丈部路祖父麻呂

丈部路祖父麻呂（はせつかべ の みち の おおじまろ）は、奈良時代に生きた下級官吏の息子です。彼の父である丈部路忌寸石勝（はせつかべ の みち の いみき いわかつ）は、大蔵省漆部司（ぬりべのつかさ）の令史（さかん）という役職に就いていました。

ある時、石勝は同僚の泰犬麻呂（やすのいぬまろ）とともに、職務で扱う漆を盗んで転売するという罪を犯してしまいます。この不正が発覚した結果、石勝は流罪という厳しい刑罰を受けることになりました。石勝には三人の息子がおり、祖父麻呂はその長男でした。次男は安頭麻呂（あずまろ）、三男は乙麻呂（おとまろ）といいます。

当時の律令制度では、官有の奴隷は「官奴」と呼ばれ、庶民が官司に意見を申し出ることを「上陳」と呼んでいました。公式令によれば、庶民であっても天皇に直接訴えを届けることが可能でしたが、その際には文末に「死罪謹言」という言葉を添えなければなりませんでした。これは、訴えが虚偽であった場合には死罪を覚悟しなければならないという、非常に重い責任を伴う行為でした。

また、名例律では、皇族や高級官僚に対しては裁判において特別な権利が認められていましたが、八位以下の官吏や一般庶民にはそのような特典は一切ありませんでした。つまり、祖父麻呂たち兄弟が父の判決変更を求めて訴え出るという行為は、命がけの覚悟が必要なものであったと言えるでしょう。

刑の赦免や軽減は天皇のみが持つ特権であり、祖父麻呂たちの訴えは、当時の天皇である元正天皇（げんしょうてんのう）に無事届きました。流罪や死罪といった重大な刑罰は、太政官（だいじょうかん）で審議された後、天皇に書類が回覧されるという手続きを踏んでいました。元正天皇は、この訴えを受けて次のような詔（みことのり）を出しました。

「（前略）...石勝の罪は許す。犬麻呂は、家族が都に住んでいないため赦免の対象とはしない」

この詔により、石勝は罪を許され、赦免されることとなりました。しかし、犬麻呂は家族が都にいないという理由で赦免されませんでした。この出来事は、養老4年（720年）6月のことで、一ヶ月後には石勝は赦免されました。

祖父麻呂たち兄弟の行動は、当時の社会において、身分制度の壁を乗り越え、家族を救うために命がけで訴え出た、勇敢な行為として記録されています。この出来事は、当時の律令制度や社会構造、そして人々の暮らしぶりを考える上で、重要な手がかりとなります。

参考文献
『続日本紀』2　新日本古典文学大系13　岩波書店、1990年
『続日本紀』全現代語訳（上）講談社学術文庫、宇治谷孟：訳、1992年
『日本の歴史3　奈良の都』、青木和夫：著、中央公論社、1965年

関連事項
丈部
丈部氏
元正天皇
大宝律令
漆

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