フローラ (ティツィアーノ)

ティツィアーノ・ヴェチェッリオの『フローラ』：美と謎に満ちた傑作

16世紀のイタリア、盛期ルネサンスを代表する巨匠、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ。彼の初期の代表作として名高い『フローラ』（伊: Flora）は、1515年頃制作された油彩画です。現在、フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。

作品は、理想的な美しさを備えた女性を半身像で捉えています。彼女は左肩から滑り落ちるプリーツのシャツを着け、胸を大胆に露出。これは当時ヴェネツィアで流行していた絵画様式の特徴の一つです。左手にピンクのコート、右手に花と葉を携え、その姿は官能的で、同時に気品に満ち溢れています。

モデルとなった女性は、ブロンドの巻き髪を持つ人物で、ティツィアーノが同時期に描いた他の作品にも共通する特徴が見られます。例えば、ルーヴル美術館の『鏡の前の女』やミュンヘンのアルテ・ピナコテークの『虚栄心』などに描かれた女性と、類似性が見られるのです。ただし、ティツィアーノの工房では、同じ下絵を使わずとも、類似した作品を制作する習慣があったため、同一人物とは断定できません。

この女性の持つ花束から、彼女はしばしば春または植物の女神フローラと解釈されます。しかし、彼女の持つ花はヴィーナスの属性とされるものであり、彼女の指の開き方や、薬指に見える婚約指輪といった描写から、結婚や処女喪失といった解釈も存在します。さらに、露出した胸と覆われた胸という対比は、純潔と官能性の両面を象徴しているとも考えられます。つまり、この絵画が単なる神話の表現を超えて、当時の女性の多様な側面を表現している可能性があるのです。

『フローラ』の絵画様式は、ティツィアーノ独特の「色彩古典主義」を示しています。柔らかく豪華な色彩の調和と、主題の美しさと官能性を高める構成が見事に融合しています。人物は正面を向いていますが、身体の動きや頭の傾きにより、ダイナミックな印象を与えています。

この作品は、制作以来高い評価を受け、16世紀には多くの印刷物にも登場しました。その後、17世紀にはブリュッセルやウィーンの美術市場を転々とし、アムステルダムのスペイン大使アルフォンソ・ロペスを経て、大公レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒへと渡ります。オランダの巨匠レンブラントも、この作品をモチーフに自身の作品を描いたとされています。

17世紀後半から18世紀初頭にかけて、この作品は歴史から姿を消しますが、1781年にベルヴェデーレ宮殿の目録に記録され、1793年にはオーストリアとトスカーナ大公国間の交換によって、ウフィツィ美術館に収蔵されることとなります。ウフィツィ美術館では、この作品は絶大な人気を博し、模写希望者が殺到したため、美術館は模写者の人数制限を設けたほどでした。第二次世界大戦中にはローマやナポリに疎開しましたが、戦後再びウフィツィ美術館に戻り、現在に至ります。

なお、『フローラ』というタイトルは、アルフォンソ・ロペスのコレクションにあった頃に、ヨアヒム・フォン・ザンドラルトによって付けられたものだと考えられています。

『フローラ』は、ティツィアーノ初期の傑作として、その芸術性のみならず、複雑な来歴や、解釈の多様さにおいても、美術史上の重要な作品と言えるでしょう。その美しさ、そして謎めいた魅力は、現代においても多くの鑑賞者を魅了し続けています。

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