ネクトカリス

ネクトカリス（学名：Nectocaris）は、約5億年前にあたる古生代カンブリア紀の海に生息していた、絶滅した動物の一種です。その分類学的な位置づけは極めて不明確であり、発見当初から現在に至るまで、古生物学者の間で活発な議論が交わされています。

形態

全長は最大で約10センチメートルに達したと考えられています。化石記録からは、小型（約3センチメートル）と大型（約10センチメートル）の個体が見つかっており、これは性的二型、つまりオスとメスで体のサイズが異なっていた可能性を示唆しています。

体は全体的に平たく、凧のような形状をしており、その両側には遊泳に用いたとみられる幅広い鰭（ひれ）が発達していました。小さな頭部には、眼柄（がんぺい）の先端に突き出た一対の眼があり、その正面からは一対の細長い触手のような付属肢が伸びています。また、頭部の腹面には漏斗状の器官が存在していました。化石には内部構造もよく保存されており、消化管と思われる体腔や、呼吸のための鰓（えら）とされる一対の器官が確認されています。

生態

ネクトカリスは、その体型や鰭の発達から、海底を這うのではなく水中を活発に泳ぎ回る遊泳性の動物（ネクトン）であったと推測されています。頭部正面の付属肢は、獲物を捕らえたり、海底の有機物を集めたりするための採餌器官だったと考えられています。腹面の漏斗状器官については、イカやタコのように水を勢いよく噴射して推進力を得るための器官とする説と、口の一部、例えば咽頭のような構造であったとする説があり、見解が分かれています。

発見と研究の歴史

ネクトカリスが初めて科学的に報告されたのは1976年のことです。カナダの有名な古生物化石産地であるバージェス頁岩から発見された、たった一つの化石標本に基づいて、サイモン・コンウェイ・モリス氏によって記載されました。学名の「ネクトカリス」はギリシャ語の「泳ぐ」（nekto）と「エビ」（caris）に由来し、模式種（タイプ種）であるNectocaris pteryxの種小名「プテリクス」は同じくギリシャ語の「鰭」（pteryx）を意味しています。

発見当初は、不完全な単一の標本しかなかったため、その分類は非常に困難でした。胴体が細く、鰭が上下に並んでいるように見え、頭部の付属肢も不明瞭だったことから、節足動物と脊索動物の両方の特徴を併せ持つ、既存のどの動物門にも属さない異質な存在と考えられました。古生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールド氏は、その著書『ワンダフル・ライフ』の中で、ネクトカリスを「節足動物と脊索動物のキメラ生物」と表現しています。

転機が訪れたのは2010年です。カナダのマーティン・スミス氏らが、新たに発見された多数（90点以上）のネクトカリスの化石標本を詳細に再調査し、その成果を発表しました。新しい化石は保存状態が良好で、体の形状や内部構造がより明確に示されていました。この再記載に基づき、ネクトカリスは胴体が幅広の鰭を持つ円錐形であり、頭部からは一対の柔らかな触手様の付属肢が伸び、腹面には漏斗状器官があるといった、イカやタコに似た特徴を持つことが明らかになりました。スミス氏らは、これらの特徴からネクトカリスを、初期の頭足類に近縁なグループ（基盤的な殻を持たない頭足類）であると位置づけ、これまでの頭足類の進化に関する常識を覆す説を提唱しました。

分類論争

スミス氏らの頭足類説は大きな注目を集めましたが、大多数の古生物学者はこれに賛同していません。その主な理由は、頭足類がカンブリア紀後期に殻を持つグループから進化し、後に殻を失ったグループが出現したという、従来の進化モデルとネクトカリスの形態学的特徴が一致しないためです。ネクトカリスを初期の殻なし頭足類とすると、この進化の順番が逆転してしまうことになります。また、ネクトカリスの頭足類に似ているとされる特徴についても、他の器官である可能性が指摘されています。こうした状況から、ネクトカリスは依然として分類未定（incertae sedis）の動物であり、左右相称動物の中でその位置づけを確定することが難しいというのが現状の研究者たちの共通認識となっています。

かつては、アノマロカリスなどが属する恐蟹類（きょうかい類）や、より広範な冠輪動物に含まれるとする説も提唱されましたが、そのいずれも決定的な証拠は見つかっていません。

近縁種

中国の澄江動物群から見つかるペタリリウム（Petalilium）や、オーストラリアのエミュー・ベイ頁岩で見つかるベツストベルミス（Vetustovermis）は、発見当初はネクトカリス科の近縁属と考えられていました。しかし、その後の研究（Smith 2013）により、これらの形態的な差異は化石の保存状態によるものである可能性が高いと指摘され、現在ではネクトカリスのシノニム（同じ種や属を指す別の名称）とされることが多くなっています。ただし、完全に同種であるかについては確定していません。一方、2020年にはオルドビス紀の地層から、ネクトカリス科の新属新種としてネクトコティス（Nectocotis）が記載されました。この種はネクトカリスに似ていますが、甲羅のような構造を持つ点で区別されます。

ネクトカリスは、カンブリア爆発における生命の多様性と、現代につながる動物門の初期進化の複雑さを理解する上で、非常に重要な、しかし謎に満ちた生物であり続けています。

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