ヤン・ボードゥアン・ド・クルトネ

ヤン・イグナツィ・ネェチスワフ・ボードゥアン・ド・クルトネ：構造主義言語学の礎を築いた先駆者

1845年、ポーランドで生まれたヤン・イグナツィ・ネェチスワフ・ボードゥアン・ド・クルトネは、ロシア帝国で活躍した著名な言語学者です。フランス系ポーランド人の彼は、ロシア語で多くの論文を発表し、ロシアの言語学界にも大きな影響を与えました。彼の研究は、後の構造主義言語学に多大な貢献をし、ソシュールと並ぶ先駆者として高く評価されています。

生涯と学問的遍歴

クルトネはワルシャワでサンスクリット、リトアニア語、スラブ語を学び、その後ライプツィヒ大学で博士号を取得。サンクトペテルブルク大学を経て、1875年からカザン大学で教鞭を執りました。カザン大学時代は、彼の研究が大きく開花した時期であり、後に「カザン学派」と呼ばれる言語学の学派を形成しました。彼の門下からは、ポリワーノフ、シチェルバ、ヴィノグラードフなど、多くの優れた言語学者を輩出しました。

構造主義言語学への貢献

クルトネの最も重要な功績は、構造主義言語学の基礎概念を確立したことでしょう。1870年の論文「言語学と言語に関する一般的な覚え書」において、既に構造主義的な視点からの考察を示しています。これはソシュールの『一般言語学講義』(1916年)よりも早い時期です。

彼の貢献は多岐に渡ります。まず、音素という概念を初めて言語学に導入しました。音素を、人間の心理的にこれ以上分割できない最小の音の単位と定義づけ、後のプラハ学派、レニングラード学派、モスクワ学派の音韻論研究に大きな影響を与えました。さらに、形態素という概念も初めて導入し、心理的にこれ以上分割できない意味を持つ最小単位と定義づけています。また、語根と接辞の区別を行い、形態素論の基礎を築きました。

クルトネは、共時態と通時態の明確な区別も行った先駆者の一人です。彼は、時間を停止したものと仮定して言語を分析する共時態を「静的」あるいは「記述的」と呼び、言語現象の時間的変化を研究する通時態を「動的」あるいは「歴史的」と呼んでいました。これは、ソシュールによる共時態・通時態の区別と非常に近しい考え方です。ソシュール自身もクルトネの影響を受けていた可能性が指摘されています。さらに、個々人の言語（パロール）と社会的な言語（ラング）の区別についても、ソシュールと同様の考え方を示しています。

また、クルトネは音声学と音韻論を明確に区別した最初の人物でもあります。彼は、人間の言語発声のメカニズムを扱う「人間音声学」と、人間の心理的な言語音の認識を扱う「心理音声学」という二つの分野を区別しました。これは現代の音声学と音韻論の区別に相当します。

さらに、言語変化には5つの方向性があるという独自の理論（言語変化における経済性理論）を提唱しました。その内容は、無意識的な習慣、使用の容易さへの志向、忘却、同一形式の区別化への欲求、そして一般化です。

評価と影響

クルトネはカザンという辺境の地で活躍したため、ソシュールほど広く知られることはありませんでしたが、彼の研究は、後の言語学に計り知れない影響を与えました。彼の創始した学派は、ロシア言語学界をリードし、多くの優れた研究者を輩出しました。また、対立関係にあったモスクワ学派にも影響を与えています。彼の業績は、現代言語学の基礎をなすものであり、言語学史において重要な位置を占めています。彼の研究は、音韻論、形態論、言語変化、構造主義言語学など、様々な分野にわたって現代言語学に多大な影響を与え続けています。

もう一度検索