ドクズ・ハトゥン

13世紀中頃に活躍したドクズ・ハトゥンは、モンゴル帝国の一翼を担い、後に中東にイルハン朝を樹立したフレグ・ハンの正妃であり、ケレイト部族の王女でした。その生涯は、モンゴル帝国の拡大期と重なり、特にその宗教的信念が歴史の表舞台に影響を与えた人物として知られています。彼女は1265年にこの世を去りました。

生涯と家族

ドクズ・ハトゥンの出自であるケレイト部族は、中央アジアに勢力を持っていたテュルク系あるいはモンゴル系の部族で、早くからネストリウス派（東方教会）キリスト教を受容していました。フレグとの結婚は、政治的な結びつきであると同時に、モンゴル王族とキリスト教徒有力者との関係を示すものでした。フレグはチンギス・カンの孫にあたり、西アジア方面への大遠征を率い、アッバース朝を滅ぼしてイルハン朝を開きました。ドクズ・ハトゥンはフレグとの間にアバカという息子を儲け、アバカはフレグの死後にイルハン朝の第2代君主として即位することになります。この事実からも、彼女が単なる妃ではなく、イルハン朝の血統と継承において重要な位置を占めていたことがうかがえます。

宗教的信念とその影響

ドクズ・ハトゥンは、敬虔な東方教会キリスト教徒でした。彼女は自らの信仰を公にし、キリスト教徒社会の熱心な後援者としても振る舞いました。モンゴル帝国内では、伝統的なシャーマニズムや他の宗教（仏教、イスラームなど）も広く信仰されていましたが、王族や有力者の中にキリスト教徒がいることは特異な状況でした。ドクズの存在は、帝国内におけるキリスト教徒コミュニティの保護や地位向上に寄与したと考えられています。

彼女は、夫であるフレグの軍事遠征にもしばしば同行しました。これは当時のモンゴル王族の女性としては珍しいことではありませんでしたが、ドクズの場合、その宗教的立場が遠征先の運命に影響を与えた点で注目されます。最も有名な例が、1258年のバグダード包囲戦とその後の占領です。

バグダード包囲戦とキリスト教徒の助命

1258年、フレグ率いるモンゴル軍はアッバース朝の首都バグダードを包囲し、これを陥落させました。この際、モンゴル軍は都市に対して大規模な破壊と殺戮を行い、その惨状は後世にまで語り継がれています。数十万人に及ぶ市民が犠牲になったと言われています。しかし、この混乱の中で、キリスト教徒たちは比較的安全を保つことができました。これは、ドクズ・ハトゥンの強い影響力によるものとされています。彼女は夫に対し、自らの同胞であるキリスト教徒の保護を強く働きかけたのです。その結果、多くのキリスト教徒が命を救われ、教会なども破壊を免れたと言われています。このエピソードは、ドクズ・ハトゥンの権力と、その宗教的信念が具体的な歴史上の出来事に与えた影響を示す重要な例です。

外交における利用

ドクズ・ハトゥンのキリスト教信仰は、モンゴル帝国、特にイルハン朝の外交政策においても利用されました。当時、ヨーロッパのキリスト教世界は、東方にキリスト教を信仰する強大な王「プレスター・ジョン」が存在するという伝説を信じていました。モンゴル帝国がヨーロッパとの接触を深める中で、モンゴル側は時にこの伝説を利用し、自らがキリスト教徒である有力者、例えばソルコクタニ・ベキ（フレグの母であり、ドクズの夫フレグや元の世祖クビライ・ハンの母）やドクズ・ハトゥンなどが、この伝説上の王の娘や親戚であると示唆することで、ヨーロッパ諸国との友好関係を築こうとしました。このような外交戦略は、キリスト教徒であるドクズ・ハトゥンの存在があって初めて可能となった側面があり、彼女が単なる妃ではなく、政治的な役割も担っていたことを示唆しています。

最期

ドクズ・ハトゥンは、夫フレグ・ハンが亡くなったのと同じ年、1265年に死去しました。夫の偉業を支え、自らの宗教的信念をもって歴史に影響を与えた彼女の死は、イルハン朝の黎明期における一つの時代の終わりを告げるものでした。彼女の息子アバカは、父と母の遺志を継ぎ、イルハン朝の支配をさらに確立していくことになります。

ドクズ・ハトゥンの生涯は、モンゴル帝国の多様な文化・宗教が交錯する様相を映し出し、女性が政治や社会に影響を与えうる存在であったことを示しています。特に、少数派宗教の庇護者として、また国際政治の文脈においてもその存在が利用された点は、彼女が単なる王妃ではなかったことを物語っています。

もう一度検索