アブー・マンスール・マートゥリーディー

アブー・マンスール・マートゥリーディー：スンニー派神学の巨匠

アブー・マンスール・マートゥリーディー（853年-944年）は、9～10世紀の中央アジア、サマルカンドを舞台に活躍したイスラーム教スンニー派の法学者、神学者、そして聖典解釈学者です。彼の名は、スンニー派神学における主要な学派の一つであるマートゥリーディー派の創始者として知られています。マートゥリーディー派の神学は、中央アジアのハナフィー法学派を中心に広がり、後にはオスマン帝国やムガル帝国といったイスラーム世界の大帝国においても、圧倒的な影響力を持つに至りました。

アシュアリーとの比較：アブー・ハニーファへの忠実性

同時代の著名なスンニー派神学者であるアシュアリー（936年没）と比較すると、マートゥリーディーの思想には重要な違いが見られます。アシュアリーが独自のスンニー派神学体系を構築したのに対し、マートゥリーディーはアブー・ハニーファ（772年没）の教えに深く傾倒し、その思想を忠実に継承、体系化しました。アブー・ハニーファの思想は、バルフやマーワラーアンナフルのウラマー（学者）によって伝えられ、洗練されてきたものであり、マートゥリーディーはその集大成を成し遂げたと言えるでしょう。

激しい論争：異端思想との対決

マートゥリーディーは、その神学思想を巡って、ムァタズィラ派やカルマト派といったイスラーム教内の異端と活発な論争を繰り広げました。さらに、カルケドン派や非カルケドン派などのキリスト教、マルキオン派、バル・ダイサーン派、そしてマニ教の神学者とも議論を交わしており、その活動はイスラーム世界のみならず、より広範な宗教的、思想的文脈において展開されていたことがわかります。

生涯：寡黙な学者の生涯

マートゥリーディーはサマルカンド近郊のマートゥリードという場所で生まれました。彼の家系は、マディーナのアブー・アイユーブ・アンサーリーという教友の子孫であると伝えられています。生涯については不明な点が多いものの、公職に就くことなく、純粋に学問に打ち込んだ学者であったと推測されています。サーマーン朝との関わりを示す資料も残されていません。師としてアブー・バクル・ジューズジャーニーとアブー・ナスル・イヤーディーという二人の名があげられており、彼らからの影響はマートゥリーディーの神学形成において大きいと考えられます。

現代ではスーフィー（イスラーム神秘主義者）としては認識されていませんが、当時の神学と神秘思想は明確に区別されておらず、ウラマーは同時にスーフィーであることも珍しくありませんでした。いくつかの資料は、マートゥリーディーが禁欲的な生活を送っていたこと、そして奇跡を起こしたという逸話を伝えています。これらのことから、彼がある程度スーフィーのコミュニティと関わりを持っていた可能性も示唆されます。

神学：信仰、聖典解釈、神の属性

マートゥリーディーは、信仰（īmān）を内面的な確信と、それを言葉で表明することの組み合わせと定義づけました。行為は信仰の一部ではなく、信仰そのものは増減しないと主張しました。しかし、信仰を繰り返し心に抱くことで、信仰は深まると考えていたようです。

クルアーンにおける擬人化表現については、象徴的な解釈を支持しました。一方で、ムァタズィラ派の解釈の多くを拒絶し、「bilā kayf」という方法論、つまり啓示されたテキストをそのまま受け入れる方法を重視しました。神の属性に関しては、「永遠実在」を神の本質と捉え、ムァタズィラ派と対立しました。アシュアリーとの最も大きな違いは、神の属性の中でも「永遠に存在し続けること」を最も本質的な属性と見なした点です。たとえ世界が一時的であっても、「神が永遠に創造者であること」と「神が永遠（なる過去）から創造し続けてきたこと」は同等の正当性を持つと主張しました。

さらに、神の幻視（ruʾya）に関するムァタズィラ派の批判に対して、スーフィーの幻視体験を擁護しながらも、神を目視できるかという問いに対しては、傲慢な行為としてこれを否定しました。

思想：異端思想批判と正統派神学確立

マートゥリーディーが活躍した時代は、ムァタズィラ派、カルマト派、シーア派といったイスラーム教内の様々な神学的議論が盛んに行われ、それらに対する反動が強まっていた時期でした。この時代に、多数派の視点からイスラーム教義を明確にした代表的な学者が3人おり、マートゥリーディーはその一人です。他の2人は、イラクのアシュアリーとエジプトのターハーウィーです。彼らは、アブー・ハニーファの教義を精緻化するという共通の目標を持っていました。

アシュアリーは人間の運命や意思や行動が神によって定められていると主張し、カダル派を形成しました。マートゥリーディーも、人間は行為する能力と意思を持つものの、神が人間の行為を創造するとする考えを示しました。両者は類似した主張をしていますが、神の属性に関する問題では相違が見られます。ハナフィー法学派とマートゥリーディー神学派の組み合わせは、多くのペルシア系やトルコ系の王朝に支持され、アジア地域に広く広まりました。

マートゥリーディーは、二元論的世界観やイラン系宗教について幅広い知識を持ち、それらに対する反論を展開しました。『唯一性の書』（Kitāb al-Tawḥīd）は、マニ教や他の異端思想に関する貴重な情報源として、現代においても研究されています。

崇敬と批判：現代における評価

中世においては、マートゥリーディーはアシュアリーに比べて過小評価される傾向がありましたが、その後、彼の教えは広く受け入れられ、様々なウラマーによって発展を遂げました。サマルカンドには彼の霊廟が建立され、多くの巡礼者を集めました。一方、現代のサラフィー主義者やワッハーブ主義者からは、理性的アプローチを嫌悪する立場から批判され、異端とみなされることもあります。しかし、「正統的スンニー派思想」は、マートゥリーディーとアシュアリーの学統を受け継いでいる者たちによって形成されているため、彼らから見ればサラフィー主義者やワッハーブ主義者は、主流から分かれた小規模な分派と見なされます。実際、マートゥリーディー派とアシュアリー派の相違点は、両派の学者自身もごくわずかなものであると考えており、スンニー派の伝統においてはどちらも正統派として認められています。

主要著作

マートゥリーディーは数多くの著作を残しており、その中には、ムァタズィラ派や他の異端思想への反論、クルアーン解釈、神学論などが含まれています。代表的な著作としては以下のものが挙げられます。

Kitāb al-Tawḥīd（『唯一性の書』）
Kitāb Radd Awa'il al-Adilla
Radd al-Tahdhib fi al-Jadal
Kitāb Bayan Awham al-Mu'tazila
Kitāb Ta'wilat al-Qur'an
Kitāb al-Maqalat
Ma'akhidh al-Shara'i' in Usul al-Fiqh
Al-Jadal fi Usul al-Fiqh
Radd al-Usul al-Khamsa
Radd al-Imama
Al-Radd 'ala Usul al-Qaramita
Radd Wa'id al-Fussaq

これらの著作は、イスラーム思想史における彼の重要な貢献を示すものであり、現代においても貴重な史料として研究されています。アブー・マンスール・マートゥリーディーの思想は、スンニー派神学の大きな流れを形成し、イスラーム世界に大きな影響を与えた、重要な人物であったと言えるでしょう。

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