バヤール

伝説の魔法の馬 バヤール

バヤール（Bayard; Baiardo; (Ros) Beiaard）は、中世ヨーロッパ、特にフランスの武勲詩やイタリアの騎士道叙事詩に登場する、特別な力を持つとされる伝説の馬です。その最も特徴的な能力として語り継がれているのは、騎乗する人数に応じて自らの体のサイズを変化させられるという驚くべき性質です。外見については、鮮やかな赤毛を持ち、内面には「黄金の心臓」と「キツネのような知恵」を備えていると描写されます。これらの特徴が、バヤールを単なる乗り物ではなく、物語の重要な登場人物たらしめています。

フランスの武勲詩における活躍

バヤールが最も有名になったのは、12世紀に成立した古フランス語の武勲詩『エイモン公の4人の子ら』においてです。この物語では、バヤールは主人公の一人であるルノー・ド・モントーバン（イタリア語名リナルド）の忠実な愛馬として描かれています。バヤールの驚異的な能力は作中で存分に発揮され、ルノーとその3人の兄弟、合わせて4人全員を同時にその背に乗せ、なおかつ常識を超えた速度で駆け抜けることが可能でした。これは、エイモン公の息子たちが時の皇帝シャルルマーニュの追討から逃れる上で、不可欠な力となりました。

物語の後半、ルノーがシャルルマーニュに降伏する条件として、バヤールは皇帝に引き渡されてしまいます。シャルルマーニュはバヤールの首に巨大な石臼を括り付け、川に沈めて処分しようと試みます。しかし、バヤールは皇帝の残虐な企てを打ち破り、力強い蹄で石臼を粉砕すると、そのまま森の中へと姿を消し、自由を取り戻すのでした。

後の時代の武勲詩では、バヤールの起源に関して異なる設定が付加されることもありました。例えば、ルノーの愛馬となる以前に、彼の従兄弟である魔法使いモージ（マラジジ）によって捕らえられたとする物語や、トマス・ブルフィンチによる再話では、モージがルノーを魔法の森へ導き、アマデス・ド・ゴーラの血を引く者だけが乗りこなせるというバヤールを手に入れるための試練を与えるといった描写も見られます。また、バヤールの最期についても諸説あり、『エイモン公の4人の子ら』では逃走する結末が語られる一方、ブルフィンチ版やドイツの民衆本などでは、川に沈められた後に力尽き、溺死してしまう悲劇的な結末が描かれています。

イタリア叙事詩における地位

フランスの伝承がイタリアに伝わると、バヤールは『モルガンテ』や『狂えるオルランド』をはじめとする、シャルルマーニュの十二勇士（パラディン）を題材とした数々の叙事詩にも登場するようになります。これらの作品群において、バヤールはしばしば「世界最高の名馬」として称賛され、その価値は英雄たちが持つ伝説の武具にも匹敵するものと見なされました。

特に、アリオストの『狂えるオルランド』では、遠い東方の地セリカン（絹の国）の王グラダッソが、最強の武具としてリナルド（ルノー）の愛馬バヤールと、オルランドの持つ聖剣ドゥリンダルデを同時に求め、海を越えてイタリアに攻め寄せてきます。グラダッソはバヤールを含む多くの馬を一時的に手に入れますが、バヤールは最終的にリナルドのもとへ帰還します。グラダッソがバヤールとドゥリンダルデという二つの至宝を得たことは、彼を一時的に最強の敵とし、オルランドはバヤールの圧倒的な機動力によって落馬させられるなど苦戦を強いられます。しかし、最終的にはオルランドが自身の武勇と剣技によってグラダッソに勝利を収めます。

イタリア叙事詩において、バヤールはリナルドの忠実な相棒として描かれることが多く、その存在は物語の展開に大きな影響を与えています。

伝承の広がりと変遷

バヤールの伝説は、フランスやイタリアを超え、ヨーロッパ各地に広まりました。特にベルギーのワロン地域では、バヤールとエイモン公の子たちの伝説が深く根付いています。例えば、ベルギーのディナン近郊には、バヤールの蹄跡によってできたとされる大きな亀裂が入った「バヤール岩」という奇岩が存在し、またナミュールにはバヤールと4人兄弟の勇壮な像が建立されています。

13世紀頃までには、「バヤール」という名前は、特定の伝説上の馬だけでなく、赤茶色の毛に黒いたてがみを持つ馬の一般的な呼称としても用いられるようになります。同時に、かつて伝説の中で英雄的な魔法の馬として輝いたバヤールのイメージは、次第に変化していきます。中世後期になると、バヤールは神秘的な能力を失い、愚鈍で頑丈な普通の馬、あるいは鈍重さの象徴として描かれることが増えました。イングランドの詩人ジェフリー・チョーサーの作品群、例えば『トロイラスとクリセイデ』や『カンタベリー物語』の一部（「親方の話」「僧の従者の話」など）では、この時代のイメージを反映し、バヤールが必ずしも良い扱われ方をしていない例が見られます。

バヤールは、その始まりにおいては驚異的な能力を持つ魔法の馬として英雄を支えましたが、長い歴史の中で様々な物語や地域文化に取り込まれ、そのイメージは多角的に変化しながら語り継がれてきた、ヨーロッパの文学や伝承において非常に重要な存在と言えるでしょう。

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