ドクソグラフィー

ドクソグラフィー：古代思想家の声を受け継ぐ文献

ドクソグラフィーとは、古代の思想家や思想史家が、過去の思想家の学説や見解をまとめた文献を指す古典文献学・思想史学の専門用語です。日本語では「学説誌」と訳されます。この用語は、19世紀のドイツの古典文献学者ヘルマン・ディールスによって造られました。語源は、ギリシャ語の「δόξα（ドクサ）」（意見・見解）と「γράφειν（グラペイン）」（書く・記述する）を組み合わせたものです。

ドクソグラフィーは、古代の思想を理解する上で非常に重要な役割を果たしています。古代ギリシア哲学においては、多くの文献が失われており、現存する情報は、後世の研究者によってまとめられたドクソグラフィーに大きく依存しています。例えば、タレスやアナクサゴラスといった哲学者たちの自然哲学に関する知識は、アリストテレスやプラトンの著作に記されている記述を基にしています。プラトンやアリストテレス自身も、先達の学説を紹介するという意味において、ドクソグラフィーの要素を含む著作を残しています。

ディールスは、アリストテレスの後継者であるテオプラストスの『自然学説誌』を「最初の正式な学説誌」と位置付けました。この著作は、タレスからプラトンまでの自然学説を体系的に整理しており、後世の多くのドクソグラフィーに影響を与えたと考えられています。

古代ギリシアにおいては、様々な学説誌が存在しました。代表的な例として、以下が挙げられます。

テオプラストス『自然学説誌』: タレスからプラトンまでの自然哲学を網羅した重要な文献です。
アエティオス『学説誌』: 様々な哲学者の意見をまとめた包括的な著作です。
プルタルコス『モラリア』: 倫理や政治に関する様々な思想家の見解を紹介しています。
セクストス・エンペイリコス『学者たちへの論駁』: 様々な学派の哲学を批判的に検討しています。
アレクサンドリアのクレメンス『ストロマテイス』: キリスト教とギリシア哲学を融合させた著作です。
ヒッポリュトス『全異端反駁論』: 様々な異端思想を批判的に論じています。
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』: 哲学者たちの伝記を通して、彼らの思想を紹介しています。
ストバイオス『自然学抜粋集』『倫理学抜粋集』: 自然哲学と倫理学に関する様々な文献の断片をまとめたものです。
* シンプリキオスの諸アリストテレス註解: アリストテレスの著作の注釈の中で、積極的に古代哲学者の学説を紹介しています。

これらの著作は、それぞれの著者の視点や解釈が反映されていますが、古代思想の理解に欠かせない重要な情報源です。

イスラム世界においても、ドクソグラフィーは盛んに行われました。例えば、トルコのムスリム神学者アブー・マンスール・マートゥリーディーによる『Kitab al-Maqalat』は、イスラム教の様々な宗派や学説をまとめた重要な文献です。この著作は、イスラム神学の歴史と多様性を理解する上で重要な役割を果たしています。

ドクソグラフィーは、古代思想を現代に伝える重要な役割を果たしただけでなく、後世の研究者や思想家たちに多大な影響を与えてきました。今日、古代の思想を研究する際には、これらの学説誌を理解することが不可欠です。現代の研究者は、これらの文献を精査し、古代思想の多様な側面を明らかにしようと努力しています。ドクソグラフィー研究は、古代思想史研究の根幹をなす重要な分野であり、今後も活発な研究が続けられるでしょう。

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