ムラトゥ・アスタトゥケ
エチオピア音楽界の革新者、ムラトゥ・アスタトゥケは、1943年12月19日にジンマ市で生を受けた音楽家です。彼は「エチオ・ジャズ」と呼ばれる独自の音楽ジャンルを創設し、その確立者として国際的に知られています。別表記として、ムラトゥ・アスタツケやムラトゥ・アスタケという表記も見られます。
ムラトゥは、エチオピアで育った後、音楽を学ぶために海を渡りました。イギリスのロンドン、そしてアメリカのニューヨークやボストンといった主要都市で音楽教育を受け、多様な文化と音楽に触れる機会を得ました。彼はそこで習得したジャズやラテン・ミュージックの要素を、故郷エチオピアの豊かな伝統音楽と見事に融合させ、世界でも類を見ない「エチオ・ジャズ」というスタイルを創り上げました。彼の音楽は、独特のリズム、伝統的な旋律、そしてジャズやラテンの即興性が見事に調和しています。
演奏家としては、ヴィブラフォンとコンガを主な楽器としていますが、パーカッション全般、キーボード、オルガンなども巧みに操り、エチオピアのポピュラー音楽界に新たなサウンドや楽器の可能性をもたらしました。彼の発表した作品の多くは、インストゥルメンタル（歌のない楽曲）です。特にエチオピア音楽の「黄金期」とされる1970年代にリリースされた主要なインストゥルメンタル・アルバムには、全て彼の参加が確認されています。
1950年代後半、ムラトゥは当初、工学を学ぶためにイギリスへ留学しました。しかし、彼の情熱は音楽へと向けられ、ウェセックスのリンディスファーン大学を経て、ロンドンのトリニティ・カレッジ・オブ・ミュージック（現在のトリニティ・ラバン・コンセルヴァトワール・オブ・ミュージック・アンド・ダンス）で音楽の学位を取得しました。ロンドン時代には、ジャズ・ボーカリストでありパーカッショニストでもあったフランク・ホルダーと共に音楽活動を行っています。
1960年代に入ると、ムラトゥは活動の拠点をアメリカ合衆国に移しました。ボストンにあるバークリー音楽大学に入学し、アフリカ大陸出身者としては初の学生となりました。バークリーでは、彼の主要楽器となるヴィブラフォンとパーカッションを中心に学びました。
アメリカでの滞在期間中、彼はラテン・ジャズに深く傾倒しました。その影響は、1966年にニューヨークで録音された初のリーダー作である2枚組アルバム『Afro-Latin Soul, Volumes 1 & 2』に色濃く反映されています。この作品は、ムラトゥのヴィブラフォンをフィーチャーし、ピアノやコンガがラテンのリズムを刻むインストゥルメンタル楽曲が大半を占めています（「I Faram Gami I Faram」というスペイン語のボーカル曲を除く）。当時のラテン・ジャズ作品群の中で特に傑出していたわけではありませんが、後の彼の音楽スタイルに繋がる重要な要素がすでに確認できます。特に、コンガやボンゴといったラテン楽器をエチオピアのポピュラー音楽に持ち込んだ先駆的な試みとして評価されます。
1970年代初頭になると、ムラトゥはアメリカでの活動と並行して、故郷エチオピアでも積極的に音楽活動を展開するようになります。彼はこの時期に、自身が確立した新しい音楽スタイル「エチオ・ジャズ」を母国に紹介しました。エチオピアとアメリカ双方で、多くの著名な音楽家たちとの共演が実現しています。
エチオピアを代表する歌手マフムード・アフメドの楽曲では、作編曲や演奏に携わり、そのサウンドに影響を与えました。また、1973年に伝説的なジャズオーケストラであるデューク・エリントン楽団がエチオピアを訪れた際には、特別ゲストとして彼らの公演に参加するという栄誉にも恵まれました。
1972年には、ニューヨークで彼の代表作の一つと数えられるアルバム『Mulatu of Ethiopia』をレコーディングしました。さらに、エチオピア国内では、革新的なレーベルであったアムハ・レコードからいくつかのシングルを発表し、1974年にはアルバム『Yekatit Ethio-Jazz』をリリースしています。マフムード・アフメド、トラフン・ゲセセ、アレマイユ・エシェテといった同時代の人気歌手たちの作品にも、ジャズやラテンの楽器やアレンジが導入され、ムラトゥの音楽的な影響が広く浸透していたことがうかがえます。
しかし、1975年にエチオピア帝政が倒れ、軍事政権が樹立されると、文化活動は大きな制約を受けることになります。アムハ・レコードのような独立系レーベルは活動停止を余儀なくされ、多くの音楽家が国外へ亡命しました。ムラトゥはその後もしばらくエチオピアに留まり、ハイル・メルギア&ザ・ワリアスが1977年に発表したアルバム『Tche Belew』にヴィブラフォン奏者として参加するなどしましたが、1980年代に入ると、エチオピア国外では彼の音楽はほとんど忘れ去られてしまうことになります。
1990年代に入ると、世界的なレア・グルーヴ・ムーブメントの高まりの中で、状況は再び変化します。熱心なレコードコレクターたちの間で、ムラトゥをはじめとする1970年代エチオピアの希少なレコード音源が「再発見」され、そのユニークなサウンドが注目を集めました。これにより、彼の過去の音源のコピー盤が出回るようになります。
特に決定的だったのは、1998年からフランスのブダ・ミュージックが手掛けた、1970年代のエチオピア音楽を集めたコンピレーションシリーズ『エチオピーク（Éthiopiques）』です。このシリーズの中でも、ムラトゥの初期作品に焦点を当てた第4巻『Éthiopiques Volume 4: Ethio Jazz & Musique Instrumentale, 1969–1974, Mulatu Astatke』は国際的に大きな反響を呼び、ムラトゥの革新的な音楽は世界中の聴衆に広く知られるきっかけとなりました。
さらに、2005年に公開されたアメリカの映画監督ジム・ジャームッシュの作品『ブロークン・フラワーズ』のサウンドトラックにムラトゥの楽曲が多数使用されたことで、ヨーロッパやアメリカを中心に、彼の知名度と評価は決定的なものとなりました。彼のユニークで魅力的なサウンドは、ナズ、ダミアン・マーリー、カニエ・ウェスト、カット・ケミスト、マッドリブといった著名なヒップホップアーティストたちにも影響を与え、彼らの作品でムラトゥの音源がサンプリングされる例が多く見られます。
日本との関わりとしては、2013年のフジロックフェスティバルでの公演が初来日として記録されています。その後、2024年7月6日には東京・立川で開催されたフェスティバル・フルージーニョに8人編成のバンドで参加するため、約11年ぶりに来日し、再び日本の音楽ファンを魅了しました。
ムラトゥ・アスタトゥケは、単なる音楽家にとどまらず、ジャズ、ラテン、そしてエチオピアの伝統音楽を結びつけ、「エチオ・ジャズ」という新たなジャンルを世界に提示した文化的な架け橋とも言える存在です。彼の革新性と影響力は、世代を超えて世界中で評価され続けています。
人物と音楽スタイル
ムラトゥは、エチオピアで育った後、音楽を学ぶために海を渡りました。イギリスのロンドン、そしてアメリカのニューヨークやボストンといった主要都市で音楽教育を受け、多様な文化と音楽に触れる機会を得ました。彼はそこで習得したジャズやラテン・ミュージックの要素を、故郷エチオピアの豊かな伝統音楽と見事に融合させ、世界でも類を見ない「エチオ・ジャズ」というスタイルを創り上げました。彼の音楽は、独特のリズム、伝統的な旋律、そしてジャズやラテンの即興性が見事に調和しています。
演奏家としては、ヴィブラフォンとコンガを主な楽器としていますが、パーカッション全般、キーボード、オルガンなども巧みに操り、エチオピアのポピュラー音楽界に新たなサウンドや楽器の可能性をもたらしました。彼の発表した作品の多くは、インストゥルメンタル（歌のない楽曲）です。特にエチオピア音楽の「黄金期」とされる1970年代にリリースされた主要なインストゥルメンタル・アルバムには、全て彼の参加が確認されています。
音楽活動の軌跡
初期（1950年代〜1970年代）
1950年代後半、ムラトゥは当初、工学を学ぶためにイギリスへ留学しました。しかし、彼の情熱は音楽へと向けられ、ウェセックスのリンディスファーン大学を経て、ロンドンのトリニティ・カレッジ・オブ・ミュージック（現在のトリニティ・ラバン・コンセルヴァトワール・オブ・ミュージック・アンド・ダンス）で音楽の学位を取得しました。ロンドン時代には、ジャズ・ボーカリストでありパーカッショニストでもあったフランク・ホルダーと共に音楽活動を行っています。
1960年代に入ると、ムラトゥは活動の拠点をアメリカ合衆国に移しました。ボストンにあるバークリー音楽大学に入学し、アフリカ大陸出身者としては初の学生となりました。バークリーでは、彼の主要楽器となるヴィブラフォンとパーカッションを中心に学びました。
アメリカでの滞在期間中、彼はラテン・ジャズに深く傾倒しました。その影響は、1966年にニューヨークで録音された初のリーダー作である2枚組アルバム『Afro-Latin Soul, Volumes 1 & 2』に色濃く反映されています。この作品は、ムラトゥのヴィブラフォンをフィーチャーし、ピアノやコンガがラテンのリズムを刻むインストゥルメンタル楽曲が大半を占めています（「I Faram Gami I Faram」というスペイン語のボーカル曲を除く）。当時のラテン・ジャズ作品群の中で特に傑出していたわけではありませんが、後の彼の音楽スタイルに繋がる重要な要素がすでに確認できます。特に、コンガやボンゴといったラテン楽器をエチオピアのポピュラー音楽に持ち込んだ先駆的な試みとして評価されます。
1970年代初頭になると、ムラトゥはアメリカでの活動と並行して、故郷エチオピアでも積極的に音楽活動を展開するようになります。彼はこの時期に、自身が確立した新しい音楽スタイル「エチオ・ジャズ」を母国に紹介しました。エチオピアとアメリカ双方で、多くの著名な音楽家たちとの共演が実現しています。
エチオピアを代表する歌手マフムード・アフメドの楽曲では、作編曲や演奏に携わり、そのサウンドに影響を与えました。また、1973年に伝説的なジャズオーケストラであるデューク・エリントン楽団がエチオピアを訪れた際には、特別ゲストとして彼らの公演に参加するという栄誉にも恵まれました。
1972年には、ニューヨークで彼の代表作の一つと数えられるアルバム『Mulatu of Ethiopia』をレコーディングしました。さらに、エチオピア国内では、革新的なレーベルであったアムハ・レコードからいくつかのシングルを発表し、1974年にはアルバム『Yekatit Ethio-Jazz』をリリースしています。マフムード・アフメド、トラフン・ゲセセ、アレマイユ・エシェテといった同時代の人気歌手たちの作品にも、ジャズやラテンの楽器やアレンジが導入され、ムラトゥの音楽的な影響が広く浸透していたことがうかがえます。
しかし、1975年にエチオピア帝政が倒れ、軍事政権が樹立されると、文化活動は大きな制約を受けることになります。アムハ・レコードのような独立系レーベルは活動停止を余儀なくされ、多くの音楽家が国外へ亡命しました。ムラトゥはその後もしばらくエチオピアに留まり、ハイル・メルギア&ザ・ワリアスが1977年に発表したアルバム『Tche Belew』にヴィブラフォン奏者として参加するなどしましたが、1980年代に入ると、エチオピア国外では彼の音楽はほとんど忘れ去られてしまうことになります。
近年の再評価（1990年代〜現在）
1990年代に入ると、世界的なレア・グルーヴ・ムーブメントの高まりの中で、状況は再び変化します。熱心なレコードコレクターたちの間で、ムラトゥをはじめとする1970年代エチオピアの希少なレコード音源が「再発見」され、そのユニークなサウンドが注目を集めました。これにより、彼の過去の音源のコピー盤が出回るようになります。
特に決定的だったのは、1998年からフランスのブダ・ミュージックが手掛けた、1970年代のエチオピア音楽を集めたコンピレーションシリーズ『エチオピーク（Éthiopiques）』です。このシリーズの中でも、ムラトゥの初期作品に焦点を当てた第4巻『Éthiopiques Volume 4: Ethio Jazz & Musique Instrumentale, 1969–1974, Mulatu Astatke』は国際的に大きな反響を呼び、ムラトゥの革新的な音楽は世界中の聴衆に広く知られるきっかけとなりました。
さらに、2005年に公開されたアメリカの映画監督ジム・ジャームッシュの作品『ブロークン・フラワーズ』のサウンドトラックにムラトゥの楽曲が多数使用されたことで、ヨーロッパやアメリカを中心に、彼の知名度と評価は決定的なものとなりました。彼のユニークで魅力的なサウンドは、ナズ、ダミアン・マーリー、カニエ・ウェスト、カット・ケミスト、マッドリブといった著名なヒップホップアーティストたちにも影響を与え、彼らの作品でムラトゥの音源がサンプリングされる例が多く見られます。
日本との関わりとしては、2013年のフジロックフェスティバルでの公演が初来日として記録されています。その後、2024年7月6日には東京・立川で開催されたフェスティバル・フルージーニョに8人編成のバンドで参加するため、約11年ぶりに来日し、再び日本の音楽ファンを魅了しました。
ムラトゥ・アスタトゥケは、単なる音楽家にとどまらず、ジャズ、ラテン、そしてエチオピアの伝統音楽を結びつけ、「エチオ・ジャズ」という新たなジャンルを世界に提示した文化的な架け橋とも言える存在です。彼の革新性と影響力は、世代を超えて世界中で評価され続けています。
ディスコグラフィー（抜粋）
リーダー作品
- - Maskaram Setaba 7" (1966)
- - Afro-Latin Soul, Volume 1 (1966)
- - Afro-Latin Soul, Volume 2 (1966)
- - Mulatu of Ethiopia LP (1972)
- - Yekatit Ethio-Jazz LP (1974)
- - Ethio Jazz: Mulatu Astatke Featuring Fekade Amde Maskal (1974)
- - Plays Ethio Jazz LP (1989)
- - Assiyo Bellema (1994)
- - Mulatu Astatke
- - Mulatu Steps Ahead (with The Either/Orchestra) (2010)
- - Sketches of Ethiopia Vinyl, LP (2013)
主な参加作品
- - Tche Belew - Hailu Mergia and the Walias Band (1977)
- - Inspiration Information - The Heliocentrics (2009)
- - Cradle Of Humanity - Black Jesus Experience (2016)
- - To Know Without Nothing - Black Jesus Experience (2020)
主なコンピレーション収録作品
- - Ethiopian Modern Instrumentals Hits LP (1974)
- - Éthiopiques, Vol. 4: Ethio Jazz & Musique Instrumentale, 1969–1974 CD (1998)
- - The Rough Guide to the Music of Ethiopia (2004)
- - Broken Flowers サウンドトラック (2005)
- - New York–Addis–London: The Story of Ethio Jazz 1965–1975 (2009)
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