フクロテナガザル

フクロテナガザル（Symphalangus syndactylus）

フクロテナガザルは、哺乳綱霊長目テナガザル科に属する大型の類人猿です。この種だけで独立したフクロテナガザル属を形成しており、別名シアマンとも呼ばれます。テナガザル科の中では最も体が大きく、全身が黒い体毛で覆われているのが特徴です。

分類

かつてテナガザル科は二つの属に分けられていましたが、近年の研究によりその分類が見直されました。フクロテナガザルが他の種と大きく異なるわけではなく、むしろ同じ属内での差異が大きいことが明らかになったため、現在では科全体を一属とし、フクロテナガザルを含むいくつかの亜属に分ける考え方が一般的になっています。さらに、霊長類研究者からはこれらの亜属を独立した属に昇格させる提案もなされています。生息地に基づき、スマトラ島に分布する集団をスマトラフクロテナガザル、マレー半島南部に分布する集団をマレーシアフクロテナガザルとして二つの亜種に分類する説も存在しますが、マレーシアの集団を特に区別する必要はないとする見解もあります。興味深いことに、フクロテナガザルは他のテナガザルであるアジルテナガザルやシロテテナガザルと同じ地域に生息することがあり、これはテナガザル科では珍しい例です。

形態

フクロテナガザルは体長が71センチメートルから90センチメートル、体重は10キログラムから12キログラムほどになり、近縁のテナガザル類と比べておよそ2倍の重さを持つ、科の中で最も大きな種です。体毛は長く密集しており、テナガザル科の中で最も色が濃く、黒い体毛を持ちます。腕は細長く、脚よりも長い傾向があります。顔には濃い毛がほとんどなく、薄い口ひげが生えています。

フクロテナガザルを他のテナガザルと明確に区別する特徴が二つあります。一つは、後肢の第二指と第三指が皮膚で繋がっている「合指」と呼ばれる特徴です。この合指は種小名である「syndactylus」の由来ともなっています。もう一つは、オスが持つ大きな「のど袋」です。この喉袋は、自分の頭と同じくらいの大きさにまで膨らませることができ、これを使って大きな声で咆哮したり、合唱したりすることができます。

分布と生息地

フクロテナガザルは、インドネシアのスマトラ島とマレーシアのマレー半島の森林に分布しています。生息環境は多様で、低地の森から山岳地帯、熱帯雨林まで広く適応し、標高3800メートルにも達する高地でも確認されています。通常、平均4頭、最大で6頭ほどの家族単位の群れで生活しています。彼らの平均的な行動圏はおよそ23ヘクタールですが、一日の移動距離は他のテナガザルに比べてかなり短く、1キロメートル未満で過ごすことも少なくありません。スマトラ島とマレー半島のフクロテナガザルは外見は似ていますが、両地域の集団間では行動パターンにいくつかの違いが見られます。

生態と行動

フクロテナガザルは日中に活動する昼行性です。一日の時間の半分以上を休息に費やし、残りの時間を摂食、移動、社会的な交流に充てます。特に午前の時間帯に摂食や移動を活発に行い、昼間はより多くの休息を取りながら、家族同士で毛づくろいをしたり遊んだりします。休息する際は、通常大きな木の枝に仰向けまたは腹ばいになって座ります。毛づくろいは、家族間の絆を深める上で非常に重要な行動の一つです。特に成体のオスは、他の個体の毛づくろいに熱心に関わります。

乾季には雨季よりも行動範囲が広くなる傾向が見られます。また、スマトラ島南部では果実を豊富に食べるため、他の地域と比べて餌を探す時間が短いという特徴があります。豊富な果実がある木では、そこで一日を過ごすこともあります。フクロテナガザルは非常に社交的な動物で、家族内ではさまざまな触覚的・視覚的なジェスチャー、行動、表情を用いてコミュニケーションを取り、社会的な絆を維持しています。縄張り意識が強く、他の群れに遭遇した際には大きな声で鳴き、自分の縄張りを主張します。天敵には、トラやヒョウ、ウンピョウ、ドールなどが挙げられます。

食性

フクロテナガザルは主に植物の様々な部分を食べる植物食動物です。少なくとも160種以上の植物を利用しており、果実、葉、花などが主な食物源です。特にイチジク属の果実を好んで食べます。未熟な果実よりも熟した果実を、古い葉よりも若い葉を好んで選びます。また、少数の昆虫も摂取します。食べ方にも特徴があり、大きな花は花弁だけを食べますが、小さな花は丸ごと食べます。小さな果実は手で集めてから食べ、大きくて硬い種子や角のある種子は果肉だけを食べて種子は捨てます。テナガザル科の中では果実を多く食べる一方で、葉食性の割合も比較的高い方です。これは、体が大きな霊長類ほど葉を食べる傾向が強くなるという一般的な傾向によく当てはまります。

成長と群れ

フクロテナガザルの群れは、通常、成体のオスとメス、そしてその子供たちで構成され、時には亜成体を含むこともあります。子供は生後6歳から8歳頃になると群れを離れる傾向があり、特にメスはオスよりも早く独立することが多いです。妊娠期間は6.2ヶ月から7.9ヶ月で、生まれた子供は最初の1年間、母親が主に世話をします。テナガザル科の中では珍しく、オス（父親）が子育てに関与する機会が多く見られ、生後8ヶ月を過ぎた子供をオスが抱きかかえる姿も観察されています。子供は通常、母親の元に戻って眠ったり授乳したりします。生後3年を迎える頃には、親から離れて自分で移動し始めるようになります。飼育下では40年以上の寿命を持つことが知られています。

フクロテナガザルは一般的に一夫一婦制のつがいを形成することが知られており、他のテナガザルと比較して、つがい同士が近い距離で一緒に過ごす時間が長いことが確認されています。しかし、スマトラ島では一夫一婦制の群れと一夫多妻制の群れの両方が観察されており、一夫一婦制の群れの子供の方が、オスからより多くの育児ケアを受けることが研究で示されています。これは、一夫多妻制の群れでは父親の確実性が低いことが影響していると考えられています。

生息地の環境が悪化すると、フクロテナガザルの群れの構成にも影響が現れます。自然のままの森林と、火災などで焼けた後に再生した森林では、群れのメンバー構成が異なり、再生林の個体群では成獣と若獣の割合が多く、幼獣の生存率が低い傾向が見られます。撹乱された環境では食料資源や適切な休息用の樹木が不足するため、自然林よりも個体群密度が低くなる傾向があります。

鳴き声

フクロテナガザルは、一日の始まりを早朝の大きな鳴き声で迎えます。鳴き声は午前9時から10時頃にピークを迎え、正午を過ぎると少なくなります。彼らの鳴き声は、同じ群れのメンバーよりも、近くにいる他の群れに向けられることが多いです。これは、鳴き声が主に縄張りを防衛するためのコミュニケーション手段であり、他の群れの侵入に対する反応として発せられることを示唆しています。午前遅くの鳴き声は、他の群れに遭遇したり目撃したりした際によく聞かれます。行動圏の端が他の群れの行動圏と重なる場所で、頻繁に鳴き声が交わされます。また、果物が豊富な時期には、少ない時期よりも鳴き声が多くなる傾向があります。鳴く際には、枝を揺らしたり、体を揺らしたり、樹冠の周りを移動したりすることもあります。これらの動きは、他の群れに自分たちの正確な居場所を示す目的があると考えられています。

フクロテナガザルは、縄張りの中で特に背が高く大きな木の上で鳴くことを好みます。これは、他の群れから見えやすい場所であることや、そのような木が移動を助ける役割を果たすためと考えられます。彼らが餌としている木の近くで鳴くこともあり、時には餌の木の上で直接鳴くこともあります。

つがいを組んだオスメスは、互いに協調して「デュエット」と呼ばれる、大きくてパターン化された鳴き声を発します。このデュエットは、つがいの存在と地位をアピールする役割を持ちます。新しくつがいを形成したペアは、すでに確立されたペアよりも頻繁にデュエットを行います。このような強い絆を示すことは、縄張り防衛において有利に働くと考えられています。フクロテナガザルのデュエットは、特に複雑な発声構造を持つ点で他のテナガザルとは異なります。確認されている発声の種類は、ブーンという音、吠え声、ホーホーという声、そして二音階の叫び声の4種類です。メスは長い吠え声を、オスは二音階の叫び声を主に出す傾向がありますが、両性ともこれら4種類の全ての発声を行うことが知られています。他のテナガザルでは喉頭嚢が左右に拡張して発声を補助しますが、フクロテナガザルの場合は喉頭嚢が融合し、首の腹側に大きく伸びていることが特徴です。

生態系への貢献

フクロテナガザルは果実を多く食べるため、森林生態系において重要な役割を担っています。採食した果実の種子を消化しながら体内を運び、縄張りを移動しながら排便によって種子を散布します。種子は平均して81.9メートルから365.9メートル離れた場所で排出されるため、これは森林の再生や植生遷移を促進する上で貢献しています。

脅威と保全

フクロテナガザルは樹上で生活し、生存を森林に依存しているため、さまざまな脅威に直面しており、個体数減少の圧力がかかっています。主な脅威は生息地の喪失と分断、そして密猟や狩猟です。

生息地の喪失

フクロテナガザルの生息地は、油ヤシなどのプランテーションへの転換、森林火災、違法伐採、人間による開発（道路建設など）によって急速に失われ、断片化が進んでいます。特に近年の油ヤシプランテーションの拡大は深刻で、フクロテナガザルがかつて生息していたインドネシアとマレーシアの広大な熱帯雨林が農地に置き換えられました。また、マレー半島では違法伐採が問題となっており、保護区に指定されている森林でさえ不法に侵入されるケースが見られます。農地への転換も進んでおり、例えば1998年のコーヒー価格高騰は、スマトラ島で森林をコーヒー農園に変える動きを加速させました。開発に伴うインフラ整備、特に道路の建設は、保護地域を分断し、森林の分断化を引き起こしています。

密猟と狩猟

インドネシアでは、他のアジア地域とは異なり、霊長類が食肉目的で狩られることは少ないですが、違法なペット取引のために密猟されています。密猟者は特に幼いフクロテナガザルを狙いますが、母親が子供を守ろうとするため、多くの場合、まず母親が殺されてしまいます。市場に出回るフクロテナガザザルのほとんどが幼獣であり、捕獲後や輸送中に死亡するケースも多く、個体数に大きな打撃を与えています。

過去には個体数が比較的多いと推定された時期もありましたが、21世紀に入りその数は減少していると考えられています。ブキ・バリサン・セラタン国立公園のように比較的多くのフクロテナガザルが生息する保護区も存在しますが、全体として生息環境の悪化と密猟は、フクロテナガザルの保全にとって大きな課題となっています。

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