チューリップ (唱歌)
唱歌「チューリップ」は、日本で古くから親しまれている代表的な童謡・唱歌の一つです。色とりどりに咲くチューリップの花を題材にした、覚えやすく歌いやすい楽曲であり、未就学児から小学生を中心に、世代を超えて広く歌い継がれてきました。この歌は、文化庁と日本PTA全国協議会が選定した「日本の歌百選」にも名を連ねています。
「チューリップ」が初めて世に出たのは、1932年（昭和7年）に日本教育音楽協会が編集した幼稚園向けの唱歌集『ヱホンシヤウカ ナツノマキ』でのことでした。当時の出版物では作者名が明記されない慣習があり、この歌も初めは作詞・作曲者不明とされていました。これが後年、著作権を巡る複雑な問題へと発展していくことになります。
長い作者不詳の期間を経て、東京地方裁判所および東京高等裁判所の判決により、作詞者は近藤宮子、作曲者は井上武士であることが公に認められました。
作詞者の近藤宮子は、著名な国文学者である藤村作の娘として、文学や音楽に造詣の深い家庭に育ちました。母は東京音楽学校の卒業生、弟は俳人、夫も国文学者という環境でした。近藤自身も若い頃から短歌を詠むなど文学への関心が高く、父・藤村作の勧めに応じて作詞を手がけることになりました。依頼主は日本教育音楽協会で、幼稚園児向けの唱歌歌詞作成を求めており、「チューリップ」を含む10編ほどの詞を約1ヶ月で書き上げたとされています。近藤は、子供たちの視点に立ち、難解にならず標準的な言葉遣いを心がけ、春の情景を平易に表現することを目指しました。
作曲者の井上武士は、楽曲発表当時は東京高等師範学校附属小学校の教諭でした。後に日本の音楽教育界で重きをなし、日本教育音楽協会の会長を務める人物です。井上は「チューリップ」の楽曲を大変気に入り、自身の作曲集のまえがきで代表作と記し、息子が描いたチューリップの絵を表紙にするほどでした。楽曲はヘ長調、4分の2拍子で、子供が自然に歌えるよう、ヨナ抜き長音階を用いた無理のない旋律が特徴です。
「チューリップ」の歌詞は、初出時には1番のみでした。当時の表記はすべてカタカナで、独特の分かち書きが施されていました。歌詞冒頭の「サイタ サイタ」は、当時の小学国語読本（いわゆるサクラ読本）を参考にしています。また、末尾の「ドノ ハナ ミテ モ キレイ ダ ナ」には、「何事もそれぞれの良さを見つけよう」という近藤自身の人生観、特に弱いものへの配慮の気持ちが込められていると語られています。
1963年（昭和38年）に、作曲者である井上武士が2番と3番の歌詞を追加しました。しかし、これらの追加された歌詞は1番ほどには普及しませんでした。
著作権については、東京高等裁判所の判決により、作詞者が近藤宮子であることが確定しましたが、その著作権は既に日本教育音楽協会に譲渡されていたと判断されました。このため、近藤宮子の没年（1999年）を待たずに1番の歌詞の著作権は消滅し、現在はパブリックドメインとなっています。一方、井上武士が作詞・作曲した2番と3番の歌詞、および井上が作曲した1番を含む楽曲全体については、井上の没年（1974年）から50年を経過していないため（2023年現在）、著作権は存続しており、日本音楽著作権協会（JASRAC）が管理しています。
「チューリップ」の作者を巡っては、特に戦後、複雑な経緯をたどりました。井上武士は1950年代にJASRACへ作曲者として登録し、著作権料を受け取るようになります。一方、作詞者の近藤宮子は自身が作詞したことを公にはしませんでしたが、息子には明かしていました。1970年（昭和45年）、近藤の夫が新聞記者との懇談中に妻が「チューリップ」の作詞者であることを話したことがきっかけで、赤旗に記事が掲載され、近藤が作詞者であるという事実が世に知られるようになります。これを知った井上武士は近藤に手紙を送り、JASRACにも届け出ました。
しかしその後、日本教育音楽協会の会長であった小出浩平が、自身が作詞・作曲者であると主張するようになります。この主張を巡って、1983年（昭和58年）には小出が井上の遺族に対し作曲権の帰属確認を求める裁判を、近藤宮子が小出やJASRACに対し作詞権の確認と損害賠償を求める裁判をそれぞれ提起しました。
これらの裁判は、約10年後の1993年（平成5年）までに終結し、いずれも小出側の主張は退けられました。作曲者裁判では、井上武士が長期間作曲者とされてきた経緯や、小出側の証拠の信憑性が低いことなどが判断理由となりました。作詞者裁判では、近藤宮子の作詞時の具体的な状況や証言が信用できると判断され、近藤宮子が作詞者であることが確定しました。この裁判は、直接的な証拠に乏しい中で、関係者の証言や間接的な状況証拠を慎重に吟味して著作者を認定した異例のケースとして注目されました。
裁判を経て作詞近藤宮子、作曲井上武士と公的に確定した後も、「チューリップ」は多くの人々に歌われ続けています。児童合唱団や、「うたのおにいさん・おねえさん」による歌唱に加え、様々なアーティストがカバーしています。JASRACのデータベースには多数の登録アーティストが存在します。
また、「チューリップ」にまつわる歌碑が北海道函館市と群馬県前橋市に設置されています。函館の歌碑には歌詞に込められた近藤の思いが、前橋の歌碑（井上武士の出身地）には井上の功績が記されており、この歌が地域にも根ざし、多くの人々の心に残っていることを示しています。前橋駅では、発車メロディにも採用されています。
長年の作者不詳期間や著作権を巡る争いを経ながらも、「チューリップ」は日本の唱歌として、その親しみやすい旋律と歌詞によって、今なお多くの人々に歌い継がれています。
誕生と作者不詳の時代
「チューリップ」が初めて世に出たのは、1932年（昭和7年）に日本教育音楽協会が編集した幼稚園向けの唱歌集『ヱホンシヤウカ ナツノマキ』でのことでした。当時の出版物では作者名が明記されない慣習があり、この歌も初めは作詞・作曲者不明とされていました。これが後年、著作権を巡る複雑な問題へと発展していくことになります。
作詞者・作曲者
長い作者不詳の期間を経て、東京地方裁判所および東京高等裁判所の判決により、作詞者は近藤宮子、作曲者は井上武士であることが公に認められました。
作詞者の近藤宮子は、著名な国文学者である藤村作の娘として、文学や音楽に造詣の深い家庭に育ちました。母は東京音楽学校の卒業生、弟は俳人、夫も国文学者という環境でした。近藤自身も若い頃から短歌を詠むなど文学への関心が高く、父・藤村作の勧めに応じて作詞を手がけることになりました。依頼主は日本教育音楽協会で、幼稚園児向けの唱歌歌詞作成を求めており、「チューリップ」を含む10編ほどの詞を約1ヶ月で書き上げたとされています。近藤は、子供たちの視点に立ち、難解にならず標準的な言葉遣いを心がけ、春の情景を平易に表現することを目指しました。
作曲者の井上武士は、楽曲発表当時は東京高等師範学校附属小学校の教諭でした。後に日本の音楽教育界で重きをなし、日本教育音楽協会の会長を務める人物です。井上は「チューリップ」の楽曲を大変気に入り、自身の作曲集のまえがきで代表作と記し、息子が描いたチューリップの絵を表紙にするほどでした。楽曲はヘ長調、4分の2拍子で、子供が自然に歌えるよう、ヨナ抜き長音階を用いた無理のない旋律が特徴です。
歌詞の変遷と著作権
「チューリップ」の歌詞は、初出時には1番のみでした。当時の表記はすべてカタカナで、独特の分かち書きが施されていました。歌詞冒頭の「サイタ サイタ」は、当時の小学国語読本（いわゆるサクラ読本）を参考にしています。また、末尾の「ドノ ハナ ミテ モ キレイ ダ ナ」には、「何事もそれぞれの良さを見つけよう」という近藤自身の人生観、特に弱いものへの配慮の気持ちが込められていると語られています。
1963年（昭和38年）に、作曲者である井上武士が2番と3番の歌詞を追加しました。しかし、これらの追加された歌詞は1番ほどには普及しませんでした。
著作権については、東京高等裁判所の判決により、作詞者が近藤宮子であることが確定しましたが、その著作権は既に日本教育音楽協会に譲渡されていたと判断されました。このため、近藤宮子の没年（1999年）を待たずに1番の歌詞の著作権は消滅し、現在はパブリックドメインとなっています。一方、井上武士が作詞・作曲した2番と3番の歌詞、および井上が作曲した1番を含む楽曲全体については、井上の没年（1974年）から50年を経過していないため（2023年現在）、著作権は存続しており、日本音楽著作権協会（JASRAC）が管理しています。
作者を巡る裁判
「チューリップ」の作者を巡っては、特に戦後、複雑な経緯をたどりました。井上武士は1950年代にJASRACへ作曲者として登録し、著作権料を受け取るようになります。一方、作詞者の近藤宮子は自身が作詞したことを公にはしませんでしたが、息子には明かしていました。1970年（昭和45年）、近藤の夫が新聞記者との懇談中に妻が「チューリップ」の作詞者であることを話したことがきっかけで、赤旗に記事が掲載され、近藤が作詞者であるという事実が世に知られるようになります。これを知った井上武士は近藤に手紙を送り、JASRACにも届け出ました。
しかしその後、日本教育音楽協会の会長であった小出浩平が、自身が作詞・作曲者であると主張するようになります。この主張を巡って、1983年（昭和58年）には小出が井上の遺族に対し作曲権の帰属確認を求める裁判を、近藤宮子が小出やJASRACに対し作詞権の確認と損害賠償を求める裁判をそれぞれ提起しました。
これらの裁判は、約10年後の1993年（平成5年）までに終結し、いずれも小出側の主張は退けられました。作曲者裁判では、井上武士が長期間作曲者とされてきた経緯や、小出側の証拠の信憑性が低いことなどが判断理由となりました。作詞者裁判では、近藤宮子の作詞時の具体的な状況や証言が信用できると判断され、近藤宮子が作詞者であることが確定しました。この裁判は、直接的な証拠に乏しい中で、関係者の証言や間接的な状況証拠を慎重に吟味して著作者を認定した異例のケースとして注目されました。
普及と影響
裁判を経て作詞近藤宮子、作曲井上武士と公的に確定した後も、「チューリップ」は多くの人々に歌われ続けています。児童合唱団や、「うたのおにいさん・おねえさん」による歌唱に加え、様々なアーティストがカバーしています。JASRACのデータベースには多数の登録アーティストが存在します。
また、「チューリップ」にまつわる歌碑が北海道函館市と群馬県前橋市に設置されています。函館の歌碑には歌詞に込められた近藤の思いが、前橋の歌碑（井上武士の出身地）には井上の功績が記されており、この歌が地域にも根ざし、多くの人々の心に残っていることを示しています。前橋駅では、発車メロディにも採用されています。
長年の作者不詳期間や著作権を巡る争いを経ながらも、「チューリップ」は日本の唱歌として、その親しみやすい旋律と歌詞によって、今なお多くの人々に歌い継がれています。
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