ツァボの人食いライオン

ツァボの人食いライオン事件

1898年、イギリス領東アフリカ（現在のケニア）のツァボ川付近で発生した、2頭のオスライオンによる獣害事件です。ウガンダ鉄道の建設工事中に、人食いライオンが出現し、少なくとも28名の労働者が犠牲になりました。この事件は、映画や小説の題材にもなっています。

事件の経緯

発端

1896年、イギリスは植民地政策の一環としてウガンダ鉄道の建設を計画しました。モンバサを起点に工事が始まり、1901年にはビクトリア湖畔のキスムまで線路が敷設されました。事件の舞台となったのは、海岸から約210km内陸に入ったツァボです。ツァボ川に鉄橋を架ける工事中に、人食いライオンが出現しました。

1898年、鉄道現場総監督としてツァボに着任したジョン・ヘンリー・パターソンは、鉄橋建設と付帯工事を監督する責任者でした。当初、工事は順調に進んでいましたが、2頭の人食いライオンの出現によって中断を余儀なくされます。

パターソンが「凶暴なライオンが付近に現れる」という話を聞いたのは、着任して間もない頃でした。その後、労働者がライオンに連れ去られ食い殺されたという報告を受けますが、当初はパターソンも信じていませんでした。しかし、着任から3週間後、労働者のリーダーであるウンガン・シンがテント内でライオンに襲われ、連れ去られるという事件が発生し、事態は一変します。パターソンは、ウンガン・シンの遺体の凄惨な状況を目の当たりにし、人食いライオンの存在を確信します。

襲撃

ライオンは毎晩のようにキャンプを襲撃し、労働者を連れ去っていきました。ライオンは分散したキャンプ地を毎晩のように移動し、先回りすることは困難でした。労働者たちは恐怖に怯え、キャンプの周囲にボマ（垣根）を築くなどの対策を講じましたが、ライオンはボマを突破したり、飛び越えたりして侵入を繰り返しました。

ある時、病院キャンプもライオンの襲撃を受け、患者がさらわれるという事件が発生します。パターソンは、ライオンを待ち伏せしようと試みましたが、ライオンはそれをかいくぐり、別の場所を襲撃しました。

パターソンは、貨車の中に隠れてライオンを待ち伏せすることにしました。しかし、ライオンはボマの入り口から侵入し、パターソンとブロック博士を襲撃しようとしました。2人は銃を発砲し、ライオンを撃退しましたが、これが直接対決の始まりとなりました。

陰謀

人食いライオンの脅威に晒されながらも、鉄道敷設工事は進められていました。しかし、労働者たちはパターソンに不満を募らせ、陰謀を企てます。ある夜、労働者たちはパターソンを殺害する計画を立てますが、その情報がパターソンに漏れ、計画は未遂に終わります。警察が介入し、首謀者は逮捕されました。

恐怖

貨車での遭遇以降、ライオンはしばらくツァボを避けていましたが、やがて再び襲撃を開始しました。ライオンは、労働者がテントの外で就寝している夜に、ボマに侵入し、労働者を連れ去りました。パターソンは、ライオンを待ち伏せしましたが、毎晩のように裏をかかれ、労働者の犠牲が後を絶ちませんでした。パターソンは、ライオンを「悪魔」で「不死身」なのではないかとさえ考えるようになります。ライオンは駅舎から労働者をさらったり、パターソンの目の前で労働者を食べ始めたりするほど大胆になっていました。

労働者の恐怖は限界に達し、12月1日には多くの労働者がツァボから逃げ出しました。鉄道工事は完全にストップし、ツァボに残った労働者たちは「ライオン対策」を施した小屋を作る以外の作業はできなくなりました。

災難

労働者が引き上げた後、パターソンは地方官のホワイトヘッドに救援を要請しました。ホワイトヘッドはツァボに到着しましたが、ライオンに襲撃され、重傷を負いました。ライオンは、ホワイトヘッドの同行者も連れ去ってしまいました。この事件は、人食いライオンの脅威が、さらに深刻であることを示しました。

失策

警察長官ファーカーがインド兵を率いてツァボに到着し、ライオン捕獲作戦が開始されました。パターソンが以前作った罠も使われましたが、インド兵の不手際によってライオンは逃走してしまいます。ファーカーとインド兵は海岸に引き上げ、ホワイトヘッドも地元に帰っていきました。パターソンは、2頭の人食いライオンとともにツァボに残されることになりました。

不運

ホワイトヘッドたちが帰った数日後、パターソンはライオンがロバを襲ったという報告を受けました。パターソンはライオンを追跡し、茂みに潜むライオンを発見しますが、銃が不発に終わります。ライオンは逃走し、再び姿を消しました。

対決

12月10日、パターソンはライオンを迎え撃つために、ロバの近くに足場を築いて待ち伏せました。夜、ライオンはパターソンに近づき、足場の周囲を徘徊しました。パターソンはライオンを銃撃し、1頭を射殺することに成功しました。

追撃

1頭が死んでも、人食いライオンはもう1頭残っていました。パターソンは監督官の住まいのそばで待ち伏せ、ライオンと遭遇します。ライオンは逃走し、パターソンは後を追います。パターソンは、再びライオンを待ち伏せし、銃撃を浴びせました。しかし、ライオンは負傷しながらも逃走しました。

ライオンはその後10日ほど姿を見せませんでしたが、12月27日に再び現れました。パターソンは、ライオンを待ち伏せし、銃撃を浴びせます。ライオンは反撃を試みましたが、パターソンの銃弾によって絶命しました。

歓喜

パターソンは、2頭目の人食いライオンを倒したことを労働者たちに伝えました。労働者たちは歓喜し、パターソンを英雄と称えました。工事は再開され、二度とライオンの被害に遭うことはありませんでした。

終局

ツァボの鉄橋工事は1899年2月に完成しました。パターソンはツァボでの仕事を終え、イギリスに戻りました。彼は、人食いライオンの根城を発見し、その中に人骨が多数あったことを記録しています。

事件の原因と分析

影響

この事件は、本国イギリスの議会でも取り上げられました。当時の首相ソールズベリー侯爵は、人食いライオンの出現によって鉄道建設工事が中断したことを説明しました。

ツァボ付近では、その後も人食いライオンの被害記録が残っています。1899年3月には、道路建設に従事していた技師が殺され、1900年6月には、キマ駅をライオンが襲撃し、駅員が殺害されています。

環境

19世紀末のツァボは未開の地であり、インドからの労働者は環境に適応できず、病気で死亡する人が続出しました。その結果、埋葬されない死体が放置され、ライオンが人間の味を覚えたと考えられています。

また、ライオンの常食であるアフリカスイギュウが病気で激減したことも、ライオンが人間を捕食するようになった原因と考えられています。

加害ライオン

2頭のライオンは、たてがみを欠いた若いオスのライオンでした。遺伝的形質から、兄弟である可能性が高いと考えられています。ツァボのライオンは、暑さから身を守るためにたてがみが退化しているのが特徴です。

ライオンがいつ頃から人間を捕食し始めたかは不明ですが、病死した人間の死体を食べるようになったことがきっかけと考えられています。

2頭の剥製は、シカゴのフィールド自然史博物館に所蔵されています。近年、博物館の研究チームは、ライオンが人間を捕食する理由について、遺伝的な要因も存在するという興味深い視点を提供しました。

犠牲者の数

犠牲者の数には諸説ありますが、パターソンは「インド人の人夫だけでも二十八人以上にのぼり、それに加えて、数十人のアフリカの原住民が被害を受けたはずである」と記述しました。最新の研究では、2頭のライオンが食べた人数を同位体分析によって推定した結果、35人程度であったとされています。パターソンが犠牲者数を誇張した可能性も指摘されています。

事件を題材とした作品

パターソン自身による実録

パターソンは、自身の経験を『The Man-eaters of Tsavo』という本にまとめました。この本は、アフリカでの猛獣狩りの歴史上、最も偉大な冒険記の一つと評されています。

小説『人喰鉄道』

戸川幸夫は、この事件をもとに長編小説『人喰鉄道』を執筆しました。戸川は、現地取材を行い、パターソンの実録を参考にしながら、独自の設定を加えた物語を創作しました。

ノンフィクション『人食いライオン追跡』

フィリップ・カブートは、ノンフィクション『人食いライオン追跡』を執筆しました。カブートは、ツァボに赴き、この2頭に関する伝説とその生態を探求しました。この本には、フィールド自然史博物館研究チームの調査結果も反映されています。

映画

この事件は、何度か映画化されています。1952年には立体映画『ブワナの悪魔』が制作され、1997年には、映画『ゴースト&ダークネス』が制作されました。

まとめ

ツァボの人食いライオン事件は、人食いライオンの恐怖と、人間の勇気と知恵を物語る事件です。また、この事件は、人間と自然の関係について、深く考えさせられる出来事でもあります。

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