ロザリン・テューレック

ロザリン・テューレック（1914年12月14日 – 2003年7月17日）は、アメリカ合衆国出身の傑出したピアニストであり、特にヨハン・ゼバスティアン・バッハの鍵盤作品解釈における第一人者として、その名を広く知られています。

イリノイ州シカゴに生まれた彼女は、トルコ系ユダヤ系ロシア人の父を持つ家庭で育ちました。バッハ作品の演奏で不動の地位を築いたテューレックですが、その音楽活動は多岐にわたり、20世紀アメリカのピアノ音楽の紹介にも熱心に取り組みました。

彼女の音楽の旅は、著名な指揮者レオポルド・ストコフスキーの最初の妻であったピアニスト、オルガ・サマロフに師事することから始まりました。その後、名門ジュリアード音楽院で研鑽を積みます。このジュリアード在学中に、ロシアの物理学者で電子楽器テルミンの発明者であるレフ・セルゲイヴィチ・テレミンがアメリカを訪れ、テューレックは彼に師事する機会を得ました。この経験は、彼女が電子楽器に対して強い関心を抱く決定的な契機となり、カーネギー・ホールでの公式デビューでは、ピアノ演奏に加え、テルミンの演奏も披露するという異色の形で飾りました。また、バッハ演奏においては、同じく著名な鍵盤楽器奏者ワンダ・ランドフスカの先例に倣い、一時モダン・チェンバロを使用した時期もありましたが、最終的にはピアノによるバッハ演奏へと回帰しました。

テューレックのバッハ演奏は、その構造的な明確さ、知的なアプローチ、そして精神性の深さにおいて独自の世界を確立しました。彼女はバッハ作品をただ演奏するだけでなく、その建築的な美しさと内なる論理を徹底的に追求し、ピアノという楽器の多様な表現力を駆使して表現しました。ピアニスト、グレン・グールドがバッハ解釈において独自の様式を築き上げる上で、テューレックの演奏が重要な示唆を与えたことは広く知られています。テューレック自身はこの影響関係を公には認めようとしませんでしたが、彼女の革新的なアプローチが後続世代のバッハ演奏家たちに与えた影響は計り知れません。ピアノへの回帰は、彼女がバッハのポリフォニーや内声部をより豊かに表現するために、ピアノのダイナミクスや音色の変化が不可欠であると判断した結果と言えるでしょう。

没後、テューレックの隠された才能が再び光を浴びることになります。生前に「死後に公表する」という条件でVAIレーベルにプライベート録音されていたバッハの代表作《ゴルトベルク変奏曲》がCDとしてリリースされると、その卓越した演奏と驚くべき録音の美しさがあいまって、世界中の音楽愛好家から絶賛されました。この成功がきっかけとなり、ドイツのクラシック音楽名門レーベル、ドイツ・グラモフォンとの契約が実現し、《平均律クラヴィーア曲集》全曲をはじめとする重要なバッハ作品の公式録音が行われました。これらの録音は、現在もテューレックの芸術を伝える貴重な遺産となっています。

テューレックの音楽的探求は、バッハに留まりませんでした。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、フレデリック・ショパン、ヨハネス・ブラームスといった古典派・ロマン派の巨匠たちの作品にも深く取り組みました。さらに、20世紀の音楽にも強い関心を持ち、ルイージ・ダッラピッコラ、ウィリアム・シューマン、デイヴィッド・ダイアモンドといった同時代または近現代の作曲家たちの作品も積極的に演奏しました。特に、アメリカの作曲家デイヴィッド・ダイアモンドが作曲した《ピアノ・ソナタ第1番》は、テューレックの傑出したピアノ演奏に感銘を受けて生み出された作品として知られています。

2003年7月17日、ロザリン・テューレックはニューヨークでがんのため88歳でその生涯を閉じました。しかし、彼女のバッハ演奏への貢献は、録音や著作を通じて今なお多くの人々に影響を与え続けています。『バッハ演奏の手引き』と題された彼女の著作は、バッハ作品の解釈と演奏法に関する貴重な手引きとして、世界中で読まれています。また、彼女の名を冠した「テューレック・バッハ研究院」（The Tureck Bach Research Institute）は、テューレックの遺志を継ぎ、バッハ研究と演奏の発展のために活動を続けています。ロザリン・テューレックは、単なるピアニストとしてだけでなく、バッハ研究者、そして啓蒙者として、クラシック音楽の世界に不朽の足跡を残しました。

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