フェルディナント・バイエル

フェルディナント・バイエル（Ferdinand Beyer, 1806年 7月25日 - 1863年 5月14日）は、ドイツの作曲家、ピアニストです。彼が1850年頃に著した『ピアノ奏法入門書』は、入門用教本として広く普及し、特に日本では「バイエル」の名で親しまれ、多くの人々のピアノ学習の始まりとなりました。

生涯

バイエルはザクセン選帝侯領（現在のドイツ）のクヴェアフルトに生まれました。生年については諸説ありましたが、近年の研究で1806年と確認されています。父は仕立て屋、母と母方の祖父は教会オルガニストという音楽に縁のある家系でした。

12歳でライプツィヒの神学校に入り、音楽教育を含む幅広い訓練を受けましたが、16歳で父の死去を機に音楽の道を本格的に志します。20代で作曲家・ピアニストとして活動するも、大きな成功には至らず、マインツに移住してピアノ教師となりました。同時に、ショット社の専属作曲家として、大衆向けの楽譜や自身の小品を多数発表します。彼は19世紀の「軽音楽作曲家」として経済的な成功を収め、その名は一つのブランドとなりました。しかし、当時のロマン主義音楽を重視する専門家からは、通俗的な作品ゆえにほとんど評価されませんでした。

『バイエルピアノ教本』と世界

バイエルの代表作である『ピアノ奏法入門書』（Vorschule im Klavierspiel, Op. 101）は、1850年頃にショット社から出版されました。この教本は、ピアノを初めて学ぶ子供などを主な対象とし、予備練習と106曲の短い練習曲から構成されています。各曲には題名がなく、番号のみが付けられています。連弾曲も含まれています。Op. 101bisとして、民謡やオペラ旋律の編曲集である『付録: 大好きな旋律による100の気晴らし曲集』も存在しますが、現在はほとんど使われていません。

『バイエルピアノ教本』はドイツ語原版に加え、多くの言語に翻訳され、特に日本と韓国で非常に広く普及しました。しかし、欧米では使用が限定的で、他の入門書が主流です。この教本には、右手のメロディーと左手の伴奏というパターンが多い、調性に偏りがある、特定の奏法に偏る、無題の多数の曲が学習者のモチベーションを維持しにくい、といった問題点も指摘されています。

日本における特別な位置づけ

日本では、『バイエルピアノ教本』が音楽教育において極めて特別な地位を占めています。その導入は1881年（明治13年）、アメリカの教育者ルーサー・ホワイティング・メーソンによって行われました。メーソンは、アメリカのニューイングランド音楽院で教本の一部が使われていた影響を受けていました。現在日本で流通している『子供のバイエル』などの多くの版は、メーソンに影響を与えたスティーヴン・アルバート・エメリーや、園田清秀といった日本人教育者の編集・改編が加えられたものです。

高度経済成長期における一般家庭へのピアノ普及を背景に、これらの日本版バイエルは広く浸透し、「赤バイエル」「黄バイエル」といった日本独自の区分けも生まれるなど、「バイエル文化」と呼べる独自の現象を築き上げました。奈良教育大学の安田寛教授は、この比類ない普及ぶりから、バイエルこそが日本の音楽教育に最も大きな影響を与えた作曲家であると論じています。また、教本の変奏曲の多さなどに着目し、その本来の意図は、母方の祖母に連なるドイツ・プロテスタントの音楽伝統に基づき、賛美歌などの伴奏に必要な技術を習得させることにあった可能性を指摘しています。

その歴史的重要性から、『バイエルピアノ教本』は小学校の教員採用試験における実技試験科目として指定されることもあります。

晩年と名前の発音

バイエルはマインツで1863年に亡くなりました。マインツ中央墓地に葬られましたが、第二次世界大戦で墓所は失われています。

名前「Ferdinand Beyer」は、現在の標準ドイツ語では「フェアディナント・バイアー」に近い発音ですが、日本では古くからの慣習で「フェルディナント・バイエル」と表記・発音されるのが一般的です。

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