今泉善一
建築家、今泉善一（1911年 - 1985年）は、愛知県新城市に生まれ、日本の近代史の激動期に、建築家、社会運動家、そして都市計画の専門家として多岐にわたる活動を展開した人物です。その生涯は、戦前期の困難な時代から戦後の復興期を経て高度成長期に至る日本の変遷と深く関わっています。小説『貧乏物語』（河上肇）に書生として登場するなど、その存在は建築界にとどまりませんでした。
幼少期に関東大震災を経験したことが、建築を志す原点となったと言われています。1928年に工手学校（現・工学院大学）を卒業後、大蔵省営繕管財局に入り、官庁建築に携わる傍ら、夜間の早稲田高等工学校で建築を学びました。この時期に、革新的な建築思想を持つ建築家たちが集う創宇社建築会に参加します。しかし、今泉の関心は建築だけでなく、当時の社会情勢にも向けられていました。彼は次第にプロレタリア運動に傾倒し、「プロレタリア科学」の読者となる一方、非合法であった日本共産党の活動に関わるようになります。
1931年には日本共産党に入党。大蔵省内で組織的な活動を行い、党員向けの新聞を発行するなどしました。弾圧を逃れるため地下に潜伏し、党の活動資金を集める「家屋資金局」の責任者となります。この資金確保のため、1932年に発生した「赤色ギャング事件」に関与することとなります。この事件は、共産党が活動資金を得るために銀行強盗を計画・実行したもので、後に特高警察のスパイとされる人物が計画を持ちかけたという複雑な経緯がありました。この事件への関与により、今泉は逮捕されます。同じ頃、建築家の梅田譲も共産党との関係を疑われ、治安維持法違反で検挙されるなど、当時の建築界にも社会運動の波が押し寄せていました。
逮捕された今泉は、近代建築史において特異な存在感を放つ小菅刑務所に収監されます。独房での厳しい生活を送る中で、彼は真面目な態度が認められ、木工場での作業を許されます。ここで図面の読み書きの技能を活かし、軍需品の製作に携わります。彼は作業を通じて生産工程や動線計画に関心を向け、改善提案が採用されるなど、建築家としての視点を失いませんでした。さらに、獄中では血盟団事件の中心人物である井上日召や橘孝三郎ら右翼活動家とも交流を持ち、彼らとの関係から比較的優遇されたという逸話が残っています。差し入れられた建築雑誌などを読み、外の建築界の動向を把握しており、戦時下の国家的な建築計画に対しては批判的な見方をしていました。
1944年5月、満期出所を迎えますが、獄中に両親を亡くすという悲しい現実が待っていました。一時、日本鑿井探鉱に勤めますが、建築への強い思いから、同年9月には著名な建築家、前川国男の事務所に入所します。ここでは、戦時下の特殊な建築プロジェクト、例えば満州飛行機東京支店の改装や、登戸の飛行機部品会社の地下工場建設（田中清玄らの神中組が担当）に関わりました。この地下工場では、かつての獄中仲間である四元義隆らとも再会し、終戦間際の重要な情報を共有したと言われています。
終戦後、今泉は前川事務所で、工場生産による住宅建設システム「プレモス」の開発に携わります。同時に、戦後の新しい建築運動にも積極的に参加しました。1946年には、梅田譲や図師嘉彦といった旧創宇社系の仲間たちと日本民主建築会を結成。さらに全日本建築民主協議会を経て、1947年には新日本建築家集団（NAU）の結成に参加します。NAUの活動拠点として、今泉は道明英次、平松義彦らと共に東京建築設計事務所を設立。この事務所はNAUの事務局も兼ね、労働組合関連の施設設計が多く舞い込みました。NAU設計委員会名義で手がけた代表作には、全国造船労組会館や八幡製鉄労働組合會館などがあります。これらの活動を通じて、今泉は東京大学の池辺陽と親交を深め、互いの家が隣同士になるほどの関係を築きました。NAU解散後、設計活動は池辺研究室と実質的に一体であった建設工学研究会に引き継がれ、今泉もその一員として活動します。
この建設工学研究会で、今泉は戦後復興期の都市にとって喫緊の課題であった「防火帯建築」に本格的に取り組み始めます。そして1957年には日本不燃建築研究所を設立し、防火帯建築の設計と推進を牽引する中心人物となりました。彼は、沼津、大館、柏、宇都宮、横浜、横須賀、福島、山形、高岡、蒲田、魚津、亀戸、馬喰横山町など、全国各地で防火帯建築による商店街の共同建築を数多く実現させました。これらの建築は、焼け跡からの都市復興において、延焼防止と商業機能の集約・近代化に大きな役割を果たしました。彼の設計した防火建築帯の共同建築の中には、現在も各地に残されているものがあります。時代が下り、都市再開発事業が線的な防火帯から面的な街区開発へと移行し大規模化する中で、今泉の活動も再開発コンサルタント業へと軸足を移していきました。
今泉善一の生涯は、単なる建築家の枠を超え、社会の変革期における一人の人間の苦闘と貢献の物語です。戦前の政治活動から投獄、そして戦後の復興への尽力。その波乱に満ちた経験は、彼の建築家としての思想や実践に深く影響を与えたことでしょう。防火帯建築という、当時の社会が必要としていた建築分野で大きな功績を残した今泉は、日本の近代建築史と都市史にその名を刻んでいます。
幼少期に関東大震災を経験したことが、建築を志す原点となったと言われています。1928年に工手学校（現・工学院大学）を卒業後、大蔵省営繕管財局に入り、官庁建築に携わる傍ら、夜間の早稲田高等工学校で建築を学びました。この時期に、革新的な建築思想を持つ建築家たちが集う創宇社建築会に参加します。しかし、今泉の関心は建築だけでなく、当時の社会情勢にも向けられていました。彼は次第にプロレタリア運動に傾倒し、「プロレタリア科学」の読者となる一方、非合法であった日本共産党の活動に関わるようになります。
1931年には日本共産党に入党。大蔵省内で組織的な活動を行い、党員向けの新聞を発行するなどしました。弾圧を逃れるため地下に潜伏し、党の活動資金を集める「家屋資金局」の責任者となります。この資金確保のため、1932年に発生した「赤色ギャング事件」に関与することとなります。この事件は、共産党が活動資金を得るために銀行強盗を計画・実行したもので、後に特高警察のスパイとされる人物が計画を持ちかけたという複雑な経緯がありました。この事件への関与により、今泉は逮捕されます。同じ頃、建築家の梅田譲も共産党との関係を疑われ、治安維持法違反で検挙されるなど、当時の建築界にも社会運動の波が押し寄せていました。
逮捕された今泉は、近代建築史において特異な存在感を放つ小菅刑務所に収監されます。独房での厳しい生活を送る中で、彼は真面目な態度が認められ、木工場での作業を許されます。ここで図面の読み書きの技能を活かし、軍需品の製作に携わります。彼は作業を通じて生産工程や動線計画に関心を向け、改善提案が採用されるなど、建築家としての視点を失いませんでした。さらに、獄中では血盟団事件の中心人物である井上日召や橘孝三郎ら右翼活動家とも交流を持ち、彼らとの関係から比較的優遇されたという逸話が残っています。差し入れられた建築雑誌などを読み、外の建築界の動向を把握しており、戦時下の国家的な建築計画に対しては批判的な見方をしていました。
1944年5月、満期出所を迎えますが、獄中に両親を亡くすという悲しい現実が待っていました。一時、日本鑿井探鉱に勤めますが、建築への強い思いから、同年9月には著名な建築家、前川国男の事務所に入所します。ここでは、戦時下の特殊な建築プロジェクト、例えば満州飛行機東京支店の改装や、登戸の飛行機部品会社の地下工場建設（田中清玄らの神中組が担当）に関わりました。この地下工場では、かつての獄中仲間である四元義隆らとも再会し、終戦間際の重要な情報を共有したと言われています。
終戦後、今泉は前川事務所で、工場生産による住宅建設システム「プレモス」の開発に携わります。同時に、戦後の新しい建築運動にも積極的に参加しました。1946年には、梅田譲や図師嘉彦といった旧創宇社系の仲間たちと日本民主建築会を結成。さらに全日本建築民主協議会を経て、1947年には新日本建築家集団（NAU）の結成に参加します。NAUの活動拠点として、今泉は道明英次、平松義彦らと共に東京建築設計事務所を設立。この事務所はNAUの事務局も兼ね、労働組合関連の施設設計が多く舞い込みました。NAU設計委員会名義で手がけた代表作には、全国造船労組会館や八幡製鉄労働組合會館などがあります。これらの活動を通じて、今泉は東京大学の池辺陽と親交を深め、互いの家が隣同士になるほどの関係を築きました。NAU解散後、設計活動は池辺研究室と実質的に一体であった建設工学研究会に引き継がれ、今泉もその一員として活動します。
この建設工学研究会で、今泉は戦後復興期の都市にとって喫緊の課題であった「防火帯建築」に本格的に取り組み始めます。そして1957年には日本不燃建築研究所を設立し、防火帯建築の設計と推進を牽引する中心人物となりました。彼は、沼津、大館、柏、宇都宮、横浜、横須賀、福島、山形、高岡、蒲田、魚津、亀戸、馬喰横山町など、全国各地で防火帯建築による商店街の共同建築を数多く実現させました。これらの建築は、焼け跡からの都市復興において、延焼防止と商業機能の集約・近代化に大きな役割を果たしました。彼の設計した防火建築帯の共同建築の中には、現在も各地に残されているものがあります。時代が下り、都市再開発事業が線的な防火帯から面的な街区開発へと移行し大規模化する中で、今泉の活動も再開発コンサルタント業へと軸足を移していきました。
今泉善一の生涯は、単なる建築家の枠を超え、社会の変革期における一人の人間の苦闘と貢献の物語です。戦前の政治活動から投獄、そして戦後の復興への尽力。その波乱に満ちた経験は、彼の建築家としての思想や実践に深く影響を与えたことでしょう。防火帯建築という、当時の社会が必要としていた建築分野で大きな功績を残した今泉は、日本の近代建築史と都市史にその名を刻んでいます。
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