トレスマシン

トレスマシンとは

トレスマシンとは、セル画アニメーション制作において、原画の線画をセル画に転写するために使用された複写機です。特に1960年代から1990年代にかけて、セル画アニメの制作現場で広く利用されていました。手作業でのトレス作業を大幅に効率化し、アニメーションの制作プロセスに大きな変革をもたらしました。

概要

トレスマシンが登場する以前は、原画の線画をGペンとインクを用いて手作業でセル画に写し取る「ハンドトレス」が行われていました。しかし、この作業は非常に手間と時間がかかり、大量のアニメーション制作には不向きでした。そこで登場したのがトレスマシンです。

トレスマシンは、原画の鉛筆描きの筆致をそのままセルに転写できるため、アニメーションの表現力を高めることができました。1960年代以降、アニメ制作はトレスマシンによる「マシントレス」へと移行し、アニメーションの量産化に大きく貢献しました。

世界で初めてトレスマシンを実用化したのは、ウォルト・ディズニー・プロダクションでした。彼らはゼロックス社のコピー機をアニメトレス専用に改造し、海外ではこの改造された機械を「ゼロックス」と呼んでいました。一方日本では、城西デュプロ社が開発した「トレスマシン」が広く使われました。

ゼロックスとデュプロのトレスマシンはそれぞれ異なる特性を持ち、日本では明確に区別されていましたが、海外との合作や下請けでは区別なく併用されることもありました。

1990年代からは、紙に描いた原画をスキャナーで読み取り、デジタルデータとして処理するデジタルアニメ制作が主流となり、2000年代には全てをデジタルで済ませるフルデジタル作画の時代へと移行しました。現在では、トレスマシンは過去の技術となりつつありますが、一部のスタジオではその技術が継承されています。

海外のトレス用マシン（ゼロックス）

ディズニー社は、1959年公開の『眠れる森の美女』の制作に多大なコストがかかった反省から、アニメ制作の省力化を模索していました。当時、ゼロックス社のコピー機「ゼログラフィー」がありましたが、これは紙へのコピーしかできませんでした。そこで、ディズニーのアニメーターであるアブ・アイワークスがゼロックス社と共同で、アニメ用セルに線をトレスできる機械を開発しました。これが、アニメ業界で「ゼロックス」と呼ばれる機械です。

ゼロックスが初めて採用された作品は、1960年公開の『豆象武勇伝』です。1961年公開の『101匹わんちゃん』では、ゼロックスが全面的に導入され、大幅な省力化とコストダウンに成功しました。ただし、ゼロックスでトレスされた線は手作業によるものより雑に見えたため、ウォルト・ディズニーは当初嫌がっていましたが、コスト面を考慮して受け入れざるを得ませんでした。この作品の大ヒット以降、ディズニーはマシントレスを全面的に採用し、「ゼロックス時代」と呼ばれる時代に突入しました。

初期のゼロックスはモノクロの線しか使えませんでしたが、その後、ミディアムグレーやカラーの色トナーが開発され、色トレスも可能になりました。しかし、1970年代から1980年代にかけてディズニー社の業績は低迷し、デジタル化による立て直しを図ることになります。

1990年公開の『ビアンカの大冒険ゴールデン・イーグルを救え!』で、ピクサー社が開発したデジタルアニメ制作ソフト「CAPS」を導入し、ゼロックスは廃止されました。そのため、1989年公開の『リトル・マーメイド』が、ゼロックスが使用された最後のディズニー作品となりました。その後、ディズニーは手描きの動画をスキャンしてデジタル化していましたが、2004年には手描きを廃止し、2Dスタジオを閉鎖しました。

日本のトレス用マシン（トレスマシン）

日本では、1962年に『101匹わんちゃん』が公開されたことをきっかけに、東映動画（現・東映アニメーション）がゼロックスを導入しました。日本のアニメで初めてゼロックスが使われたのは、1963年放送の『狼少年ケン』の第1話です。しかし、ゼロックスのシステムは大掛かりで維持費がかかるという問題がありました。

そこで、東映動画は、絵コンテ印刷機を納入していた株式会社城西デュプロに、より簡易なトレスマシンの開発を依頼しました。デュプロは1967年にトレスマシン「R-631型」を完成させ、これが1968年放送の『サスケ』で初めて使用されました。デュプロのトレスマシンは、ゼロックスに比べて線がかすれるなどの問題がありましたが、それがかえって劇画調の荒々しいタッチを表現できるとして、1969年以降のアニメ制作で広く採用されるようになりました。

デュプロのトレスマシンは、熱転写方式で、線画が描かれた紙の上にカーボン紙とセルを重ねて、熱でカーボンをセルに転写する仕組みでした。ゼロックスとは異なり、セル裏面に線画が転写されるため、彩色時に線が「堤防」となり、色がはみ出しにくいという利点がありました。

デュプロは、1977年に後継機「TR-77S」、1988年に「TR-88S」を発売し、1990年代まで日本のほぼ全てのアニメ作品で使われました。しかし、1990年代に入るとデジタルアニメーションが主流となり、トレスマシンは次第に使われなくなりました。東映動画は1996年にデジタルアニメ制作ソフト「RETAS! PRO」を導入し、1998年にはデジタル彩色に完全移行しました。手塚プロダクションの『アストロボーイ・鉄腕アトム』（2003年）が、トレスマシンを使用した最後のテレビアニメです。

現在、トレスマシンを使用しているのはスタジオジブリのみです。ジブリは、アナログで描いた背景画をデジカメで撮影し、デジタル化する際にトレスマシンをハーモニー処理のために活用しています。しかし、トレスマシンの生産は既に終了しており、補修部品もないため、ジブリが所有するトレスマシンの数は減り続けています。

テクニック

同トレス

「同トレス」とは、同じ絵をトレスすることです。現代で言う「コピペ」にあたります。アナログ時代のセルは透明度が低いため、重ねて撮影すると色が濁ってしまうという問題がありました。そのため、本来は別のセルに分けた方が良い動かないオブジェクトでも、動くものと一緒にトレスしてセルの枚数を減らす必要がありました。ただし、トレスマシンで「コピペ」できるのは実線だけで、色は手作業で塗る必要があり、手間と時間がかかりました。

同トレスブレ

「同トレスブレ」とは、アナログで同じ絵をトレスした際に、線がわずかにずれてしまう現象のことです。デジタルでコピペすると全く同じレイヤーが生成されますが、アナログではどうしてもこのようなずれが生じます。このずれを利用して、1枚絵の代わりに、同トレスした2枚の絵を交互に表示することで、わずかな震えを表現するテクニックがありました。セルアニメ時代には、特に瞳のハイライトを同トレスブレさせる「Hiブレ」というテクニックが多用されました。しかし、作画のデジタル化によってこのテクニックは使えなくなりました。

セルの色トレス

トレスマシンでは基本的にモノクロの線しか転写できないため、カラーの線が必要な場合は、ハンドトレスによって「色トレス線」を描く必要がありました。1980年代後半には色カーボンが開発され、トレスマシンでの色トレスが可能になりましたが、制約が多かったため、特別な部分にのみ使用され、その他の部分は手描きで色トレスされることが多かったようです。

裏トレス

「裏トレス」とは、セルを裏返してトレスマシンにかけるテクニックです。セルを裏返すことで、線がセルの裏面に転写されます。これは現代の反転コピーのようなもので、作画監督が見逃すと、車のハンドルが左右反転してしまうなどのミスが起こることもありました。

原画の色トレス

原画には、色鉛筆で影指定線などの塗り分け線が描かれており、この線も「色トレス」「色トレス線」と呼ばれます。色鉛筆の線はトレスマシンでは転写されないため、影は青色鉛筆、ハイライトは赤色鉛筆で描かれることが多かったです。デジタルアニメーションにおいても、塗り分け線には水色、ハイライトには赤色が使われることがあります。

デジタル時代の色トレス

デジタルアニメ制作では、トレスマシンの代わりにスキャナーで原画をスキャンしますが、初期のスキャナーでは色鉛筆の線が飛んでしまうことがありました。そのため、ジブリなど一部のスタジオでは、色トレス線を黒鉛筆で描いてモノクロでスキャンし、デジタルで色を付けるなどの工夫がされていました。

現在では、フルデジタルで作画する場合、フルカラーで色トレス線を描くことが可能になり、色の制約はなくなりました。デジタルアニメの現場では、モノクロの線は「実線」、カラーの線は「色トレス線」と呼ばれています。また、デジタルイラストにおいても、主線を彩色と馴染ませるために、線画に部分的に色彩を加味するテクニックも「色トレス」と呼ばれます。

タッチ処理

トレスマシンの導入によって、鉛筆で描いたようなラフな線をあえてセルに残す「タッチ処理」が行われるようになりました。アナログ時代には、影に色を塗る代わりにタッチをつける「影タッチ」が多用されました。しかし、デジタル時代では影を塗る方が簡単になったため、タッチ処理はあまり使われなくなりました。

ハーモニー処理

「ハーモニー処理」とは、実線で囲まれたセル画のキャラクターと背景を馴染ませる処理です。アナログ時代には、キャラクターに背景のようなタッチを加えたり、背景に輪郭線を載せたりする手法が用いられました。デジタル時代には、より多様なエフェクトが可能になりましたが、アナログ時代の雰囲気は失われつつあります。

色カーボン

「色カーボン」とは、黒以外の色が転写できるカーボン紙のことです。色カーボンを使うことで、トレスマシンでも色トレス線を描くことが可能になります。色は赤・白・青・緑・茶などがありました。しかし、色カーボンは値段が高く、扱いも難しかったため、一部の作品にのみ採用されました。

二重トレス

「二重トレス」とは、同じ線画を2種類の色のカーボンを使って2回トレスマシンにかけるテクニックです。上のトレス線がかすれた部分から、下の色が部分的に見え、独特の表現ができます。

東映動画のゼロックス

東映動画は、ゼロックスを独自に改造したトレスマシンを1962年から使用していました。この機械は、繊細な線を拾うことができ、拡大縮小や大判のトレスも可能でした。デュプロのトレスマシンとは異なり、劇場作品などで活躍しました。

東映動画が使っていた機械は、「ゼロックス」「ゼログラフ」「ゼロファックス」などと呼ばれていました。スタッフロールでは「トレス」と「ゼロックス」の両方が表記されることもありました。しかし、両者が混同されて使われることも多かったようです。

外注

1980年代以降、日本国内でアニメ制作が追いつかなくなり、仕上を海外に外注することが増えました。海外のアニメスタジオでは、ほとんどがゼロックスを使用していたため、国内との線画の整合性に注意が必要でした。

デジタルによる再現

デジタル時代では、Adobe After Effectsなどを用いて、トレスマシン風の線を再現することが可能になりました。この技術は、デジタル世代のクリエーターによって活用されています。

その他

スタジオジブリの色彩設計を担当していた保田道世は、トレスマシンを使った多くの手法を開発し、アニメのデジタル化を推進しました。

ハンドトレス

ハンドトレスは、人の手とペンによって動画の線をセルに写し取る作業です。鉛筆ではなく、Gペンなどのインクで線を引くため、マシントレスとは異なる質感の線になります。

裏トレス (ハンドトレス)

ハンドトレスにおける「裏トレス」は、動画を反転させてセルの裏面に線を描く手法です。塗り分け線をセルの裏面に色トレスすることで、表に塗る彩色との境目が目立たなくなるという利点がありました。

脚注

参考文献

真野, 啓太 (2021). “細田守監督に20年前から聞きたかったオレンジ線の意味”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). https://www.asahi.com/articles/ASP8L34NNP8JTIPE030.html.
辻田, 邦夫「色彩設計おぼえがき第18回　昔々……（13）『ＪＥＭ』と「茶カーボン」」『アニメスタイル』2007年.

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