ペプシン

ペプシン

概要

ペプシン（Pepsin、EC.3.4.23.1-3）は、動物の消化器系、特に胃の中で中心的な役割を果たすタンパク質分解酵素です。この酵素はアスパラギン酸プロテアーゼと呼ばれるグループに属しており、食物中のタンパク質を分解することで、その後の消化・吸収プロセスを助ける重要な働きを担っています。「ペプシン」という名称は、古代ギリシア語で「消化」を意味する言葉「πέψις（pepsis）」に由来しており、その機能が名前に直接反映されています。

生成と活性化のメカニズム

ペプシンは、最初から活性を持つ形で作られるわけではありません。胃の壁にある胃底腺の主細胞では、不活性な前駆体である「ペプシノーゲン」として合成されます。ペプシノーゲンは、消化時には胃の中に分泌されます。

胃の中は、胃液に含まれる塩酸によって強い酸性環境（pH 1.5～3.5程度）が保たれています。この酸性の環境こそが、ペプシンが活性化される鍵となります。ペプシノーゲンが酸性の胃液に触れると、その分子の立体構造が変化し、自身のN末端側に結合している約44アミノ酸からなる「プロ配列」と呼ばれる不要な部分が切り離されます。このプロ配列が取り除かれることで、初めて機能を持つ活性型のペプシンが誕生します。活性化のプロセスは通常二段階で進行し、最初は自己触媒的ではなく、酸による構造変化がトリガーとなりますが、一度活性化したペプシンは、まだペプシノーゲンの状態にある他の分子にも作用し、そのプロ配列を切断して活性化を促進するという自己触媒的な性質も持ち合わせています。

性質と機能

活性型ペプシンが最も効率よく働くのは、pH約2.0という非常に強い酸性の条件下です。この至適pHは、他の多くの酵素が中性付近で働くのと比較すると、極めて特異的です。胃の酸性環境は、病原体の殺菌だけでなく、ペプシンの最適な活動環境を提供するためにも重要です。

しかし、ペプシンは酸性条件下でのみ安定であり、中性やアルカリ性の環境に置かれると、その立体構造が元に戻せないほど不可逆的に変化し、酵素としての活性を永久に失ってしまいます。この性質は、消化プロセスにおいて重要な役割を果たします。胃でタンパク質分解を終えた食物が十二指腸へ送られると、十二指腸の粘膜から分泌される重炭酸イオンによって胃酸が中和され、環境が弱アルカリ性に傾きます。これにより、ペプシンの活動は停止し、十二指腸自身の壁がペプシンによって消化されるのを防いでいます。

ペプシンの主要な機能は、食物中に含まれる巨大なタンパク質分子を、より小さなペプチド断片やアミノ酸鎖に分解することです。これにより、タンパク質の表面積が増加し、その後に膵臓から分泌されるトリプシンやキモトリプシンといった他の消化酵素によるさらなる分解を受けやすくなります。最終的に、タンパク質はアミノ酸や短いペプチドとして小腸から吸収されます。

基質特異性

ペプシンは、全てのペプチド結合を無差別に切断するわけではありません。特定の構造を持つペプチド結合に対して高い親和性と切断能力を示します。具体的には、タンパク質やペプチド鎖において、アスパラギン酸（Asp）やグルタミン酸（Glu）といった酸性アミノ酸残基の後に、フェニルアラニン（Phe）、チロシン（Tyr）、トリプトファン（Trp）などの芳香族アミノ酸残基が続くような配列が存在する場合、その酸性アミノ酸残基のカルボキシル基側（N末端側）にあるペプチド結合を選択的に切断する傾向があります。この特異性により、タンパク質は特定のパターンで分解されます。

阻害剤と医療への応用

ペプシンの活性を特異的に抑制する物質も存在します。その一つが「ペプスタチン」と呼ばれる化合物です。ペプスタチンはアスパラギン酸プロテアーゼ阻害剤として機能し、ペプシンの触媒部位に結合することでその働きを妨げます。

ペプシンの過剰な活動や、胃酸による胃壁・十二指腸壁へのダメージは、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因の一つとなります。特に、防御機構が弱まっている場合に、ペプシンが自身の組織のタンパク質を消化してしまう可能性があります。ペプスタチンのようなペプシン阻害剤は、このような消化性潰瘍の治療において、ペプシンの攻撃的な作用を抑える目的で使用されることがあります。

関連事項

消化プロセス全体の中で、ペプシンはタンパク質消化の第一段階を担う重要な酵素です。その後の小腸での消化は、主に膵臓由来の酵素によって行われます。

ペプシンは、消化酵素やプロテアーゼといった広範な分類の中に位置づけられる酵素です。

また、清涼飲料水として世界的に知られる「ペプシコーラ」の名称は、このペプシンに由来するとされています。これは、開発当初、消化を助ける効果を期待してペプシンが少量添加されていた時期があったためですが、現在のペプシコーラ製品にペプシンそのものは含まれていません。

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