルモーターが標準装備されるようになりました。初期のセルモーターは信頼性に欠けていたため、1940年代までは予備装備としてスターティング・ハンドルが搭載されることもありましたが、次第に廃止されていきました。それでも、オフロードや極寒冷地など特殊な環境では、最後の始動手段としてスターティング・ハンドルが搭載された車種もありました。

スターティング・ハンドルの危険性

スターティング・ハンドルの最大の危険性は「キックバック」です。勢いが不足してハンドルが中途半端な位置で止まると、圧縮力が逆作用してクランクシャフトが逆回転し、ハンドルが勢いよく逆回転する現象が起こります。このキックバックによって、ハンドルがオペレーターに衝突し、骨折や脱臼などの重傷を負う可能性があります。「橈骨茎状突起骨折」は「ショーファー骨折」とも呼ばれ、スターティング・ハンドルによるキックバックが原因の一つとされています。キックバックを防ぐためには、適切な点火時期の設定や、親指をハンドルに掛けずに握る「モンキーグリップ」が推奨されました。

軍事利用

第二次世界大戦頃までは、航空機や軍用車両のレシプロエンジンにもスターティング・ハンドルが用いられていました。大排気量化が進んだため、人力でクランクシャフトを回転させることが難しくなると、小型ガソリンエンジンを用いたハックススターター、遠心力を利用した慣性始動機が用いられるようになりました。慣性始動機は、人力で回転力を増幅させてエンジンを始動させる装置で、この際にもスターティング・ハンドルに似たハンドクランクが用いられました。慣性始動機は、兵站が劣悪な状況でもエンジンを始動できるという利点がありましたが、始動に時間がかかるという欠点もありました。そのため、セルモーターや火薬式の始動装置が主流となっていきました。

消防、船舶、鉄道での利用

消防車でも、戦前の消防車はスターティング・ハンドルによる始動が一般的でした。1970年代頃までは、消防士の訓練の一環として、スターティング・ハンドルによる始動訓練が行われていました。船舶では、セルモーターなどが故障した場合の予備手段として、スターティング・ハンドルが用いられていました。鉄道では、軽便鉄道などでは1960年代までスターティング・ハンドルを用いた小型気動車が使用されていました。

まとめ

スターティング・ハンドルは、内燃機関を手動で始動させるための重要な装置でしたが、セルモーターの普及とともに急速に姿を消していきました。しかし、その歴史や技術的側面は、現代の技術の発展を知る上で重要なものです。また、その危険性についても理解しておく必要があります。

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