ヴェニスに死す

ヴェニスに死す (Der Tod in Venedig)

トーマス・マンによって1912年に発表された中編小説。

あらすじ

20世紀初頭のミュンヘン。著名な作家グスタフ・フォン・アッシェンバッハは、創作活動に疲れを感じていた。そんな折、彼は異国情緒あふれる男の姿を目にし、旅への衝動に駆られる。

当初はアドリア海沿岸の保養地を訪れるも、すぐに飽きてしまいヴェネツィアへと向かう。ヴェネツィアのホテルで、アッシェンバッハは長期滞在しているポーランド貴族の一家と出会う。その家族の息子である、10代前半と思われる少年タジオの並外れた美しさに、彼は心を奪われる。

タジオの姿を追い求めるうちに、アッシェンバッハの行動はエスカレートしていく。海辺で遊ぶタジオを眺めるだけでは飽き足らず、彼の後をつけたり、家族の部屋を覗き見たりするようになる。社会的に名声を得た「威厳ある」作家という立場でありながら、美少年への恋に溺れていく。

しかし、ヴェネツィアにはコレラの脅威が迫っていた。街から人々が逃げ出す中、アッシェンバッハはタジオから離れることを拒み、ヴェネツィアに留まる。そしてついに、タジオとその家族がヴェネツィアを去る日、アッシェンバッハはコレラに感染し、孤独な死を迎える。

執筆背景と評価

トーマス・マンは1911年に実際にヴェネツィアを訪れており、そこで出会ったポーランド人の美少年に心を奪われた経験が、この小説の着想源となった。帰国後、彼はすぐに執筆に取り掛かった。

ただし、小説の設定とマン自身の体験には相違点がある。小説では、主人公アッシェンバッハは50代で、妻に先立たれ、娘は結婚して家を出ている。ヴェネツィアへは一人旅をしているという設定だが、マンがヴェネツィアを訪れたのは30代半ばで、妻や子供、兄のハインリヒ・マンらと一緒だった。

また、主人公の名前がグスタフであるのは、執筆直前に作曲家のグスタフ・マーラーが亡くなったことが影響している。マンはマーラーと親交があり、その名前を借りた。アッシェンバッハの容姿もマーラーをモデルにしている。

当初、マンはこの作品の出来に自信を持てなかったが、フランス語訳が出版されると高い評価を得て、国内外で評判となった。その後、マン自身もこの小説を『トーニオ・クレーガー』と並ぶ代表作と見なすようになった。

実在のタジオ

マンが一目惚れした美少年は、自分をじっと見つめるドイツ人作家の存在に気づいていた。後にこの小説のポーランド語訳が出版された際、彼は自分がモデルであることを認識したが、その事実を公表することはなかった。そのため、モデルの身元が明らかになったのは、マンの死後しばらく経ってからであった。一説には、1971年に公開された映画を観た時に気づいたとも言われている。

この少年は、ポーランド貴族のヴワディスワフ・モエス男爵（Władysław Moes, 1900年生まれ）で、マンとヴェネツィアで出会った時は11歳だった。彼は当時、ヴワジオ (Władzio) やアジオ (Adzio) などの愛称で呼ばれていた。

モエス男爵は第二次世界大戦後もポーランドに住み、1986年に亡くなった。彼の遺体は、ポーランド南部シロンスク県ピリツァの丘にある一族の墓地に埋葬されている。

オペラ化

1973年には、ベンジャミン・ブリテンによってオペラ『ヴェニスに死す』(Death in Venice) が作曲されている。

日本語訳

『ヴェニスに死す』 実吉捷郎訳（岩波文庫、改版2000年）。ISBN 978-4003243411
『トニオ・クレーゲル　ヴェニスに死す』 高橋義孝訳（新潮文庫、再改版2012年）。ISBN 410-2022015
『ヴェネツィアに死す』 岸美光訳（光文社古典新訳文庫、2007年）。ISBN 433-4751245
『ベニスに死す』 圓子修平訳（集英社文庫、2011年）。ISBN 408-7606287

もう一度検索