ネブラスカ (アルバム)

ブルース・スプリングスティーン『ネブラスカ』：孤独な魂の叫び

ブルース・スプリングスティーンが1982年に世に送り出した6作目のスタジオ・アルバム『ネブラスカ』は、それまでの彼のキャリアにおける作品群とは一線を画す、極めて異例な一枚として知られています。Eストリート・バンドのようなお馴染みのバックミュージシャンを伴わず、自身の自宅で録音されたデモ・テープの音源をそのままマスターとして使用するという、極めて内省的で素朴なスタイルが特徴です。

制作の舞台裏と録音手法

アルバムに収録された楽曲の大部分は、1982年1月3日、スプリングスティーンの自宅寝室で、ティアック社製のシンプルな4トラックのマルチトラック・レコーダーを用いて録音されました。基本的なスタイルはアコースティック・ギターによる弾き語りですが、ハーモニカやオルガンといった楽器の演奏、そして多少のオーバー・ダビングも行われました。例えば「オープン・オール・ナイト」ではエレクトリック・ギターも使用されています。ただし、「僕の父の家」とシングル「オープン・オール・ナイト」のB面曲であった「ビッグ・ペイバック」は、この主要なセッションとは別の時期に録音されました。

デモ音源をそのまま正式なリリースに採用するという決断は、スプリングスティーンと長年共に仕事をしてきたレコーディング・エンジニア、トビー・スコットが明かしています。デモ・テープのミキシングを終えた際、スプリングスティーンが「このテープには独特の雰囲気が漂っていて、非常に魅力的だ。これをそのままマスター・テープにできないか？」と提案したことがきっかけでした。一方で、同じセッションで録音されながらも、より馴染みのあるバンドサウンドで後に再録された楽曲も存在します。これには、後に大ヒットとなる「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」をはじめ、「ピンク・キャデラック」、「ダウンバウンド・トレイン」、「ワーキング・オン・ザ・ハイウェイ」（デモ時のタイトルは「チャイルド・ブライド」）などが含まれます。

歌詞に宿る物語とインスピレーション

本作の歌詞世界は、これまでのスプリングスティーン作品に比べ、一層暗く、社会の周縁に生きる人々や罪、孤独といったテーマを深く掘り下げています。タイトル曲「ネブラスカ」では、実際に起こった連続殺人事件の犯人、チャールズ・スタークウェザーの一人称視点で語られ、その冷たい内面が描かれています。「アトランティック・シティ」は、ギャンブル合法化によって湧き起こった1980年代初頭のサウス・ジャージーにおける「ゴールド・ラッシュ」を背景に、厳しい現実の中で生きる人々の姿を描いています。スプリングスティーン自身は、本作の制作に先立ち、アメリカ南部ゴシック文学の作家フラナリー・オコナーの小説に傾倒していたと語っており、その影響は歌詞の雰囲気にも見られます。また、歴史家ハワード・ジンの著作からも部分的なインスピレーションを得たとされています。

商業的成功と批評家からの評価

その内省的なサウンドにも関わらず、『ネブラスカ』は商業的にも一定の成功を収めました。母国アメリカではBillboard 200チャートで最高3位を記録し、自身にとって4作目となる全米トップ10入りを果たしました。1982年12月にはRIAAよりゴールドディスクに認定され、1989年7月にはプラチナディスクを獲得するなど、長期にわたり売上を伸ばしました。本作からは商業シングルはリリースされませんでしたが、ラジオ局でのエアプレイは非常に多く、『ビルボード』のメインストリーム・ロック・チャートでは「アトランティック・シティ」が10位、「オープン・オール・ナイト」が22位、「ジョニー・99」が50位を記録しています。

国際的にも好調で、スウェーデンでは前作『ザ・リバー』と同様にアルバム・チャートで2位に達し、長期にわたってチャートインしました。イギリスの全英アルバムチャートでは3位を獲得し、自身2作目のトップ10アルバムとなりました。日本でもオリコンLPチャートで初めてトップ10入りを果たしています。

批評家からの評価も高く、オールミュージックのWilliam Ruhlmannは5点満点を与え、「メジャーなスターがメジャー・レーベルから発表した、最も挑戦的なアルバムの一つ」と評しました。『ローリング・ストーン』誌のレビューでは4.5点（5点満点中）を獲得し、「アコースティックの偉業にして根源的なフォーク・アルバムであり、『闇に吠える街』と同様に悲痛だが、より熟慮されている」と絶賛されました。同誌の「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」では150位、「1980年代のベスト・アルバム100」では43位にランクイン。ピッチフォーク・メディアの「1980年代のトップ100アルバム」でも60位に選ばれるなど、その音楽的重要性は広く認められています。

後世への影響

『ネブラスカ』は、その後のアーティストや文化にも影響を与え続けています。カントリー界の巨匠ジョニー・キャッシュは、1983年の自身のアルバム『Johnny 99』で、本作から「ジョニー・99」と「ハイウェイ・パトロールマン」をカヴァーしました。ショーン・ペンが監督・脚本を手掛けた1991年の映画『インディアン・ランナー』は、本作収録曲「ハイウェイ・パトロールマン」の物語に基づいています。2000年には、クリッシー・ハインド、ロス・ロボス、ベン・ハーパー、エイミー・マンといった多様なアーティストが参加し、本作の全曲をカヴァーしたトリビュート・アルバム『Badlands: A Tribute to Bruce Springsteen's Nebraska』がリリースされ、『ビルボード』のインディペンデント・アルバム・チャートで24位を記録しました。2006年1月に開催されたNew York Guitar Festivalでは、ザ・ナショナルを含むアーティストたちが本作の楽曲を再現するライブを行い、その影響力の大きさを改めて示しました。このライブに参加したギタリストのヴァーノン・リードは、「スプリングスティーンがアメリカン・ドリームの裏側を見ようとした試み」「あのレコードの題材は、正に我々が否定しようとしているアメリカだ」と本作についてコメントしています。

孤独な録音環境から生まれた『ネブラスカ』は、その剥き出しのサウンドと冷徹な物語によって、スプリングスティーンのディスコグラフィの中でも特異な光を放ち、リスナーや批評家、そして後進のアーティストたちに深い印象を残しています。

収録曲

全作詞・作曲：ブルース・スプリングスティーン

1. ネブラスカ - 4:25
2. アトランティック・シティ - 3:50
3. マンション・オン・ザ・ヒル - 4:00
4. ジョニー・99 - 3:40
5. ハイウェイ・パトロールマン - 5:40
6. ステイト・トルーパー - 3:09
7. ユーズド・カー - 3:04
8. オープン・オール・ナイト - 2:51
9. 僕の父の家 - 5:35
10. 生きる理由 - 4:05

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