ユージン・インジック

ユージン・インジック（Eugen Indjic, 1947年3月11日 - 2024年2月28日）は、20世紀後半から21世紀初頭にかけて国際的に活躍したピアニストです。ユーゴスラビアに生まれ、その生涯はアメリカ合衆国での音楽教育とキャリア形成、そしてヨーロッパでの活動という複数の文化圏に跨がるものでした。

生い立ちと渡米

1947年、旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の首都ベオグラードで誕生しました。彼の父はセルビア王国の軍人として国王ペータル2世に仕えていましたが、母はロシア出身でアマチュアながらピアノを愛好する人物でした。この家庭環境が、幼いインジックの音楽への関心の礎となったのかもしれません。

4歳を迎える頃、一家はアメリカ合衆国へ移住します。この新天地で、彼はフレデリック・ショパンの「幻想即興曲」やポロネーズ集のレコードを耳にし、ピアノという楽器に強い魅力を感じ始めました。その才能を見出され、グルジア出身のピアニストであるリューボフ・ステファーニに師事することとなります。1955年にはアメリカ市民権を取得し、活動の基盤を築きました。

アメリカでの教育とキャリアの形成

若い頃からその演奏は注目を集め、1958年にはNBCのテレビ放送に出演し、その才能を広く披露しました。1959年から1964年にかけては、著名なピアニスト、アレクサンドル・ボロフスキーのもとで技術と音楽性を磨きました。

一方で、彼は単なる演奏家にとどまらず、深い学識も追求しました。レナード・バーンスタイン奨学金を得て、名門ハーバード大学に進学。ローレンス・バーマンやレオン・キルヒナーといった高名な教授陣に師事し、シェンカー理論を含む高度な音楽理論を深く学びました。演奏活動と学業を並行させるという稀有な道を歩み、1969年には優等の成績でハーバード大学を卒業しています。

この時期、演奏家としてのキャリアも順調に発展しました。1960年にはワシントン・ナショナル交響楽団と共演。翌1961年からは、指揮者アーサー・フィードラーの要請を受け、ボストン・ポップス・オーケストラに客演を重ねるようになり、この関係は10年間続きました。学問と実践、両面での研鑽が、彼の独自の音楽スタイルを形成していきました。

国際コンクールでの成功と評価

ピアニストとしての評価を決定づけたのは、世界的に権威のある国際コンクールでの輝かしい成績です。1970年、ピアノ音楽の最も重要なコンクールの一つであるフレデリック・ショパン国際ピアノコンクール（ワルシャワ）に出場し、第4位に入賞しました。この結果は、彼がショパン作品の重要な解釈者の一人であることを世界に示しました。

その後も国際コンクールでの成功は続き、1972年にはイギリスのリーズ国際ピアノ・コンクールで第3位を獲得。さらに1974年には、敬愛するピアニストの名を冠したアルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノコンクール（イスラエル）で第2位に入賞しました。これらの実績により、ユージン・インジックは世界的なピアニストとしての地位を確立しました。

人物交流と録音のエピソード

1968年には、自身が出場するコンクール名にもなった伝説的なピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインと出会います。この出会いは彼にとって非常に重要であり、以来、ルービンシュタインがこの世を去るまで、両者の間には深い親交が続きました。偉大な巨匠との交流は、彼の芸術性や人間性に大きな影響を与えたと考えられています。

また、彼の録音には、後年大きな話題となったエピソードがあります。かつて録音されたショパンのマズルカ集が、イギリスのピアニストであるジョイス・ハットーの演奏として無断で名義を書き換えられ、発売されたことが明らかになりました。これは、音楽業界における著作権や倫理の問題を浮き彫りにする事例として知られています。

晩年と死去

晩年はフランスに居住し、演奏活動を続けました。2024年2月28日、フランス北部の都市コンピエーニュにて、76歳でその波乱に富んだ生涯に幕を閉じました。ユージン・インジックは、その深い教養に裏打ちされた知的な演奏と、特にショパン作品における優れた解釈をもって、多くの音楽愛好家に記憶されています。学問と演奏を両立させた彼のキャリアパスは、後進の音楽家たちにとっても示唆に富むものでしょう。

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