中沢岩太

中沢岩太（なかざわいわた、1858年 5月12日 - 1943年 10月12日）は、明治から昭和初期にかけて活躍した日本の応用化学者です。帝国学士院会員であり、工学博士でもありました。教育者としては、京都帝国大学理工科大学の初代学長や京都高等工芸学校の初代校長を務め、その指導力と先見性をもって日本の高等教育の礎を築きました。また、大学での教鞭のみならず、官庁や民間企業においても重要な役割を担い、黎明期にあった日本の無機化学工業、特に酸・アルカリやガラス産業の発展に大きく寄与しました。さらに特筆すべきは、化学者という厳密な科学の世界に身を置きながらも、美術工芸に対して深い造詣と情熱を持ち、その近代化と発展に多大な功績を残した点です。特に古都・京都を拠点とした活動は、その後の文化・芸術の発展に計り知れない影響を与えました。応用化学者として著名で、のちに高野連会長も長く務めた中澤良夫は長男にあたります。

生涯

若き日々から学究へ

安政5年（1858年）3月29日、越前国福井城下の福井藩士の子として生を受けました。幼名は東重郎といい、文久4年（1864年）に岩太と改められます。少年時代は漢書や習字を学び、その後、福井藩校明新館にて、外国人教師グリフィスによる物理・化学の授業に強い関心を抱きました。正規の聴講資格がなかったにも関わらず熱心に聞き入り、質問への的確な回答によって聴講を黙認されたというエピソードは、彼の卓越した才能と向学心を示しています。明治4年（1871年）末にはグリフィスに随行して上京し、翌年には大学南校（後の東京大学）に入学。東京開成学校予科を経て化学科に進み、地質学修業のためナウマンに同行して日本の山々を踏破するなど、勉学に励みました。明治12年（1879年）7月には旧東京大学理学部化学科を首席で卒業。卒業後は助教として、外国人教師アトキンソンから日本酒醸造の研究指導を受け、その後、ドイツ人化学者ワグネルのもとで陶器や玻璃（ガラス）の研究に携わり、窯業に関する知識と技術を深めました。

東京帝国大学 教授として

明治16年（1883年）、文部省の官費留学生としてドイツへの留学を果たしました。ベルリン大学で学ぶ傍ら、工科大学や鉱山大学の講義も聴講し、ベルリンやマイセンの国立陶磁器研究所での実地調査を通じて、ヨーロッパの先進的な技術と研究方法を吸収しました。3年間の留学期間を終え帰国後、明治20年（1887年）3月には東京帝国大学工科大学教授に就任します。帝大教授としての本務に加え、印刷局や御料局、工手学校（現在の工学院大学）など、様々な機関で嘱託や校長を務め、日本の無機化学工業の発展に指導的な役割を果たしました。特に硫酸やソーダといった基礎化学工業の改良と振興に尽力し、明治24年（1891年）には工学博士の学位を授与されています。

京都での教育と文化振興

明治30年（1897年）、岩太は京都帝国大学理工科大学の創設に際し、その初代学長への就任を要請されます。この重要な任務を受諾した岩太は、新しい大学に特色ある学風を確立するため、従来の東京帝国大学の制度に捉われず、革新的な取り組みを次々と導入しました。中でも、当時の主流であった学年制を廃し、現在多くの大学で採用されている「講座制」を先駆的に導入したことは、彼の教育理念である「学生の人格を尊重し、個性を伸ばす」という考え方を象徴する大きな功績です。明治40年（1907年）には京都帝国大学名誉教授の称号を授けられました。また、明治33年（1900年）に創立委員を務めた第三高等工業学校（後に京都高等工芸学校と改称）でも重要な役割を担います。パリ万国博覧会視察のためフランスへ派遣された際、洋画家・浅井忠と出会い、図案（デザイン）教育の重要性について意気投合。この出会いが、明治35年（1902年）に初代校長として京都高等工芸学校に浅井を教授として迎え入れることに繋がります。岩太と浅井は、学校教育だけでなく、京都の美術工芸界全体の振興にも力を注ぎました。陶磁、漆、染織など各分野の作家たちの研究会である「京都四園」（遊陶園、京漆園、道楽園、時習園）を結成して自ら園長を務めたほか、明治39年（1906年）には関西美術院の設立に関与し、顧問、そして二代院長を務めるなど、京都の伝統工芸と近代美術・デザインを結びつける活動に献身しました。

人物と多趣味

多忙な公務の傍ら、岩太は多彩な趣味人としても知られています。学生時代には「交り善し」「見綺麗な人」などと評される人柄でした。ドイツ留学中には生活費を切り詰め、書籍購入や各地視察に充てるなど、質素ながらも知的好奇心を満たす日々を送りました。特に絵画への関心は深く、日本画を狩野友信や前田玉英に、水彩画や油絵を浅井忠に学ぶなど、ジャンルを超えて研鑽を積みました。この絵画に関する素養は、明治40年（1907年）に設立された文展をはじめ、各種博覧会における美術部門の審査員として重用される要因となりました。化学者でありながら、美術に対する確かな識見を持っていたことは当時珍しく、彼の多角的な視野を示しています。また、蓑虫を加工して実用品にする蓑虫細工に取り組んだり、囲碁や玉突を愛好したりと、その興味は尽きませんでした。82歳で目を悪くしてからも、謡を始めるなど、晩年まで学ぶ姿勢を崩しませんでした。

著書

岩太は、その経験と思索に基づいた著書も残しています。特に京都高等工芸学校長を退官する際に、学生への講話をまとめた『工場技術者之心得』や『青年技術者之心得』は、技術者としての心構えを説いたものとして知られています。晩年の旭漆研究の成果は、『旭漆応用工芸塗飾新法』としてまとめられています。

中沢岩太は、化学者として日本の近代産業の基盤を築き、教育者として次世代の育成に尽力し、さらに美術工芸の振興にも貢献するなど、科学、教育、芸術の分野を横断して日本の近代化に大きな足跡を残した人物です。その生涯は、多岐にわたる才能と情熱、そして社会への深い貢献意欲に満ちていました。

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