丹下左膳余話 百萬両の壺

丹下左膳餘話 百萬兩の壺

『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』は、1935年（昭和10年）に公開された日本映画史上の傑作時代劇です。日活京都撮影所によって製作され、当時弱冠26歳であった山中貞雄が監督を務め、丹下左膳役を当時の大スター大河内傳次郎が演じました。11巻ものの長編として同年6月15日に劇場公開され、その芸術性や革新性から高く評価されています。公開から70年以上を経た2009年には、キネマ旬報社が創刊90周年を記念して発表した『日本映画・外国映画オールタイム・ベスト・テン』の日本映画部門で第7位にランクインするなど、その評価は今日まで揺るぎないものとなっています。

概要

本作の物語は、一見ただの古い壺である「こけ猿の壺」に隠された、かつての祖先が遺した百万両の隠し場所を示す地図を巡って巻き起こる、様々な人物たちの争奪戦を軸に展開します。しかし、単なるチャンバラ活劇に留まらず、主人公・丹下左膳が居候する江戸の矢場の女主人・お藤や、身寄りのない孤児・ちょび安といった市井の人々との温かい交流を丁寧に描き出すことで、コミカルで人情味あふれるホームコメディとしての側面を強く打ち出しているのが最大の特徴です。

製作背景と山中監督の革新

本作は、元々時代劇の巨匠、伊藤大輔監督が手掛けていたトーキー版『丹下左膳』三部作の最終作「尺取横町の巻」として企画されていましたが、伊藤監督の日活退社に伴い製作が中断されてしまいました。そこで急遽、白羽の矢が立ったのが新鋭の山中貞雄でした。山中監督は、それまでの丹下左膳映画や原作が持つ虚無的で殺伐とした主人公像を大胆に変更します。スティーヴン・ロバーツ監督のコメディ映画『歓呼の涯』（1932年）を参考にしたとも言われており、モダンで明るいタッチを取り入れ、左膳を根っからの善人でユーモアを解する好人物として描きました。これにより、主演の大河内傳次郎が持つ隠れた喜劇俳優としての才能が見事に引き出され、演技の新たな一面を見せることとなりました。

キャスティングにおいても、歌手として知られていた喜代三をお藤役に抜擢したり、屑屋役の高勢実乗と当八役の鳥羽陽之助のコンビにコミカルな役割を与えたりするなど、山中独自のセンスが光ります。音楽にはムソルグスキーの『禿山の一夜』をはじめとするクラシック音楽を採用し、作品全体に洗練された雰囲気を加えました。しかし、この従来のイメージを覆す斬新な解釈は、原作者である林不忘の側から「丹下左膳のイメージに合わない」という抗議を受ける一幕もありました。

物語（あらすじ）

物語は、江戸の道場に婿養子に入った柳生源三郎が、兄である柳生対馬守から結婚祝いとして「こけ猿の壺」を贈られる場面から始まります。源三郎は古びた茶壷だと不満に思いますが、実はその壺には柳生家の祖先が隠した百万両の地図が塗り込められていました。地図の存在を知った対馬守は壺を取り戻そうとしますが、源三郎は既にその壺を屑屋に売り払った後でした。屑屋の手を離れた壺は、隣に住む七兵衛の息子・安吉の金魚鉢として使われています。

さて、安吉の父・七兵衛はやもめで、夜ごと、お藤が営む矢場に通っていました。その矢場には、居候として用心棒を務める丹下左膳がいました。ある夜、七兵衛が店で客と揉め事を起こし、帰宅途中に襲われて命を落としてしまったため、矢場の女主人・お藤が安吉を引き取ることになります。

一方、柳生源三郎は壺を探して江戸市中を奔走するうちに、お藤の矢場に通うようになり、そこで働く女中のお久に心惹かれていきます。しかし、左膳やお久と共に外出しているところを妻の萩乃に目撃され、不倫を疑われてしまいます。源三郎はその後、屑屋から安吉の壺が目的のものだと知らされますが、自由な外出を奪われたくない一心から、気づかないふりを続けようと決意します。しかし、萩乃の追及は厳しく、源三郎はついに自宅から出られなくなってしまいます。

その頃、柳生家の江戸屋敷では、「壺を求む」と貼り紙を出して、江戸中の茶壷を買い集めるという強引な作戦を開始します。多くの人々が壺を抱えて屋敷に殺到する騒ぎとなります。

そんな中、安吉が往来で大金を盗まれてしまい、親代わりのお藤は両替商から金の返済を厳しく迫られます。事態を苦にした安吉は、金魚鉢だった壺を持って家出をしてしまいます。翌日までに金を用意する必要に迫られた左膳は、金策のために道場破りを決行します。しかし、偶然にもたどり着いたのは源三郎の道場でした。互いに鉢合わせして驚きながらも、知らぬ顔で試合を始めた二人は、剣を交えつつこっそりと密約を交わします。左膳が源三郎に負ける代わりに金を受け取ることで話がまとまり、左膳はわざと源三郎に打ち取られます。試合後、左膳は源三郎から安吉の持つ壺が探し物であると聞かされます。その頃、安吉は壺を売ろうと柳生家の江戸屋敷が立てた買い集めの列に並んでいました。事情を聞いた左膳が駆けつけ、間一髪で安吉を止めることに成功します。結局、源三郎は浮気を続けるため、見つかった壺を左膳に預けることを選び、物語は幕を閉じます。

現存状況とデジタル修復

本作は、山中貞雄監督が遺した現存する3作品のうち最も古いものです。しかし、現在一般的に鑑賞できるのは、戦後に公開された短縮版に限られています。このバージョンでは、GHQ（連合国軍最高司令官総司令部）による検閲のため、終盤のクライマックスにあたる重要な剣戟シーン約20秒が削除されていました。削除されたこのシーンのフィルム断片（ただし音声トラックは失われていた）は2004年に発見され、おもちゃ映画ミュージアムに所蔵されています。

2020年には、日活と国際交流基金が共同でデジタル4K修復版を製作し、東京国際映画祭で公開されました。この最新の修復版では、可能な限りの映像と音声の修復に加え、失われていたコマの補完作業が行われました。さらに、国立映画アーカイブが所蔵するプリントを基に修復されたGHQ検閲による削除シーンが、無音ではあるものの本編に挿入されており、オリジナルに限りなく近い形で本作を鑑賞することが可能になりました。

ソフト化とリメイク

本作はDVD化されており、セル・レンタルともにリリースされています。より手に入りやすい廉価版DVDも発売されました。

また、2004年には豊川悦司主演で『丹下左膳 百万両の壷』としてリメイク版が製作・公開されています。

主なキャスト・スタッフ

キャスト

丹下左膳: 大河内傳次郎
お藤: 喜代三
ちょび安: 宗春太郎
柳生源三郎: 沢村国太郎
萩乃: 花井蘭子
お久: 深水藤子
柳生対馬守: 阪東勝太郎
屑屋茂十: 高勢実乗
当八: 鳥羽陽之助
七兵衛: 清川荘司
おしゃかの文吉: 高松文麿

スタッフ

監督: 山中貞雄
原作: 林不忘
脚色: 三村伸太郎
構成: 山中貞雄
撮影: 安本淳
音楽: 西梧郎
主題歌: 東海林太郎「丹下左膳の唄」、喜代三「お藤の唄」

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